先月、目白にある椿山荘を訪れる機会がありました。ソメイヨシノの開花にはまだ少し早い時季でしたが、八重桜がほころび始め、春の気配がそこかしこに漂っていました。
椿山荘といえば、都心にありながら広大な日本庭園を有することで知られています。かつて山県有朋の別邸として整備されたこの地は、明治の面影を今に伝える緑深い丘陵に、池や渓流、古木が点在し、歩くほどに異世界へと誘われるような感覚があります。訪れるたびに思うのですが、東京のど真ん中にこれほど豊かな自然が残っているということ自体、贅沢のひと言に尽きます。
夜の庭園散策では、スポットライトが木々や石垣を幻想的に照らし出し、さらにあたり一面に広がる霧のような煙幕が、紫や白の光と相まって、まるで雲の上に立っているかのような浮遊感をもたらしてくれました。足元から湧き出すように漂う光の霞に包まれると、現実の時間を忘れてしまいそうです。写真に収めようとカメラを向けるのですが、あの幽玄な雰囲気はなかなか一枚の画に収まりきらず、やはり自分の目で、その場の空気ごと体感することに意味があるのだと改めて感じました。
滞在できた時間は決して長くはありませんでしたが、桜の季節前後という絶妙な端境期に、静かな庭を独り占めするような時間を持てたことは、思いがけない贈り物でした。都会の喧騒を少し離れ、季節のよい時期に椿山荘の庭を歩く。そのささやかな非日常が、日々の仕事の疲れをすっと和らげてくれるように感じます。機会があれば、ぜひ足を運んでみてください。​​

 

  

 

 

昨日札幌入りして、今夜の千歳発の便で戻るという、ちょっとタイトなスケジュール。朝食を終えてさて今日はどうしようかと考えていたとき、ふと頭に浮かんだのが美瑛。一度行ってみたいと思っていた場所。せっかくだから思いきって行ってみることにした。

懸念はあった。冬の壮大な銀世界でもなく、ラベンダーが一面に咲き誇る6月でもない、この中途半端な時期に訪れて果たして楽しめるのだろうかと。ところが、いざ行ってみると、あちこちのスポットにはまだ残雪。それがむしろ独特の静けさと趣を醸し出し、これはこれで、今の時期にしか見られない美瑛だと思えてきた。

クリスマスツリーの木、青い池、白髭の滝、そしてケンとメリーの木。ケンとメリーといえば、もう何十年前の話だろう。あの日産スカイラインのCMで一世を風靡したポプラの大木が、今もあの丘にそのままの姿で立っている。それだけでも、なんだか胸にくる。美瑛駅の穏やかなたたずまいも印象的で、駅舎の前でしばらく時間を忘れ…そうそう、山々の美しさは格別だった。美瑛岳、美瑛富士、十勝岳と連なる峰々が青空のもとにそびえ、スマホをむけた。

移動は札幌から旭川経由の電車旅。車窓に流れる北海道の広大な風景を眺めながらの鉄道旅もまた格別だった。今夜の便で千歳をあとにするが、プライスレスな一日になった。​​​​

 
  
 
 
 

 

今朝は午前2時起き。目覚ましをセットしながら、それでも本当に起きられるか少し不安だったが、試合が始まる前にはしっかりテレビの前に陣取っていた。何といっても今夜の舞台は、イングランドサッカーの聖地「ウェンブリー・スタジアム」。あのピッチに日本代表が立つのだ。眠気など吹き飛ぶというものだ。

先日3月28日(日本時間29日)には、スコットランド代表(FIFAランキング38位)と対戦し1-0で勝利を収めた。途中出場のMF伊東純也(33歳=ゲンク)が後半39分に値千金の決勝ゴール。チームに勢いをつけた状態で、今日の大一番を迎えた。

