小学校に入ると、親の仕事が遠い現場だとしても


学校優先になったため仕事に連れて行かれることは


全くなくなった。


そのころ親の仕事も忙しかったのか、ほぼ毎日朝起きたら


親父もオカンもいなかった。


テーブルに朝飯とその日の晩飯が用意されてる毎日。


もちろん学校から帰ってきても誰もいない。


現場が遠いと帰ってくるのが夜中だった為、何日も顔を


見ることがない日々が続くこともあった。



小学校1年生2年生の記憶は、とにかく一人ぼっちの


記憶しかない。



それ以外で唯一ある記憶が、小学校2年生のとき


人生で初めて殴り合いの喧嘩をしたことだ。


もちろん保育園で喧嘩もしてたけど、相手をかきむしったり


髪の毛ひっぱったり、砂かけたり程度だった。


しかし小学校2年生のときに、隣のクラスのY氏をグーで殴った。


もちろんなぐれれた。


俺は結構小さいときからガタイはよく力もあった。


Y氏と殴り合いの喧嘩をして俺が殴った一撃でY氏は


吹っ飛んで机に額を打ちつけ血がでていた。


人生初殴りあいをして相手に血をださせたことは


当時の俺には結構衝撃的だったんだろう。


ただいい気分はしなかった。先生からは怒られ


オカンに告げ口されオカンからも怒られた。


もちろん親父からもまた怒られると思いきや


親父が発した第一声は「勝ったのか?」


俺は「勝った」と答えたら褒められた・・・



保育園のときの俺自身の性格というのは、ホントくそガキでした。


保育園で喧嘩ばっかりしてた。ちょっと気に入らないことがあれば


よく砂場の砂を投げつけてた記憶があります。


他には、ちょっと買い物についていってオモチャをねだるんですが


もちろん買ってくれません。


そんなときは、おもちゃ売り場で延々泣いていました。


今一児の父親になって思うのですが、ホントうちのオカンは死ぬほど


大変だったと思います。


あと、よく悪戯もしていました。俺のお気に入りのアイテムが


パチンコでした。ゴムで石を飛ばすやつ・・・ これが結構強力で


よく自分の家の窓ガラスや他人の家の窓ガラスをわって


オカンにめっちゃ怒られて、オカンと一緒にガラスを割った家に


謝りにいって、その後親父からぼこぼこにされました(笑)



俺はかなりの勢いで短気でした。ちょっと自分の気に入らないことが


あればすぐ物にあたってました。


たとえばゴミ箱を蹴っ飛ばして、そのゴミ箱が窓にあたり


そのまま窓ガラスが割れるとか、障子やふすまは365日24時間破れてました。


窓ガラスはよくダンボールで応急処置されてましたね。


そしてまた親父にぼこぼこにされる。自分が悪いんだけど


親父は恐怖でした。



今じゃ昔の短気がウソのような人間になしたけど昔はひどかったです(汗)


でも子供って学習能力がないのか、なんなのか分からないけど


同じ事やるんですよね。。そしてまた同じように怒られる毎日。




俺の親父は、むちゃむちゃ怖かった。


親父も昔はかなりヤンチャだったらしい。


親父の肩には20センチをどの傷がある。


何の傷かというと若いころ日本刀で切られたらしい。




そんな親父から


今で言えば虐待?っていうようなことも


日常的に受けてたと思う。


当時は今と違い普通に教師が生徒を殴るとか


も普通にあったし、虐待という言葉自体浸透してなかった。


でも今思い返しても俺は虐待を受けたとは思ってない。


何故なら俺もそれだけ悪いことをしてたからだ。


とはいっても、まだ小学校にも上がらない


ガキの俺だからやることは可愛かった。


でも、それ以上に親父の怒りは今考えても


ありえなかった。



たとえば、俺が何か悪いことをすると


普通に鉄拳がくるだけじゃなく数十回もの


蹴りの嵐(めちゃめちゃ痛い)


それでも、親父の怒りが収まらないときは


泣いてる俺に向かって「うるさい」と週刊誌やライター


とにかく身の回りにあるものを投げてくる。


たまにこれが顔面に直撃しては唇がはれ上がり


数日マスクをして外出をするなどしてたものだ。



よく夜中家の外に締め出されるとかもあった。


しかも2時間や3時間も!親父が寝たら家に入れる


という感じだった記憶がある。



とにかく恐ろしかった。たまに親父がいればそうやって


殴れるから家にいるときには、帰ってこなければいいのに


と思っていた。


でも、やっぱ家に一人はさみしかった。


そういう葛藤を抱いて生活していた。



でも、そんな親父でも今思えばすごい可愛がってくれたんだと


思う。


実家には俺が生まれたころや小学校くらいまでの


ビデオテープがある。


今ではすごく当たり前のように親が自分の子供を


ムービーに収めているが、昭和の時代ビデオカメラと


言えば大層高価なものだった。まず持ってる人がいなかった。


俺の家はどちらかと言うと貧しいほうだった。


小学校にも上ってない俺を夜中まで放っておいて


両親が働きに出ないといけないほどだった。


今でもその話になると親父は、「あのデッカイカメラを


担いでお前を撮ってたんだ。めちゃめちゃ大変で・・・」と


酔っ払っては話する。


(当時のカメラはどこのテレビ局の人ですか?といわれるくら


でかかったし、重かった)



楽ではない家計をやりくりし俺のためにそんな苦労してたんだ


と、あとで話を聞いてうれしかった。