10月21日(土曜日)

今朝は朝の5時15分にアラームで起きた。いよいよ日本に出発だ。俺の日本のパスポートのラースとネームがXXmYY(XXnYY)と併記されているせいでUnitedのオンラインでパスポートをスキャンしてもNanbuと同一人物として確認できないために空港でチェックインしないと搭乗券が発行してもらえないというバカげた事になっている。息子を今起こしたが本当に6時半に空港に着いて無事に乗れるのか?結局名前の件は空港に行ってもUnitedの馬鹿なアテンドが事情が分からず4回も同じことを繰り返して結局マシーンではなく人にチェックインをやってもらってやっと搭乗券が貰えた。もとはといえば日本のパスポートの名前がNではなくMで記されたことが問題なのだ。文句を領事館に言ったのだが日本の記述方式ではMが正式な文字なので変えられないといわれた。しかしアメリカでの正式な書類はすべてNに統一されている。無理を言ってNの名前も併記してもらったが機械で読むと最初のNの名前が出てくるので予約の名前と違うとなって搭乗券が貰えない。帰りも同じ問題が起こるのかと思うと嫌になる。来年パスポートの更新時期なので再度領事館にNで統一できないか聞いてみるが、そろそろアメリカの市民権も取りたいのでこの際そこに集中したほうがいいかも。何とか飛行機に乗ってサンフランへ、取り換えが1時間しかないので結構急いで歩いて国際線搭乗口に行くともう自分の座る席の登場が始まっていてちょうどよかった。その後はさほど揺れることもなく関西空港に着いた。

 

10月22日(日曜日)

飛行機が関空に着いたら午後の2時半だった。入国審査官と税関は問題なく早く出れた。早速空港駅に急いでJRパスの交換の列に並んだ。思ったほど列は長くなかったのはラッキーだった。ここの列があまりにも長いと京都駅でやろうかと考えていたのだが、京都駅も外国人でいっぱいだろうな。JRパスは27日からなので今日の家までの切符はクレカで買った。京都駅で一旦下車して妹に頼まれたデパ地下のお土産を買ってコーヒーを2回飲んで8時の丹戸の海に乗って家に帰った。関空から8800円だった。デパ地下はいろんな誘惑的なものがものが多すぎてお金を大量に使ってしまう。お惣菜だけで6000円も使ってしまった。汽車の中で買った弁当と総菜の一部を食べた。飛行での食事はやっぱりひどいものだった。実家の駅に着いたら妹が待っていてくれた。妹の車で家に帰った。家に帰って105歳の母親に会いに行ったらちゃんと名前は覚えていたみたいで泣き出した。しばらく話して荷物をかたずけに裏の家に行った。小さな3軒の家が全て我が家なのだが古いし2軒は繋げたが3軒めだけは玄関が別だ。主にゲストハウスとして使っているので俺や息子たちが来た時に寝泊まりするところだ。買ってきたお土産を妹にすべて渡して少し母親の今後について話した。この話題で面と向かって話すのは今回初めてだ。妹もその気はあるようでこれ以上手がかかるようになると施設に入れないといけないというところでは意見が一致した。問題はお金ではなく近くの施設には空きがないということだ。お金の面では月15-20万が相場らしい。これは母の年金で払えるのでもんだいはなさそうだ。夜中にブログのアップデートをしようとしたが見事なくらいに周りにWifiがない。全くのゼロだ。しかもラップトップの充電も3本プラグからの日本仕様の2本に変換するアダプターを持ってこなかったので充電も出来なかった。明日買いに行かなくては。しかしネットの問題はどうすればいいのか?

 

10月23日(月曜日)

