誰もが悲しみと無縁の人生を送ることはできません。
たとえどんなに誠実に生きようと、悲しみは不意に容赦なく人を襲います。
そんな時、あなたならどうしますか。
家族、恋人、友人。
大切な人がそばにいてくれれば、少しは癒えることもあるでしょう。
しかし、時に家族、恋人、友人そのものが悲しみのトリガーとなることもあります。
悲しみはどこまで行っても、結局は自分だけのものです。
それでは、人はただただ悲しみと孤独に闘うしかないのでしょうか。
どうやらそうではないらしい。
馴染みのない旅先の街で、私は気づきました。
海際の波の音に、遠い夏の日に家族と出かけた海の記憶が頭をよぎりました。
雨に濡れた夏草の香りに、恋人と歩いた幸せな記憶がよみがえりました。
チェーン店のドーナツの甘い味に、部活仲間と“好きな味”を奪い合った記憶が呼び起されました。
記憶とは、曖昧で、儚くて、自分に都合の良いものです。
川の流れに削られる石のように、長い時の流れの中で記憶も削れて、欠損してしまったり、色あせてしまったり、別のものに変容してしまったりします。
そして普段は心の引き出しの中に仕舞いこまれていて、すっかり無かったことのようになってしまいます。
しかし、たとえ元のままではなくでも、それはきれいさっぱり忘れられるものではありません。
悲しみを抱えて外に出て、何気ない刺激に触れる中で、意図することもなく引かれたトリガーが、遠い記憶の中の幸せの欠片を呼び覚まし、悲しみに削れた心を埋めてくれるのです。
そんなわけで、今、子育て中のお仲間に申し上げたい。
あなたがお子様に注がれている愛情は、すぐに受け取る様子が見えなくても、後で必ず受け取ってくれる日が来ます。
恋人のいるお仲間に申し上げたい。
たとえもし、お別れしてしまうことになったとしても、二人で作った笑顔の記憶にはかけがえのない価値があります。
友人のいるお仲間に申し上げたい。
あなたが友人と過ごす、意味のないような他愛もない時間、それ自体に大きな意味があります。
五稜郭公園前「ミスタードーナツ 函館五稜郭ショップ」
https://tabelog.com/hokkaido/A0105/A010501/1031620/
全国にあるミスタードーナツの中で、函館市にある店だけは、ドーナツの価格が激安です。
例えば、私の幸せな記憶と共に刻まれている「ココナツチョコレート」はなんと税込75円。
これはフランチャイズの企業が他の業態の飲食も手掛けており、原材料の小麦粉を安く調達できるため、地域への利益還元としてこの特別価格を実現しているのだとか。
子育て中のお母さんや学生の皆さんにとっては喜ばしいことですね。
きっと、函館の少なからぬお子様達には、このドーナツの味と共に幸せな記憶が刷り込まれているに違いない。
そう思いたいものです。
劇作家の寺山修司が、名馬ハイセイコーの引退に際して綴った詩にこんな一節があります。
「ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない」
しかし私は敢えて申し上げたい。
後ろには夢はないけれど、思い出がある。
家族が、恋人が、友人が与えてくれた、幸せな記憶の欠片たち。
それこそが「愛」と呼ばれるものでしょう。
愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、思い出すもの。
愛はただ与える側のエゴではありません。
必ずしも愛を差し出された瞬間ではないかもしれない。
しかしいつの日かきっと、あなたの愛した人は、あなたの愛に救われるのです。



