ず~っと興味があった「瞑想」 (なぜか突然瞑想の話しになりました)笑
10年ほど前に瞑想教師に教えてもらったり、インド帰りの人から話を聞いたり
「悟り」に関する本を読んだり。
もう忘却の彼方ですが^^;
甘酸っぱい恋のように、悟りに憧れていたのかも知れません。
でも、まったくもって理解不能で、そういう精神世界から逃れたいと思うようにもなりました。
逃れようと思うと、逆にまた執着が湧いてきて(~_~;)
悟ろうと思うと悟れず、悟ろうと思わなければ悟れない。と誰かの言葉がありましたなぁ~~。
今ならなんとなくわかります。
自我や思考をしずめて、海の底のような悟りの境地へいけば、すべてが理解できて、至福に至る。
そんなふうに思いこんでました。
それを追及して自我をしずめることこそ『その方法』と。
だけど、面白いことにちょっとしたはずみで垣間見るというか気づくと、その自我というのが幻想で、
幻想を消そうとしてるんだから、無いものを消そうとしてるんだから、所詮無理な話しで
私は悟ったと言う時点で、私があるのですから、本末転倒、のれんに腕押し?ちょっと違う(笑)ミイラ取りがミイラ?(もういいですね)
あると思いこんでるないものと取っ組み合いしてるような。。。。(^O^)ちょっと待てよ~~的な?
そこんとこに気が付くと、ちょっと楽ちんになるかな?と思ったりします。
ど~なんでしょう?おやすみなさい