試合が始まると、イングランドのボールポゼッションが日本をはるかに上回る展開が続く。さすがはワールドカップ優勝候補、個の力も組織力も一枚も二枚も上手だ。それでも日本は怯まない。自陣でしっかりブロックを敷き、機を見てカウンターへと転じる。そのカウンターが鮮やかに決まった瞬間が訪れた。三笘薫が右から左へとボールを運び、絶妙なタイミングで左サイドの中村敬斗へ送る。中村の正確なクロスが中央に舞い込むと、走り込んだ三笘がインサイドで流し込み、イングランドの守護神ジョーダン・ピックフォードを見事に破った。思わず声が出た。

今日の試合、個人的に最も輝いていたのは中村敬斗だ。左サイドでボールを持つたびに脅威を生み出し、ゴールに直結するアシストでチームに大きく貢献した。若い力がこれほど頼もしく見えた試合はそうそうない。

終盤にかけてイングランドの猛攻が続いた。体格差、スピード、圧力……あらゆる面で上回る相手の攻撃を、日本は粘り強く体を張って守り続けた。そして試合終了のホイッスル。1-0。イングランドとの対戦は実に16年ぶりだというが、その歴史的な一戦を日本が制した。

同じ時刻に行われていたスウェーデン対ポーランドの結果を受け、6月のワールドカップ本番でのグループステージ対戦相手はスウェーデンに決定した。強敵が待ち受けるが、今の日本ならば怖くない。昨年のブラジルからの歴史的勝利に続き、今朝また世界に衝撃を与えた。早起きした甲斐が十二分にあった。6月の本番がいまから待ち遠しくてならない。日本サッカー、最強。

国際親善試合 日本 v イングランド

 

春爛漫の一日、岡崎公園の花見
 今日の昼過ぎ、思い立って岡崎公園へ花見に出かけた。空は抜けるような青さで、風もおだやか。まさに花見日和とはこのことだろう。康生通り沿いのパーキングに車を停め、そこから岡崎公園まで歩いた。
 この街を歩くのは久しぶりのことだ。高校時代、友人たちとよく足を運んだ懐かしい場所。あの頃のまま残っている建物もあれば、すっかり様変わりしてしまったところもある。歩きながら、あちこちに記憶の断片が浮かんでは消えた。
岡崎城を間近で眺めるのも、何十年かぶりのことになる。改めて正面から見上げると、その堂々たる佇まいに思わず足が止まった。何百年もの時を超えてそこに在り続けるこの城。
 乙川沿いへ出ると、桜まつりの賑わいが一気に広がった。屋台の香ばしいにおい、子どもたちの笑い声、カメラを構える人たちの姿。川沿いに連なる桜の木々はどれも満開で、薄紅色の花びらが青空に映えて、それはもう見事というほかなかった。今日がまさに見頃のピーク。この美しさは今日だけのものだ、と思うと、何とも惜しいような、それでいてこの瞬間をしっかり目に焼き付けたいような、不思議な気持ちになった。
 春は毎年やって来る。だが同じ春は二度とない。懐かしさと今の美しさが重なり合った、そんな午後のひとときだった。​​
 

 

今朝、久しぶりに裏庭を覗いてみると、桜が咲いていた。
今週はずっと寒の戻りが続いていた。朝晩の冷え込みは厳しく、「まだ冬が居座っているのか」と思わせるほどだった。それが今朝はどうだろう。柔らかな陽光が降り注ぎ、空気もどこか丸みを帯びている。久しぶりに感じる、本物の春の温もりだ。そのわずか一日の陽気に誘われるように、桜の花が一気に顔をのぞかせていた。植物というのは正直なもので、季節の気配をこちらよりもずっと敏感に感じ取っているらしい。
報道によれば、この地域の桜の開花は来週あたりから、全国的な見ごろは今月末ごろとのことだ。だとすれば、うちの桜は少しせっかちだったのかもしれない。それでも、誰よりも早く春を告げてくれたことに、思わず顔がほころんだ。
近年は5月に入るともう夏日がやってくる。心地よい春の季節は、気がつけばあっという間に過ぎ去ってしまう。桜が散り、新緑が芽吹き、藤の花が揺れる——そんな移ろいをゆっくり味わえる時間は、本当にわずかしかない。
だからこそ、これからの一ヶ月半は大切にしたいと思う。朝の空気、風の匂い、庭に差し込む光の角度。日々の小さな春をひとつひとつ、丁寧に感じながら過ごしていきたい。​​​​​​​​​​​​​​​​