今朝は起きたら10時だった。よく寝たのかどうかわからん。昨夜は一時過ぎまで妹と話していた。急いで準備をして家を出てKs電気で電源プラグの変換機を買って少しぶらぶら歩きながら4年前にも行ったラブラドールという喫茶店に行った。一人だと窓際のスツール席に座らされる。年寄りには長く座っているとお尻が痛くなるがしょうがない。隅っこに陣取ってGatemaraのドリップと厚切りベーコンバーガーを頼んだ。バーガーはけっこな厚切りベーコンが2切れ入っていて、ビーフパテ自体も暑さがって食べるのに苦労したが、食べがいがあった。Gatemaraは結構スムースで適度に酸味があって飲みやすかった。ブログの更新中阿部ちゃんに連絡したら1時に会おうとなってここにもうしばらく長居することになった。1時に指定されたFujiという珈琲やに行ったが、なんとここがたばこのにおいがひどいところだった。幸いにも中にいる間に誰もたばこは吸わなかったが、店にいるだけでにおいが髪の毛、服についてしまうようなひどさだった。ちょっと話して夕方小料理屋中村にいるから来ないかと言うので6時ごろに行くと言っておいて家に帰った。彼は自転車に乗ってどこかへ行ってしまった。おれは家に帰って夕方まで妹と少し話をしていた。6時半になって中村に行ってみたが知らない女の人が一人いただけで誰もいなかった。阿部ちゃんは3時半ごろ着て少し飲んで同窓会の幹事会の段取りをするのにあっちこっち連絡をしてから帰っていったそうだ。俺も押しずしとタイのあらに、バイガイの甘煮ぶり大根等を食べて家に帰ってきた。なんかわびしそうな雰囲気で長居する気にはなれなかった。家に帰って少し母親と妹と3人で話したが、母親から帰ってくるのは同じ質問を何回も、何回も繰り返しで聞いてくることだ。裏の家に動いてい妹と二人で梨と柿を食べながら色々と今後について話した。今夜は早めに10時ごろにゲストハウスに帰って本を少し読んでから寝た。しかし夜中に熱くなりすぎて何回も起きる羽目になった。電気毛布は最低温度じゃないとだめだ。

 

10月24日(火曜日)

今朝もアラームは8時半に鳴ったのだが消して寝てしまい。起きたのは9時半だった。まず今朝はフリーのWifi探しながら駅の近くのエールと10番館へ。歩いている途中で信じられない偶然で高校の元カノのKさんと通りですれ違った。すれ違った舗道が狭かったのでマスクをしていたにも拘らず目だけで彼女だと分かった。向こうはまさかアメリカに住んでいる俺が実家に帰っているとは知らないのですれ違っても分からなかったみたいだ。俺が名前を呼ぶと向こうもわかったみたいでそのまま路上で話をする事になった。今働きに行く途中なので時間が無いと言われたので仕事が終わった後でもお茶でもしようかと言ったらやんわりと孫の世話があるから無理と言われた。結局むこうは別に長話しをしたい訳ではないらしい。五十年も経つとこんな物かとガッカリ。10番館は相変わらず外のベンチでもWifiが出来るが、エールの中はフリーWifiは見つからなかった。煉瓦亭を探して行ってみたが今日は定休日で残念だった。しょうがないので10番館に引き返しハンバーグ定食とシャインマスカットケーキでお昼を食べた。どうしてもネットなしてはtxtも何も出来ないので$50ぶんの高速Detaを買った。15GBで30日有効だ。本当に使えるかはこの10番館を出てからだ。色々と何でtxtもインターネットも日本で使えないのか昨日から色々考えて試してみたし、50GBの高速データも買ったのに使えない。午後は妹がどうしても親父の最後の銀行口座を閉めて全額出してきたいというので西舞鶴にもあるが場所を知らないので高浜迄出かけていった。結局妹は近くの銀行で他行の場所を聞くという恥知らずな事をした割にはうろ覚えで結局場所が分からず家に帰る羽目になった。途中で今夜のおかずを買って、ナガノパープルや巨峰や柿を買って家に帰った。携帯は全く理由がわからないのでTMobileのサイトをみているとリブートをしてみたらと言う項目が有ったのでダメもとでリブートしてみたら突然全てが出来るようになった。問題がいっきに解決した。ヤット普通に生活出来る。その後はいっきにメールやtxtメッセージが入って来た。西舞鶴の銀行の支店の場所も調べて置いた。その後はどんどん入ってくるメッセージの読み込みと返事で忙しかった。

 

10月25日(水曜日)

