俺の実家の近所には同年代の子供が10人以上はいた。


でも、俺はみんなとは違った。


何故なら、みんなは幼稚園に通っていたし


幼稚園は4歳(?)から


でも俺は生後半年で保育園。



4~5才くらいまでは親父の現場が遠ければ


連れて行かれたが、6歳くらいからは連れて行ってくれない


日々も増え始めた。


そんなときは、一人で家に帰ってくる。


たまに近所のおばちゃんが迎えにくることもあった。


もちろん親は仕事だから、家には誰もいない。


近所の子供は、幼稚園だから昼過ぎにには家に帰ってきてるから


保育園から夕方帰ってくれば、近所の子供同士仲良く遊んでいる。



もちろん俺も、その遊びの輪に加わるのだが


1時間もすれば、近所の子供の母親が


「ご飯できたから食べるよ~」と我が子を迎えにくる。


一人帰り、また一人帰っていく


俺は何時になっても誰も迎えに来ない。


遊び相手もいなくなって、一人家に帰れば


朝方オカンが作っておいた晩飯が置いてある。


もちろん電子レンジなどないから、冷たい。。。





一人で食べる。




正直、めっちゃ寂しかった・・・・





今思い出しただけでも、当時の寂しさが


こみ上げてくる。




当時はめちゃめちゃ自分の親が憎かった。









俺の親父は、建築の自営業を営んでいて


うちのオカンも毎日のように手伝いに行っていた。


となると、俺はいつも保育園に預けられる。


話によると生後半年ですでに保育園に預けれれてた。



親父の職場は常に現場になる。


しかも現場は、九州や中国地方いたるところに行くわけだが


たとえば福岡から鹿児島とかになると


深夜0時とかに出発して翌朝7時とかに鹿児島につくような


感じで相当遠い。(もちろん下道)



そんなときは、さすがに俺も保育園には預けられずに


一緒に現場に連れて行かれていた。


もちろん両親は仕事をしてるから、俺はその辺で遊んでおけと


放置されるわけだが、これがなかなか楽しかった記憶がある。




今考えれば、まだ小学校にもあがってない様な子供が


工事現場で遊ぶっても今じゃ考えられないだろうね。


きっと今なら現場に入ることすらできないと思う。


やっぱそこは昭和だからかな(笑)






一人で遊ぶんだが、そこは工事現場、いろんなものがある。


俺の一番のお気に入りは、カナヅチと釘だった。


いたるところに釘を打ち付けてよく起こられた(笑)


ただ、やっぱり釘を打つのも飽きる。そうすると知らない町(町といっても


郊外が多かった)をブラブラ散歩する。




一人ぼっちで一日時間をつぶしていた訳だから


忍耐強い人間ができそうなんだけど、今の俺は


忍耐のかけらもないような人間になってしまった・・・



親はもちろん仕事してるから俺にかまってる暇はない


から、一人ぼっちで寂しい思いしかないけど、


保育園に行かないでいいことがすごくうれしかった。

 



今思えば、うちはそんなに裕福な家庭ではなかったから


親父も家族を抱えて生きていくのに精一杯だったんだろうと思う。


俺も社会に出て自分で稼ぐことの大変さを身にしみて実感する。







当然ながら産まれた後、数年間は記憶がまったくない。


ないけどあとから親や親戚から聞いた話によると


1歳~3歳くらいの間は、とにかく納豆が好きだったらしい・・・


勝手に冷蔵庫から納豆を取り出して、それを外まで持っていって


当然かき混ぜもせずにそのまま食ってたらしい。


ていうか、そんな小さな子供が外に一人で納豆持って


出て行っても全く気にしないうちの親は何なんだろう。。。


今の世の中じゃ、育児放棄とかなりそうだが


当時は当たり前だったようだ。 何故なら昭和だからだグッド!



まぁ、今の平成の世の中が俺には窮屈に感じるけど・・・




しかも、俺の親ときたら・・・


「あんたはよく外にいって、納豆食ってそのままうんこして


そのうんこ自分で食べてたよ。めっちゃ食いしん坊だったんだから」


と笑いながら俺に話してた・・・


ちょっっ!!!



いくらそれは昭和でもあり得ん!!!!


うんこ食ってる息子見たらとめろよ!!!!


さすがの俺もその時は、開いた口がフサガラナカッタ・・・