大方の予想通り、侍ジャパンは東京ラウンドを4連勝で締めくくり、マイアミの決勝ラウンドへと旅立った。大谷翔平という「神様」がいるのだから、対戦相手を簡単にねじ伏せてくれると思っていた。確かに初戦の台湾戦は13対0のコールドゲームで、その予感は現実になったかに見えた。しかし蓋を開けてみると、韓国戦は8対6、オーストラリア戦は4対3の逆転勝ちと、勝ちはしたものの一筋縄ではいかない試合が続いた。世界の野球は、想像以上に日本との差を詰めていた。

だが正直に言えば、私が目を離せなかったのは日本戦よりも、その「脇役」たちが繰り広げた試合だった。
3月8日の台湾対韓国戦。この試合はまさに高校野球を見ているような、泥臭くて必死で、だからこそたまらない一戦だった。台湾の先発は日本ハムに所属する古林睿煬。彼が韓国打線を立ち上がりから力強く封じ込め、2回に味方の本塁打で先制した。しかし韓国もすぐに同点に追いつき、台湾が勝ち越せばまた韓国が逆転し、延長タイブレークにまで縺れ込んだ。10回表、死球で負傷していた台湾の主将・陳傑憲が代走として登場し、スクイズで決勝のホームを踏んだ瞬間に雄叫びを上げる。最終スコアは5対4。しかもこれ、WBCの歴史で台湾が韓国に勝利した初めての試合だという。胸が縛り付けられるような戦いだった。
翌9日の韓国対オーストラリア戦も、見応えという点では負けていなかった。この時点で韓国・台湾・オーストラリアの3チームが2勝2敗で横並び。オーストラリアは勝てば無条件で準々決勝進出が決まるが、韓国には厳しい条件が課されていた。「2失点以内、かつ5点差以上での勝利」でなければ通過できないのだ。ただ勝つだけでは駄目という、息の詰まる縛りの中で試合は始まった。韓国のムン・ボギョンが先制2ランを放ち、その後も適時打を重ねてリードを広げていく。しかし8回にオーストラリアが1点を返してリードは4点差に縮まり、「条件クリアまであと1点」という緊張感が張り詰めた。最終回、韓国は犠飛でついに7点目を奪い条件を満たすと、そのまま逃げ切って7対2で勝利。試合後、韓国メディアは「東京ミラクル」と書き立て、選手たちはグラウンドで抱き合って涙を流した。
そして今日、東京ラウンド最終戦の日本対チェコ。日本はすでに1位通過が決まっていたから消化試合の色合いが強く、大谷翔平や鈴木誠也らメジャー組はスタメンを外れた。先発は高橋宏斗、チェコは前回大会でも日本と対戦したサトリアがマウンドへ。そのサトリアが素晴らしかった。チェンジアップを巧みに使い、日本打線を5回途中まで完全に封じ込めたのだ。豪腕などどこにもない。それでも、打てそうで打てない。日本打線が苦しむ場面が続いた。両軍ゼロ行進が8回まで続いたとき、これは単なる消化試合ではなくなっていた。結局8回裏に日本が一挙9点を奪ってゲームセットとなり、終わってみれば9対0の大差だったが、8回が始まるまでは実に見応えのある試合だった。
試合終了後、どのチームの選手の顔にも、勝ち負けを超えた「やり切った感」が滲んでいた。サトリアが東京ドームの大観衆から万雷の拍手を受けながらマウンドを降りた場面には、敵味方関係なく胸が熱くなった。彼はこの大会を最後に代表を引退し、起業の道へ進むという。画面越しに伝わってくるその感情は、サッカーのワールドカップとは比較にならないかもしれないけれど、初々しく、眩しく、そして確かに胸の奥に響いた。勝ち負けよりも大切なものが、野球という競技の中に宿っていることを、この東京ラウンドは改めて教えてくれた気がする。
さあ、舞台はマイアミへ移る。決勝ラウンドでどんな感動が待っているのか、今から楽しみでならない。
1月の後半から3月の初旬にかけて、土曜も日曜も関係なく、ひたすら仕事と向き合い続けた約1ヶ月半。繁忙期を迎え、全力を尽くしてきたわけだが、気がつけば食欲はすっかり落ち、体力もじりじりと削られていくような感覚が続いていた。
そんな中、久しぶりに訪れた本当の意味での休日。カレンダーの上の「休み」ではなく、心から仕事を手放せる一日だ。こういう日は愛車に跨って走るに限る。相棒に「今日はどうしても鰻が食べたい」とわがままを告げると、二つ返事で付き合ってくれた。行き先は一色。西尾市の一色町といえば、愛知が誇る鰻の名産地である。
ところが出発してみると、午前中から結構な強風が吹いており、「寒の戻り」と言いたくなるような冷たい空気が容赦なく身体に刺してくる。春はもうそこまで来ているはずなのに、なかなか素直には迎えてくれない。それでも、Z900RS SEのエンジン音とともに流れていく風景は、デスクの前では決して味わえない解放感をもたらしてくれる。走ること自体が、すでに心の栄養になっていた。
一色に着き、鰻重をひと口運んだ瞬間、じんわりと体の奥から力が戻ってくるような感覚があった。食欲が落ちていたとはいえ、こういう「ほんもの」の一皿は、胃袋の奥まで届くものだ。久しぶりにまともな食事をとったという実感も相まって、食べ終わるころには「もうひと踏ん張りできる」という気持ちになっていた。
今週もまだ仕事は残っている。でも今日この休息があれば、また走り出せる。春が来て暖かくなったら、今度はもっとゆっくり、思う存分ツーリングに出かけたい。そのご褒美を楽しみに、もう少しだけ踏ん張ることにしよう。