今朝は一旦暑くて朝の5時頃目が覚めたが寝直してアラームが鳴る8時半まで二度寝した。日本に帰ってきてから寝る時間だけは増えた。アメリカにいる時は5時間位が平均だったのだがコッチに来てから8時間以上は寝ている。そのうち体内時計が慣れてきてもとに戻るのかもしれないがその時にはアメリカに帰るときかもしれない。朝ご飯は昨日休みだった煉瓦亭に行ってモーニングセットとコスタリカで朝食兼昼食を。一時少し前に家に帰って今日は昨日失敗した銀行の西舞鶴支店で再度トライしたいというので出かけて行った。意外に平気な顔でハンコと申込用紙を書いて窓口で渡すと暫くしてはんこが少し書体が違うと言われたのでもうひとつの判子を渡すとそれが一致したみたいで案外簡単に死んだ父親の口座を解約してお金は少額だが無事に終了。夕食をエールに買いにったついでに折りたたみ傘も買って旅行に備えた。毎度の事ながらエールでは惣菜売り場で目移りがして沢山買ってしまった。豆腐の和え物、ポテサラ、中華サラダに魚の甘露煮と鯖寿司にちらし寿司。食べ終わったあとに何か込み上げてきてやってしまったと後悔。

 

10月26日(木曜日)

今朝はアラームは9時15分にかけたが、8時頃からうつらうつらし始めて妹が立てる音も良く聞こえていたが起きずに目を閉じていた。その内アラームが鳴ったので起きて着替えをして顔を洗って湯を沸かしてエセドリップでコーヒーを作り、食パン2枚焼いて朝食にした。今日は西舞鶴にあるユニクロで俺が買い物をしたいし、妹はしまむらで買い物とモスバーガーで食べたいと言うので11時ごろ出かけた。まずシマムラで妹が買っている間に自分のズボン下を買った。その後UNIQLOでTシャツ、カシミアセーター、フリースに裏打ちジーンズを買った。その後モスバーガーでハンバーガーを買って家に帰った。バーガーを食べたあとは妹はユタカで買い物に行くと言うので駅まで車に乗せてもらい、俺は駅でレイルパスを使って明日の朝の電車の切符を買った。全く問題なかった。その後歩いて市役所の隣にある赤煉瓦倉庫群を見に行ってみた。特に大したことはないが川口君へのお土産を買った。それからブラブラ歩いてイージス艦を見れないか裏手に回ってみたが何かフェンスが間にあって艦戦の下のほうは見えず上半分だけが見えた。何台か泊っていたが真ん中の船の艦橋の左にイージス艦特有のレーダーがあったので真ん中のがそれと分かった。それから珈琲屋を探してブラブラ歩いたが皆4時には閉まるので何処もダメだったのであきらめて前島埠頭のテニスコートまで行った。二人だけプレーしていたのでしばらく見ていた。その内一人にアドバイスがしたくなって困った。バックスイングで2度引きしているのだ。そのせいで深い玉が来ると振り遅れている。2度引きをやめれば余裕で振り遅れが無くなるのだが、見ず知らずの人に上から目線でアドバイスする訳にもいかないのでそのまままた歩き出して家に帰る前に駅のそばの煉瓦亭に戻ってきてコスタリカと和栗のタルトで一服した。その後家に帰って妹と夕ご飯を食べた。妹は変にこだわりがあって気が安まらない。しかしそれは我慢に我慢。

 

10月27日(金曜日)

