結論から書くと、私存在しないかの様に生きていた方がいいように思えた。

  なぜならば、何か月も前からの相談に職員のA氏は「時間を作る」と本人からおっしゃっているのに、未だに相談出来ず。

  私はなるべくスタッフさんの手を借りない様、自分なりにはしてはいる。周囲の方にはそうは思われてはいないが。

 ▲ 余暇時間、身体の負担(痛み、筋緊張、疲労、心の余裕)

 

 朝の挨拶を 知人Bさんにしていたら、A氏から「お世話ですか。」と言われた。

 私は悲しい気持ちになった。見えづらさを持つBさんに近距離で接していた。

 

 私は今日、係の職員とも最小限の関わりにした。

なんとなく人と接さない方が自分のストレスが減ると感じたから。

 

 今日私の係だった方もきっと他の事に時間を使えただろう、

 

塔の上は休憩時間以外でも喫煙は可能みたいだ。(ストレス解消、気分転換になるなら良いとは思う)

 

 きっと上記の様な生活を続けていると心身は壊れるだろう。

 

 しかし、人間関係のストレスは多少なり、減る。

 

 私は毎日ここで生活をしている。(時間は有限なのだ)

手を借りる数が多いと嫌われるかもしれない。

それならば、私は透明人間になれたら楽であろう。

 

 スタッフさんにこの場を借りて改めて感謝申し上げます。

 

 私、人なんです。 操り人形ではないんです。

 

 スタッフさんは、お仕事で塔の上に来る。

 私には、生活、そして生きる為の場所なのだ。

 覚悟が足りないのかもしれない。嫌われても介助を依頼する、周囲の目。

 

 人が私をどう思うか、人が何を言うかは変えられない。

 

 変えられるのは自分だけ。

 堂々と生きる覚悟。嫌われる勇気。

 私は介助をお願いします。ありがとうございます。が言える。

 

 私が誰とどう関わるかは、私が決める事。

 

これは6/5の出来事でした。(書くのに時間を要する為)

 落ち込む時ありますよね。

 

 どこに居ても笑顔で過ごしたいものです。

 

 塔の上の友人と久しぶりに話が出来た。

 私の部屋の外にあるペパーミントが見れた。

 ちゅらさんを見れた。

 

 いい事もあったこと思いだしました。

 

  今日1日が皆様にとって良い日でありますように。

  世界が平和になります様に。