辛い。

自分の人生はどこに向かっているのだろうかと思う。

先が見えない、希望がない。

昨日むつみからメールが来た。ビデオが欲しいとのこと。
相馬のビデオがとりたいとのこと。

いろんな感情がこみ上げてきた。
そこには温かい気持ちもあったが、そうでないものも確かにあった。
必要なことだけを要求し、こっちの気遣いも無視された。
そういったところが小さいと分かってっても。

今自分の子供は蒼馬だけでありこれからもそうでありたい。
でも自分はあの子のことを何も知らない。

希望が見えない。

書くことがやつれてきた。





自分は何のために生きているのか。


「そんなこといわんと」といってくれる人間はいるが、近くにはいない。



辛い。


仕事も辛い。



一生懸命になればなるほど裏切られる。



怖い。


自分は小さい。




くそったれ。
決意します。

一日にいろいろな制約をしてしまうと返って逆効果。
最近は基本的習慣がやっと身に付いてきたようなので新たな挑戦!!!

①まずは家で仕事をしない。仕事が残りそうならやって帰る。
②毎月水金日最低20分は走る。
③毎日記録をつける。

この3つにしぼって頑張ろうと思います。

ここ2日間クラブをやらなかったら76㌔になってしまった
最近は75㌔台だったのにと悲観になりつつも、やっぱりそれは運動しているからで、基礎体重ではないことに気づいた。そんなに甘くないか。

ということで20分間のランニングを決意。

頑張ってみよう。とりあえず1ヶ月様子を見て考えよう。

とりあえず明日!!!
人生を楽しむには人それぞれの望む価値観と、現実とが一致することが大前提となる。

こうであって欲しい理想、でもそうならない現実。そのギャップが埋まらないことが人生をつまらなくするのかもしれない。でも欲の強い人、弱い人などほんま人それぞれ。一筋縄にこの考えが正しいとは思わないが、ただ私はそう思う。

なぜなら、こうであって欲しいという願望が叶うということは、自分の思い通りに事が進むこと。いわば、文句無い人生ということだ。それほど幸せなことがあるだろうか。
何か辛いとき、思い通りにならなかったとき、それが積み重なるほど悲観的になる人は多いと思う。
そこに脱力感や、飽きなどといったマイナスの感情が生まれ、その悪循環に浸ることによって、楽しくなくなってくる。子供のとき、クラブや勉強が嫌になることはこの理に叶っているといえないだろうか。
そのために大事なことは、自分にとっての頑張れることを見つけることが大事なこととなり、それを実行する覚悟、意志が必要となってくる。

自分の人生を振り返ってみると、24年間でいろいろと充実度の浮き沈みはあった。
小学校まではそこまでそんなことは考えず、ひたすら誰かと遊ぶことによって楽しみを得ていた。
中学校に上がり、友達関係のもつれなどから人生に悲観的になったこともあった。その頃はただ遊ぶだけでは満足できず、法を犯すスリルなども楽しんでいた。そして何かに打ち込むということも無く何気なく3年間が過ぎていった。
高校に上がり新しい友達もでき、遊ぶことに新しい刺激が生まれた。自分の悩んでいることなどを共有したり、楽しいことを共有したりと、今までとない友人関係を作ることができ非常に充実した3年間となった。この3年間では友達と遊ぶことによって自分を軌道修正させ人間力を成長させた。恋愛をすることで新しい感情が生まれ誰かを愛するということの楽しさ辛さを知った。クラブをすることで時間の経過というものを無駄にせず、集団の中の自分の役割というものを学んだ。受験を経験することで、自分の中の弱いところを知り、向き合って立ち向かう勇気を学んだ。
これらのことから、誰かを思い、自分で考え、努力し成長させる大事さを学んだ。
これらのことから充実した時間を過ごすことができた。人生に前向きに考えだすことの第一歩怒鳴ったのではないかと思う。
大学に入学し人生で初めて退屈というものを味わった。受験によってその熱が冷め、行動力を失い、地元に依存してしまったため友達というものができず、自分のからに閉じこもってしまった。大学の4年間では確かに退屈な時間を過ごしすぎたが、その中で改めてそれまでの人生がいかに幸せだったかを感じた。そして無気力という言葉の辛さを知った。
このときは人背に悲観的になり、無差別に自分以外を否定し続けた。だから成長を失いただの大口となってしまった。だがその中での出会いは大きく自分に刺激を与え続けた。
そして社会人となり大きな期待を胸に今も仕事を続けているが終着駅を失っている状況で必死にもがいている。このまま終われるかという気持ちは胸に今も抱いている。

必死で何かをやっているというときは自分の人生は楽しく感じ、そうで無ければあまり充実していると思わない。

じゃあ、何をやればそこまで打ち込めるのか。やることやいっぱいあるがすべての人間が、すべてのことに打ち込めるという訳ではない。
なので人生が楽しいと思っている人間を自分の知っている限りで振り返りそれを何パターンかに分類してみる。
その1
自分の趣味に没頭していてる人間。もしくは何かしらの趣味がある人間。
その2
自分の仕事に熱を入れて、それに人生をかけている人間。
その3
自分の家庭を大事にしている人間。

その3つがあげられる。この3つに該当すれば何かしら充実感は生まれてくると思う。
ただし、このことには条件があり、すべてを叶えるのにふさわしい人間、そうでない人間というのがあると思う。
自分を自己分析してみると、仕事には誇り、向上心を持って取り組める。妥協は許されない。しかし自分の趣味という物については、妥協というものが生まれ理想とは遠く離れていってしまうことが多い。そして家庭については一度失敗してしまった。人間一人一人には性格というものがあり、向き不向きがあると思う。そして住んでいる環境というものも大きく影響してしまっている。
自分がその2というものに妥協をしてしまうのは、住んでいるところが原因となっている。友人が住んでいるところが遠く、自分の地元でもない。だからこれをやろうと思ってもなかなか行動できないことが多い。かといって一人ですることもなかなかできない。
その3については、家庭というものは1人では成り立たず、誰かと時間を共有しなければならない。自分の性格上、パートナーとそのお互いの人間というものを理解できなかった。

という結果になった。だから自分に今ある仕事熱というものを失った瞬間自分の人生は終わってしまう。


多くの人間がこれに当てはまると自分は思う。簡単にやることが無くて何が楽しいのか。辛いことしんどいことたくさんあるが、だからこそ成功という二文字があると思う。
その成功のために努力でき充実が生まれのである。

後はその人生悔いなしと思える覚悟が必要であり、こうかなぁ、あれかなぁというぶれがあるとどれだけ自分の道を究めていても充実感や幸福感は生まれないだろう。