今朝は朝の7時に起きて荷物のパックとおいていくものとを分けた。バックパックはスーツケースの中に入れて肩掛けバッグとスーツケースだけにした。8時半舞鶴発の特急で京都まで。結構人が乗っていたけど同級生がいたかは顔を見てもわからないので意味がない。京都に着いたらすごい外国人の数でここが日本とは思えないほどの人数だった。速足で歩いて新幹線乗り場に急ぎ余裕で間に合った。ホームには半袖、短パンの外国人がいっぱい!スーツケースを網棚に上げようと思ったら前の席の外国人が傘をさしたままスーツケースを挙げていて場所がなくしょうがないので足元に置いてひかりで名古屋まで。名古屋には11時半に着いたので余裕で予約を入れた松阪牛のすき焼きやに行ったら少し早かったけど席に座らせてくれた。少し早めが幸いして(12時を過ぎるとオフィスの人たちが昼ご飯を食べに来ていっぱいになった)席に座れた。注文した松阪牛のすき焼き食べ放題はとんでもない量のお肉が出てきた。鍋に山盛りに入った牛肉で舌が見えないだけでなく、一緒に2回目のお代わりもテーブルに置いていった。その量もすごい。ご飯や茶わん蒸し、みそ汁も食べないで頑張って牛肉を食べたがお代わり分は半分までしか食べれなかった。食べた後お腹がおかしくなりトイレに行って出すものを出して名古屋駅に戻った。その後簡単に珈琲屋が見つからず早めに関西線のホームに行く羽目になった。快速はすぐに来て乗って2時にか桑名についてしまった。ホテルのチェックインには早すぎるが荷物だけでも預けるつもりでホテルに行くと、ホテルのサイトで予約を入れたので特別に早くチェックインをするといわれてそのままチェックインできた。最上階の8階に行くとまだ階の半分は清掃の途中だった。部屋に入って全てチェックしてシャワーを浴びて髭をそり今夜の集まりに行く準備はできた。川口君には桑名に着いたときにメッセージを入れて置いたら4時にホテルに迎えに行くと帰ってきた。その後メールのチェックや明日の予定の確認をしていたら川口君がロビーに着いたとメッセージが来たので靴を履いて降りて行った。持ってきたお土産を渡して駅にほかの人を迎えに行った。駅に行ったついでに明日の新幹線の切符も買っておこうと緑の窓口に行ったら何と8時から10時発のヒカリとこだまの指定席は全部売り切れていた。こんなことがあるんだ。しょうがないので今年から使える奥の手ののぞみの指定券も余分に払えば乗れることになったのを思い出してのぞみの指定席を注文したら、これが大変な事になり係員がやり方が分からないのでもう一人の経験豊かそうな女史を巻き込み、それでもわからないので奥にいた上司の男性も巻き込んで一時誰も他の人の面倒が見られなくなり長い行列ができてしまった。かれこれ30分近くマニュアルと格闘した結果やっとのぞみの指定券が買えた。終わった時には俺の後ろに7,8人の列ができていた。桑名駅で1,2人以上の待ち行列は見たことがないと川口君に言われた。その後改札口の前のベンチで待っていたが京都から来るはずのN女史は姿が見えないのでもう一人のkさんとの待ち合わせ場所に移動して待っていたらK氏はやってきて昔話をみんなで始めた。その後n女子も現れたのでみんなで珈琲屋に入った。4人で話をしていると本村君が来たので5人で話していた。 一時間以上も4人で話したのでもうこれで解散してもいいやのような冗談も出た。6時半近くになったので送迎バスのところに行ったらみんなほかの人は乗っていて俺たちが最後だった。乗ってみるとみんな懐かしい顔ばかりだった。バスに乗ってレストランまで行ってパーティー会場に案内された。一人1万円の会費。5人ずつで5つの丸テーブルに座らされた。俺は川口君、竹本君、泉君、成宮君と同じテーブルだった。一応みんなの前で挨拶がてらグレッシャムの近況も交えて報告。その後会食と一人一人の近況報告を混ぜながら2時間ほど歓談した。駅に送迎バスで帰ってきて2次会のカラオケに行くグループに別れを告げて俺たちは数人と後に残って暫く話を続けてみんなバラバラに帰っていった。俺はまっすぐホテルに帰り今までミスったブログのアップデートをした。

 

10月28日(土曜日)

今朝は朝の6時に目が覚めたが近くに何処にも開いているコーヒーショップがなかったのでホテルの部屋で9時までテレビを見て過ごした。9時にホテルをチェックアウトして駅について名古屋行きの始発の鈍行に乗って新幹線の発射20分前に着いた。初めてのNozomiに乗って新横浜へ。やっぱりNozomiは早い。席でうとうとしていたら着いてしまった。駅のホームには清水君と西尾君が迎えに来てくれていて助かった。これまでにも何回も道に迷って同窓会開始時間に遅れたことがあり、今回は念のために駅のホームからエスコートすることにしたらしい。新横から横浜線にのり7駅目が町田だ。開始時間少し前について店の前で東君、久光君と駒田君、重見君とも合流して店に入った。店にはすでに島さんと荒木君が座って待っていた。1時間半でお開きとなった。島さんが奥さんの介護から抜けれる時間が終わったからだ。残りの俺たちは何とカラオケに行った。しかし略話しているだけで久光君が2曲、東君が1曲、西尾君が1曲歌っただけだった。1時間半ほどいて解散となった。駅に行く途中でホテルによりチェックインして町田駅から東京駅まで行く私を西尾君が川崎まで一緒に行ってくれた。俺はそのまま京浜急行に乗って東京駅まで行った。かわいそうに東高の同窓生は俺が来るのをずっと待っていた。約束の6時に1時間近く遅れて着いた。その後みんなで中華やに行っていろんなものを頼んで9時近くまで飲んで話していた。内富が長岡の家に帰らないといけない時間になりお開きとなり皆に京浜急行のホームまで送ってもらい、来たのと同じように町田に帰った。ホテルに帰ってシャワーを浴びて汗を流した。日本は汗をかきすぎる。

