悪夢のサッカー大会 | みんな、大丈夫。

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「生きづらさ系アーティスト」として活動しております。

小学生の頃、自治体対抗サッカー大会というものがあった。

その大会は、4年生以上の男子が全員、強制参加。

2年生の頃からクラスでいじめを受けており、加えて運動神経も悪い私にとって、それは生き地獄そのものだった。

いまを遡ること、20年前。小学校4年の秋。

私は、煉獄の最深部で、我が魂を屠り尽くされた。

 

※ ※ ※

 

 

大会の一箇月前から練習。それも、放課後に。

予感していた通り、練習初日で早くも、私は戦力にならないと皆から判断された。

それにより、クラスのみならずチーム内でも、更なるいじめを加えられた。

 

有無を言わさずゴールキーパーに指名され、皆からのシュートを至近距離で浴び続けた。

執拗に局部を狙いすましてくる上級生もいた。

 

練習試合に於いて面白半分でグラウンドへ駆り出され、約束のようにヘマを犯せば、

「オマエはボール以下だ」と言われ、チーム全員から代わる代わるに烈しく蹴り飛ばされた。

 

引率者は、キャプテンを務める生徒の父親。しかし、日中は会社へ勤務しているため、練習を見に来ることなどできない。

おまけに、主催は学校であるにもかかわらず、《自治体対抗》とうたっているため、なぜか学校側は一から十までノータッチ。

実質的に関与していたのは、練習場所を小学校の校庭と定めていたことぐらいか。

 

 

※ ※ ※

 

 

一箇月に及んだ地獄の日々。

そして迎えた、大会当日。

 

私の所属していた自治体には、サッカーの得意な生徒が多数いた。

彼らは、私を蹂躙したときと同じ爛々とした目でボールを追い、シュートを決め、父兄や女子生徒たちの歓声を浴びていた。

更にどうしたことか、私たちの自治体チームは、優勝を果たしてしまった。

周囲が歓喜に咽ぶ中、私は、何らの感興も抱かなかった。

 

大会終了後、学校近くのファミリーレストランになだれ込んで会食。

更にはその後、誰が言い出したのか、自治体にある商工会議所めいた場所で

「祝勝会をやろう」という流れになった。

私はただもう、うんざりしていた。

自分に対して道具以下の扱いを続けた人間もどきたちと同じ空気など、たった一秒でも吸いたくなかった。

 

 

※ ※ ※

 

その祝勝会でも軽食を済ませた後、子どもたちだけで「ハンカチ落とし」をすることとなった。

 

ゲームが始まり、10分程が経過した。

 

私は背中越しに気配を察知した。

ハンカチが落とされた━

予感は的中。私は真綿色のハンカチを拾い上げ、皆が成した円を廻る。

 

暫くして私は、キャプテンを務める6年生・田川の後ろに、ハンカチをそっと置いた。

試みは成功し、「鬼」は私から田川に交代。

そして田川は、チームきっての韋駄天・寺沢の後ろへハンカチを置いた。彼と田川は、学年もクラスも同じであった。

寺沢がそれを瞬時に察知。

田川が逃げる。寺沢が追いすがる。そのときだった。

 

 

田川が、近くに置かれていたホワイトボードの脚につまずいた。

全員が、裸足で興じていたゲーム。

右足の親指から、夥しい量の血が流れていた。

 

勝利の余韻による歓喜が、たちまち、困惑の釉薬によって上塗りされた。

寺沢が、ハンカチで田川の足を押さえる。真白なハンカチが、おぞましいまでの速さで彼の血を受容する。

 

2、3分後、慌ただしい足音が室内を支配する。

事態の危うさに気付き、誰かが呼びに行ったのであろう。数名の父兄が駆けつけた。

彼らが救急車を呼び、田川は搬送された。

 

私はその一部始終を、なすすべもなく呆然と見ていた。

 

周りを見渡せば、誰の表情からも、数時間前の喜悦が霧消していた。

滲出しているのはただ、やり場のない欠乏感だけだった。

 

やがて誰からともなく、それぞれ家へと帰り始めた。

 

 

※ ※ ※

 

 

帰宅すると、両親は外出しており、不在だった。

予期せぬ形で到来した、地獄からの解放。

 

クラスでのいじめと、サッカーチーム内でのいじめ。

すべての辛苦が2乗となって私を打擲し続けた、あまりにも忌まわしき日々。

それの終焉は、私に微かな安堵をもたらした。

 

「...やっと、おわったんだ...」

 

虚空に向かってそう投げたとき、インターホンを乱打する音が聴こえ、安堵を真っ向から打ち砕いた。

 

 

「おいコラ!! ゴミ!! 出てきやがれタコ!!」

声の主は、寺沢たちだった。

 

「さっさと開けろバカヤロウ!!」

 

この上なく陰鬱な心持ちで、私は玄関のドアを開けた。

両親の居ない家は、私にとって最も、心の風通しが良い場所。

そこを誰にも、穢されたくはなかった。

両親の罵声や暴力から逃れられている貴重な「いま」を、踏み荒らされたくなかった。

 

 

「おいコラ!! シュウちゃん(田川のあだ名)があんなことになったのは、全部オマエのせいだからな!!」

 

 

「テメエがシュウちゃんにハンカチ落としたせいで、あんなことになったんだ!!」

 

 

「おいオマエなあ!! シュウちゃんがサッカーできなくなったら、全部オマエの責任なんだぞ!!」

 

 

「そしたらオマエ、マジで死刑だからな(笑) おれたちが殺してやるよ(笑)マジ覚悟しとけよ(笑)

ハイ死ッ刑!! 死ッ刑!!  おいクソが!全部オマエが悪ィのに何泣いてやがんだよギャハハハハハ!!!」

 

 

彼らは、間断なく罵声を叫喚し続け、更には私の顔へ唾を吐きつけた後、満足気な表情を携えて帰宅した。

 

名状し難い錯雑とした感情が、私の内側に黒々と拡がった。

 

憤怒、焦慮、困惑、悔恨━それらが混在し、私の細胞を虚無の色に染め上げた。

 

とめどもなく、涙が溢れた。

 

声を上げて、泣いた。

 

泣くことは、あまりにも久々だった。

何年もいじめられ続けていたため、私の感情はいつしか、完全に鈍磨していた。

泣くということ自体を、忘却していた。

家でも、物心ついた頃から「男なら泣くな!!」と叱咤され、落涙や悲哀の統御を余儀なくされ続けた。

 

 

━ウマレテコナケレバヨカッタ。

 

 

両親は、一体いつ家に帰ってくるのだろう。

私が泣いている様子を直視すれば、彼らは必ずや、涙の理由を、怒声混じりで難詰する。

 

すべてを話せば、また面倒な事態を招来する。

否、そもそも「人の話を聞く」なんて行為が辞書にない彼らのこと。

そう、初手から私に発言権など無いのだ。考えるだけ徒労。

「顔を洗ってた」とでも言っとけば、どうにかなるさ━ (了)

 

(筆者註:当記事に於いて用いた人物名は、すべて架空のものです)