本著を推敲するに当たり、主人公を荻村と決めたのは卓球好きな筆者や主人公にちなんでのことです。

 故「荻村伊智朗」氏

です。

 元世界チャンピオンで、世界卓球連盟会長まで務めるほどのレジェンドです。

 皆笑いますが、彼は

 「卓球を通じ世界平和を実現させる!」

を信じ自らの命をかけて活動していたように見受けられました。

 「ピンポン外交」

 ご存じでしょうか?

 1971年名古屋で開催された世界卓球選手権において、当時国交のなかったアメリカと中国が友好関係を築くきっかけとなったのがこの大会でした。

 当時中国は文化大革命まっただ中ですが、6年ぶりに世界卓球に復帰しました。

 それは、荻村伊智郎氏が熱心に中国中央政府を説得したからです。
 北京まで足を運び、周恩来首相(党主席は毛沢東さんです)と面談、強く説得したそうです。

 大会では恐らく

 「西側諸国と話をするな!」

とか言われていたと思いますが、アメリカ選手が間違って中国の選手団バスに乗り込んだところ、中国選手が親切に対応したということです。

 それを随行していた監視人が毛沢東主席に報告、毛沢東から時の大統領ニクソンに連絡

 「アメリカの卓球チームを中国に招く」

という快挙の実現となったのです。

 これには世界中が驚きました。

 当時、副主席鄧小平に

 「以小球推动打球(以小球推動大球)」

と言わしめることになりました。直訳すると

 「小さな球が大きな球を動かす」

 こういうことですが、本当の意味は次です。

 「小さなピンポン球が大きな地球を動かした」

 この言葉を話したり書いたりすると、筆者は胸が熱くなり涙が出てしまうのです泣


 これだけではありません。

 ピンポン外交からちょうど20年後、1991年千葉で開催された世界卓球でのことです。

 韓国と北朝鮮が南北統一チームコリアとして参戦したのです。

 これも荻村伊智郎氏が北朝鮮に何十回も出向き(韓国経由で結構危険な方法で入国したという噂もあります)、説得したとされています。

 女子団体は統一チームが世界最強の中国を決勝で3-2で破り優勝しました。

 会場では統一国旗が振られ、試合後は誰からともなく

 「アリラン(朝鮮の民謡)」

が合唱されました。

 ↓表彰式

 

以下の写真はyoutubeから拝借しました。恐らくコリア系の方のアップです。
(666) 1991年千葉世界卓球選手権大会 南北統一チーム『コリア』女子団体優勝 - YouTube

↓勝利の瞬間 ラスト5番手 ユ・スンボク 2(21-19, 21-19)0 高軍 激戦でした。

 

​↓KOREA IS ONE​

 

​↓統一国旗が初めて使用されたようです。​


 筆者はその瞬間

 「間もなく統一されるな」

と確信したほど感激しました。

 この話も時々飲みながらしますが、聞いている人は皆、涙をこらえるのに必死の感じが伝わってきます。

 南北統一チームが世界戦前の1ヶ月半前から千葉県市川市で合同合宿を行ったところからの映画があります。


 「ハナ~奇跡の46日間」

 ハナ 〜奇跡の46日間〜 - Wikipedia
 
 ~「ハナ」は「ひとつ」という意味だそうです涙

 筆者は上海から日本へ一時帰国する東方航空の機内で見たのですが、何度も泣いてしまいました。
 隣に座っていた若い中国人女性から「へんなオッサン」という感じでチラチラ見られました汗

 ところがです。

 1994年12月、荻村伊智郎氏は61歳という若さでこの世を去りました。


 「彼が生きていたらどういう世界になっていただろうか?」

 「朝鮮が南北統一されていたでしょう」
 「ウクライナ侵攻もなかったでしょう」

 このように思えてしまうのです。

 世界平和を実現しようとした荻村伊智郎氏と卓球……

 しかし遺憾なことに1980年代前半、あるお笑いタレントにより

 「卓球はネクラだ!」

と誹謗中傷され、何十年に渡り辛酸をなめさせられるハメに陥るのです。

 この話は美談に水を差すので別の機会に述べることとします。

 最後に筆者の宝物です。
 ↓

 

 故荻村伊智郎氏から1980年にいただいた色紙です。

​ 出身地のジュニアボードで講演されたとき、卓球好きのメンバーから誘われ同席させてもらいました。

 荻村氏の息子さん(筆者より学年でひとつ下)によると、

 「このサインの絵は珍しい」

とのことでした。

 講演はもう夢の中に吸い込まれたみたいな不思議な感覚でした。

 「人前でこんな風に話せたら凄いな~ 夢のまた夢だけど……」

 そう思いながら聞いていました。

 そんな筆者は先月もある経営者懇談会で、


 「中国ビジネスの実態と勘所」

 こういうタイトルで講演することになるのです。あれから40年以上か……

 「主人公の名前の由来 その2」は次回お伝えします。

 ではまたお会いしましょう。
 再見!