 

10月29日(日曜日)

今朝は10時に川崎で待ち合わせなので少しゆっくり起きて出かけた。昨日の東京駅に行く道筋と一緒なので迷わずに横浜線で町田から東神奈川まで出て京浜に乗り換えて3駅目が川崎だ。Tくんは中央改札口で待っていると連絡があったが待っていてくれた改札口が中央北改札だったので探すのにしばらく時間がかかった。改札を出ると直ぐに萩焼の物産展をやっていた。T君の奥さんのRIEさんは何と業者の座る場所で業者さんと待っていた。業者さんに一通り説明を受けた。萩焼に青が有るのを初めて知った。結局自分の湯呑と珈琲カップの2点を買って箱に詰めてもらった。湯呑は砂が多く窯変の入った物で使い込むと色が変わるらしい。金沢でも九谷の良いのが見つかると嬉しいのだが。その後俺が珈琲を飲みたいと言ったので近場の珈琲屋で軽くモーニングも食べてTくんが借りた車で鎌倉に向かった。鎌倉には北の山側から入った。最初に浄明寺の喜泉庵で抹茶と柿の生菓子を頂いた。生菓子は柿を模しているだけでなく柿が餡の中に入っていて如何にも秋に相応しく、お茶碗も志野焼の趣きのある茶碗だった。枯山水っぽい庭もあって良い感じだった。しかしココに来るのは初めてでは無い。以前みはるさんと来た時にも此処でお茶を頂いた。その後少し歩いてお昼は坂の上にある石窯ガーデンテラスで綺麗な庭を見ながら優雅にランチ。その後竹林を見ながら抹茶が飲める報国寺にも行ったがここはお干菓子だったし茶碗も大量生産のお茶碗だった。イマイチ雰囲気に欠ける所だ。その後少し夕方の鶴ケ岡八幡宮を参詣して1キロ近くに渡って八幡宮から海辺に向かって真っ直ぐ伸びる若宮大路を少し散歩してから小町通りに入り色んな店を見て回った。その中に京都の錦市場でいつも買うポンと言う栗を高熱で焼いたものを売っているお店を見つけて一袋購入した。その後T君のお目当ての蕎麦屋さんに行ったのだが、今日は日曜で仕込が少なく6時頃着いたときにはお蕎麦が全部売り切れていた。しょうがないので小町通りに戻ってきて又ウロウロして変なソバ屋に入った。篝という中華そば的な店だった。俺ははまぐりと牡蠣のスープを選んだがこれが当たりだった。その後は駐車場に帰って町田駅まで乗せてきてもらった。

 

10月30日(月曜日)

