先週からずっと待っていた 『阪神・淡路大震災から15年 神戸新聞の7日間』
スタート時間前からテレビにスタンバイしていました
当時 社会人になって1年目だった
ダメ妻
自宅をいつも出発するのが朝の
7時20分過ぎだったので 起床時間は5時半過ぎ
あの日の朝 いつもと同じように洗顔しようと洗面所に向かっていたら…
なんだか 地鳴りがしたような気がして しばらくすると家全体が大きく揺れました
(我が家は震度4ちょっと揺れました)
地鳴りがするなんて今までの地震ではなかったしその後慌ててテレビのスイッチを
でも ただ地震があったとしかの情報しかないんです
当時私の父は神戸市内のとある都銀の支店長をしていて
自宅からは1時間15分かかるので通勤範囲内ではありますが
銀行より支店長寮の入寮辞令もあったので1週間の半分は寮で過ごすこともあり
月曜は車で出勤することもありましたが当日は珍しく父は
で通勤
先に父を母が駅まで送り届け 私は朝ごはんと出勤準備をしていると
お家の
電話が6時半過ぎになりました
神戸市内に住む父の支店の部下の方からでした
『支店長いらっしゃますか
えっ、もう出かけられました
想像以上のすごいことになってるんです
あちこち燃えてる火も見えますし とにかくこちらに到着も時間がかかると思います』
電話も切った後に 震源地の神戸はどうなってるん
強く感じた一瞬でした
その後 電車も動かず父は帰宅し 母の車で出勤するとのことで
別の銀行に勤務していたアタシを支店まで送り届け その後 父は神戸市内まで
姫路市内でもガラスが割れているビルなどあり支店に到着したのは
8時半過ぎで 電車が動いていないため出勤出来ていない人も多くいました
なんとか開店時間の9時には銀行のシャッターを開けてスタートしましたが
その時間帯にはテレビでも神戸の悲惨な状況が目にできました
学生の時に毎日歩いた街並みが茶色と黒とグレー 色があっても燃える炎のみ
銀行のオンラインも余震のたびに落ちてしまい 緊急時のオフラインに切り替えたり
バタバタしていたのを今でも鮮明に覚えています
その後 幾日か過ぎて行くたびに 勤務していた銀行のなかでも被災者は多く
中には家族を亡くしてしまった人 そして 3人の社員の方も…
そして 同級生が地震直後に瓦礫下から発見されたり…
短大卒業後 料理の専門学校に通学していた親友は 岡山の実家に帰る為に
神戸の東灘区から自転車で避難所を転々とし
ある時は病院の診察室で一晩泊めてもらったり いまだにどん底に落ちても
みんな助け合う力は忘れられないって言います
我が家も母が毎日遅くに帰宅する父が独身寮にいる部下を順番に毎晩連れて帰り
お風呂や洗濯 そして翌朝にはたくさんの
おにぎりや食べやすいように
だし巻卵や
ウィンナー、
唐揚げ、
カップメン、
そして
ミネラルウォーターをたくさん毎日用意して父に持たせていました
ドラマを観てる間 いろんなことが頭を駆け巡り 涙が溢れてきました
何度も何度もドラマの中の話と当時の記憶が交差して…
もしかすると 街並みの元気になった姿に風化しそうになっていたこともあるかもしれない
うちは大きな被害を受けたわけではないけど 身近な人達が多く被災者で
その実態をすごく知りえたということ
今 思うのは助け合う心や希望はどんな状況であってもいつまでも持てる
平凡でもそんな人でありたいなって思います
勤務していた銀行では1月17日には全支店で開店前に全員で黙とうし、
各支店で白を基調としたお花をディスプレーし あの日をいつまでも忘れない
ちと長くなりましたが 15年経過しても みんなの想いの中には
あの日のことはいまだに鮮明に昨日のことのようにあるということ
消してはいけない記憶
改めて強く感じた 嵐の桜井君が主役のドラマでした
ではでは また 次回まで 
