私は毎朝、半ば義務的な口実を起因として、ネル(布)で珈琲を煎れている。

焙煎された、まばゆい黒人のアスリートのような豆を、粗野な轟音をあげるミルで、粉々に砕いてネルに柔らかく容れる。

沸点まで、東京ガスの力を借りた、金のかかるお湯を、ほんのキモチなだめるように下げてやる。

私にあやされて気分転換を終えたお湯を、それようの(ドリップ)ポットに移し替え、膀胱を八分目に満たす。

ネルの中心目掛けて、その小水を絹のようになめらかに、か細い糸を命中させ、二重螺旋構造のように的確に、同心円状に沿ってネルいっぱいに充たしていく。

聖水を浴びた粉々のアスリートは、議会で決定されたはずの法案を無言で破り始める。

それはネルの小宇宙の中での無血革命であり、ここから更に蒸留酒と醸造酒の本質を次回捕らえてみる。(つづく)