今朝は8時過ぎに起きて9時にチェックアウトして町田駅の途中で見つけた倉式珈琲店で珈琲とモーニングでユニクロが開く10時迄待った。最初に座った席は直ぐに強烈な朝日が差し始め暑くて席を影がある場所に移ったくらいにいい天気だった。これが東京エリアのモーニングの定番なのか?名古屋や岐阜の人にしたら何これ?と言われそうな少し貧弱な内容だ。しかしここの珈琲はサイホン珈琲が¥500前後と舞鶴並みの値段だ。その後ユニクロで薄型ダウンのベストとTシャツを買って新横行きの横浜線に乗った。途中で快速なるものが来たのでそれに乗り換え新横へ。指定席を買おうと窓口に行ってみたら列が長過ぎたので直接新幹線乗り場に行きレイルパスの切符で入れたのでそのまま次のひかりの自由席で東京駅まで行った。初めての緑の東北新幹線?昔(1995年)会津に行った時もこの緑の車体は有ったのか覚えてない。郡山行きのやまびこにも同じ手で自由席で乗った。東京駅が始発だったので十分に座れた。列車には大きい荷物置き場があったのでそこに荷物を置いて席に座った。1時間ほどで郡山に着いた。早速磐越西線に乗り換えて会津若松へ。列車は結構混んですごい人数が乗ったが磐梯熱海で大勢が下りて列車はまばらになった。会津若松駅で降りて暫く市内循環バスの発着所が分からず探した。そのうちバスが入ってきて外形でそれと分かったので市内観光も出来るルートを回るハイカラさんに乗って東山温泉駅まで乗った。このバスも観光客が多く乗ってきて直ぐに満員になり武家屋敷前までぎゅうぎゅうだった。その後は空いて温泉駅で降りたのはたった2人だけだった。それからスーツケースを引いて旅館新滝まで歩いて行った。新滝は結構大きい建物だった。川の流れに沿って建てられていた。道路から渓流にかかっている橋を渡って旅館の入り口に。紅葉はいまいちで1週間早かった。受付でチェックインをしようとするとしきりにもうおひとりさまは何方においででしょうかと2回も聞いてきた。予約は1名なのでそれをはっきり言うと初めて次のステップに進めた。一般の受付ではなく部屋に案内してそこでチェックインをするというのでついて行ったら、地下っぽいところに降りていく。降りたところに別のVIPラウンジがあって半露店風呂付の部屋だけのものらしい。これらの部屋は渓流のすぐそばにあるので階下にあるのだ。3,4部屋しかないらしい。一組だけラウンジに座って何か飲んでいた。ラウンジの部屋からドアを開けて外に出ると渓流をすぐそこに見える。自分の部屋に案内されてチェックインの書類に必要情報を書き入れてチェックインが完了。夕食は6時半と決まった。明日の朝食は6:30から9:30まで。早速シャワーを浴びて汗を流して半露店風呂へと。しかし42度とめっちゃ暑くて水を入れないと絶対無理。少し温度が下がったところで片足から入れて、少しずつほかの部分も入れてかなり時間をおいて体全体で浸かることができた。その後体をふいて6:30の夕食を食べにダイニングへ。ダイニングは温泉を全て過ぎて一番奥まったところにあった。部屋番号を教えると部屋の一番奥のカーテンで仕切られたテーブルに案内された。まず先付けが置いてあって乾杯酒というのがついていた。量がほんの少しなので試し飲みすることにした。コース料理なので次々と出てくる。途中で食べる和牛焼肉は小さくて食べがい無し。前菜と小鉢と和牛の焼き物を食べた所でお腹が八分目になった。最後に出てきたシャインマスカットは本当に美味しかったし、巨峰のサイズが凄かった。今夜初めてお酒を飲んだ。乾杯酒とかでほんの少しだったのでこの際トライしてみることにした。なめる程度なので酔っぱらいはしないが何とか持ち堪えた。デザートが終わって部屋に帰ってもう一度湯船に浸かった。部屋や専用ラウンジに色んなサントリーのウイスキー(角や響)や日本酒やワインが飲み放題で置いてあるのでお酒を飲める人には割安かもしれないが、下戸の人用の割引を付けてほしいよ。ここが竹下夢二の定宿とは知らなかった。夜、明かりが灯った風景は絵になる。今日はこれで終わり。

 

10月31日(火曜日)

今朝は7時起き。昨夜朝食は7:30から8:00は避けたほうが良いと言われたので8:15分ごろ行った。それでも結構混んでいた。何とかひとり様用席を見つけて陣取った。内容的には昨夜の部屋ごとの特別性を持たせた料理とは違って全部屋同じメニューのブッフェ。特に特別なものはなく悪く言えば高いお金を払った意味がない。がっかりだ。内容的には佐世保で食べたビュッフェの方が目移りする程良かった。その後赤べえに乗って鶴ヶ城前で降りて漆器屋や御菓子屋を訪ねながら町をうろうろした。結局会津塗のお箸を買った。午後になって東山温泉を進めてくれたH君に何処かでお茶をしないかと聞くと2時に七日町駅社のカフェでと言われた。Mさんも参加したいというので3人で会うことにした。3人で珈琲を飲みながら話をしてMさんは脳梗塞で足がうまく動かないので長距離の散歩は出来ないので車で帰っていった。その後H君の案内で鶴ヶ城まで歩き天守閣はもう閉まっていたのでそれ以外のお城の周りや庭や石垣周りを歩いて夕方の5時くらいのハイカラさんで宿に帰った。ヤッパリお城のある街は羨ましい。6時から夕食を食べた。今夜の夕食は宿の食事。今夜も和牛のすき焼きが出たが、量は丁度いい。お腹の調子を心配する必要は無さそうだ(これは京都弁の量がしょっぽいと言う皮肉では無く)。その後湯船に浸かって寝た。