 

 

 

 

今週、LINEに一枚の画像が届いた。小学4年生の孫から送られてきたその絵は、学校で表彰されたという。思わず見入ってしまった。
画面の左側には、深い藍色の夜の雪景色。白く雪をまとった木が一本、静かに立っている。そこに現れるのは、オレンジ色の大きなキツネ。こちらをじっと見据えるような眼差しが、妙にリアルだ。そして右側には、驚いた表情の少年が室内に立っている。タンスの横で、目を丸くして——何かを見てしまったように。
テーマが何なのかは聞いていない。でも、外の世界(自然・野生・非日常)と内の世界(人間・日常)が一枚の絵の中に並んでいる構図は、子供が意識せずして描いたものとは思えないほど、絵として完成している。
「祖父バカ」と言われても構わない。それでも、あのタッチの力強さ、雪の質感の表現、人物の表情の豊かさ——これは贔屓目抜きに、なかなかのものだと思う。
子供の絵には、大人が理屈で作ろうとしても出てこない何かがある。純粋な感性が、技術より先に走っている。そのエネルギーが、見る者の胸に静かに刺さってくる。
これからも自由に描き続けてほしい。その絵は、ジィジの宝物になった。​​​​​​​​​​​​​​​​



ネットフリックスで配信された『教場 Reunion』を観た勢いそのままに、映画館へ足を運び後編『教場 Requiem』を鑑賞してきた。前後編を通じて伏線が丁寧に回収されていく構成は健在で、それなりに楽しめる作品だったのだが、いかんせん前後編ともにたっぷりとした尺で、映画館の椅子に座り続けた腰はしっかりと悲鳴を上げた。これはもう映画の評価とは別の話である。

