桐乃を異性として意識することは有り得ないと、桐乃本人に言うことができるかどうか。
『できる』――喉もとまで迫り上がってきた言葉を、あろうことか俺は呑み込んだ。
愕然としたね。
黒猫に嘘を言うことは簡単だ。でも、自分は誤魔化せない。
俺は泣きじゃくる桐乃を思い描いて、そんなことは『できない』と思った。思ってしまった。

黒猫は一瞬顔をくしゃっと歪め、すぐに持ち直すと、

『それがあなたの答えよ。認めてしまいなさい。"客観的"に見て、あなたの、あなたの妹に対する独占欲、庇護欲は、シスコンの限度を逸しているのよ。あなたは自分が妹を性的な存在として意識している事実から、これまで必死に目を背けていただけ。でも、良かったわね。あなたの妹は、あなたに異性として愛情を注がれることを何よりも望んでいたのだから。何も問題はない……そう、何も問題はないわ』 

伝票を手に、席を立つ。
待ってくれ、と呼びかけた俺を、黒猫は濡れた瞳で一瞥し、

『予言はある意味で正しかったと、あなたの妹に伝えておいて頂戴。知っていて?"解呪"はあなたの妹にもできるのよ。むしろ呪いの上書きという意味では、わたしがするよりもずっと効果があるでしょうね』

踵を返し、去っていく黒猫。

追いかけなくていいのか、と心の裡で誰かが囁く。
なのに体はテーブルに縛り付けられたみたいに動かない。
それくらい、黒猫が俺に突き付けた『可能性』の衝撃は大きかった。

――桐乃は俺を好いている。それも、兄としてではなく、一人の男として。

その『可能性』は、確かに桐乃の不可解な行動原理を、綺麗に解き明かしてくれる。
桐乃が御鏡を彼氏に仕立て上げたのは、俺の嫉妬を誘うため、俺の妹に対する気持ちを確かめるためだった。
黒猫に告白されたあの日、家に帰ってきた俺を出迎えた桐乃は、俺が黒猫の告白に首肯しなかったこと知るやいなや、雰囲気を明るくした。
桐乃は恐らく安堵していた。
『俺が黒猫よりも自分を選んだ』と確信し喜んでいた。
だとするならば、今日の桐乃の黒猫に対する妙に物柔らかだった態度は、告白に失敗した友人への慰めとも見て取れる。

……なんだか馬鹿らしくなってきたよ。
俺は何を大真面目に、妹が俺を好きだという仮定で物を話しているんだろうな。
馬鹿馬鹿しさついでに、黒猫が語ったもう一つの『可能性』について考えてみる。

――桐乃がそうであるように、俺も実は血の繋がった妹を異性として好いている。

確かに客観的に見れば、俺の妹に対する独占欲、庇護欲は、シスコンの限度を逸しているのかもしれない。
留学したあいつを寂しいからという理由で無理矢理こっちに連れ戻したり、男としては完璧なスペックを持ち、『桐乃のことが大好きだ』と言ってみせた御鏡に、『お前に桐乃はやらん』と啖呵を切ったり……。
小さいことも含めれば、俺が桐乃のことでおかしくなっちまった例は枚挙に暇がねえよ。

でもな、黒猫。
お前がそのご立派な客観視で、俺と桐乃の関係を決めつけようと、結局最後にものを言うのは、俺の主観なんだ。
追いかけなくていいのか、と再び心の裡で誰かが囁く。

――追いかけるに決まってんだろ。

俺は喫茶店を飛び出した。