主演の木村拓哉さんが演じる風間公親教官は、あの柔らかな笑顔のイメージを完全に封じ込めた、静かで冷徹な人物だ。感情を表に出さない、むしろ表情で相手を試すような眼光は、スクリーン越しでも十分に圧がある。「キムタク」として一世を風靡してから、いったい何年が経つのだろうと、ふと考えた。かつてテレビには「あの人は今」を追いかける番組があったが、彼にはそんな言葉はまるで似合わない。今もなお第一線で、しかも以前より深みのある顔をして、画面の中に存在している。

共感できるとすれば、それは「今を生きている」という一点に尽きる。過去の栄光を引きずるでも、懐かしまれるままでいるでもなく、今この瞬間の役に全力で向き合っている姿。年齢を重ねるごとに格好よくなっていく人間というのは本当に稀で、私が敬愛する矢沢永吉さんにも通じる何かがある。上に永ちゃん、下にキムタク——そういうスターの系譜というものが、確かにある。

バラエティ番組で見せる屈託のない笑顔も素敵だが、教官という抑制の効いた役どころで滲み出る存在感は、円熟という言葉がよく似合う。本人と面識はまったくないのに、なぜか近しいものを感じてしまうのは、きっと私だけではないだろう。次はどんな役で、どんな表情を見せてくれるのか。腰の心配をしながらも、また映画館へ向かう自分が目に浮かぶ。

昨日、誘われていたイベントに参加した後、閉店まであとわずかとなった名鉄百貨店に足を運んだ。

 

名鉄百貨店は1954年、東海地方で初めてとなるターミナルデパートとして名古屋駅前に誕生。高度経済成長期の真っただ中、鉄道沿線の人々が名駅に降り立てば、すぐそこに百貨店があるという画期的なスタイルは、当時としては新鮮な驚きだった。開業から3年後の1957年には10階建てとして全館オープンし、名古屋の流行発信地としての地位を確立していった。

 

今から50年ほど前の1970年代、名鉄百貨店は名古屋における商業の中心地として賑わいを見せていた。その後、隣接してファッションビル「メルサ」が開業し、若者文化の拠点としても機能するようになり、お歳暮シーズンともなれば客が殺到する光景が見られ、名古屋の百貨店文化を牽引する存在だった。

 

1973年、名古屋駅前のシンボルとして誕生したのがナナちゃん人形。身長6メートルを超える巨大マネキンは、以来半世紀以上にわたり、待ち合わせの目印として、また季節ごとに衣装を変えては名古屋の街を彩ってきた。

 

自分が二十歳前後の頃は、名古屋駅での待ち合わせと言えば「ナナちゃん人形で」が定番。

人混みの中を歩くと、そこにはいつもナナちゃんがいた。そんな記憶を持つ人は、自分だけではないはず・・。

 

昨年発表された71年の歴史に幕を下ろす閉店のニュースは、時代を共にした多くの人が寂しさ覚えただろう。今日、久しぶりに立ち寄った店内は閉店セールもあってか混雑していた。メンズ館6階の連絡通路では「71年分の歴史展」が開催され、過去の包装紙や写真が展示されていた。昨年末には、ナナちゃんが52着の衣装を映像技術でリアルタイムに早着替えするという史上初の試みも行われ、半世紀にわたる歩みを振り返る特別な演出だったと聞く。

 

帰り際、ナナちゃんにカメラを向けた。

 

名鉄は再開発計画の見直しにより、ビルの解体を延期し、ナナちゃんは当面この場所に残ることが決まっているようだ。閉店後も低層階で商業活動が続けられ、ナナちゃんは「今のまま、名古屋のシンボルとして活躍してほしい」と名鉄社長が語っていた。

 

時代は変わっても、この街の記憶を体現する存在として、ナナちゃんは立ち続けてほしい。変わりゆく名古屋駅前で、変わらずに立つナナちゃんの姿は、これからも多くの人が心を寄せていくに違いないと思う。