 

11月1日(水曜日)

今朝は朝の6時15分起き。6時半に旅館の前でH君に車で拾ってもらって鶴ヶ城朝散歩へ。三の丸の駐車場に止めて橋を渡って二の丸へ入っていく。いちおう今日はビデオを取りながら歩いてみた。少し紅葉が進んできたがまだまだだ。朝食に間に合うように送ってもらって7時過ぎに部屋に帰ってきた。すぐに朝食に行って部屋に帰って湯船に浸かった。そのまま10時まで楽しんで急いでチェックアウトできるようにパックして着替えてスーツケースをもってチェックアウトしにフロントへ。10時半にH君が車で迎えに来てくれたのでそれに乗って紅葉を見に塔のへつりに連れて行ってもらった。しかし紅葉はあと五日から1週間後見ごろな感じで残念だった。へつりは岩が侵食されて出来たところで、そんな芸術的な所ではなく思ったより大したことなかった。その後かやぶき家が集まっている集落の大内宿に連れて行ってもらった。ここも一応ビデヲを取りながら歩いた。一番奥の坂の上の写真スポットでここいちの写真を撮った。そのすぐ下のお蕎麦屋でネギそばを食べた。初めてのネギそば。結構分量があって食べ切れなかった。ネギをお箸替わりに食べようとしたが難しい。3回目のトライで何とか少し食べれた。これで¥1100。その後町に帰りコーヒーやで一杯飲んで次の宿のアルファーワンに送ってもらった。珈琲¥700だった。チェックインをしたあと由美さんが来るのを待ちながらFBチェックやインスタチェックをしていると由美さんが下に来たというので降りて行った。今夜はGreshamいらい33年ぶりに会えたゆみさんと一緒に。由美さんは残念ながらあの頃の美貌は流石になく普通におばさんになっていた。が、二人でコメダコーヒーで珈琲飲んで少し時間をつぶしてやっぱ飯で有名なお店でやっぱ飯を食べた。その後由美さんの家に行って茂さんにお線香をあげてまた結構話してホテルに送ってもらった。しきりに仕事を辞めたら夏にオレゴンに来ることを進めた。その後ホテルの洗面所でパンツとシャツを洗って干しておいた。明日の朝はあいにくの雨予報。明日は鶴ヶ城の天守閣に登ろうと思っていたが午後になりそう。お茶室に行くのも同じ午後になりそうだ。明日起きてから考えよう。

 

11月2日(木曜日)

今朝は朝の6時ごろ目が覚めたが外は雨なのでホテルのベッドでうつらうつらしていたら8時になったので着替えて下に降りてバイキングの朝食を食べに行った。流石に安ホテル、昨日のブッフェとは大違い。しかし頑張って食べた。その後先ずは駅に明日帰る東京行の新幹線の切符と四日の東京から富山への新幹線の切符を買っておいた。その後歩いて昨日言った珈琲屋に行ってコーヒーを一杯。珈琲はクイーンスマトラ。昨日とは器が違っている。今朝は同じ珈琲が¥600だった。その後ホテルに帰ってトイレを済ませてまたお城に向かって歩き始めた。ビデオをとりながら天守閣の入り口まで行き五層目の天守閣のてっぺんに上り360度の景色を堪能。下に降りてマップで見つけたお濠近くの面白い名前のアンティークカフェ穂都璃に行ってみた。うっかりすると見逃しそうなカフェだった。中に入るとオーナーが何か仕事をしていた。席に座ってオーナーと話してみるとわざとひっそりやりたいのでこのロケーションだそうだ。色々と話して結局シャインマスカットパフェとコーヒーを注文した。此処は珈琲が安い! ¥400だった。ここで約束の2時前まで過ごして2時に間に合うようにお城に引き返してH君とお茶室の麟閣の前で落ち合った。その後麟閣の中庭で抹茶を頂いた。その後四十七士の墓とサザエ堂に行った。その後御薬園で夕日の中静かな夕方を満喫した。その後ホテルに帰りシャワーを浴びてすこし寝て、着替えて七時の集合時間に合わせて天竜に出かけて行った。行ってみると既に三人とも来ていた。久しぶりの挨拶をして料理を頼んで話し始めた。途中でH君がS君にビデオ電話をかけて皆で代わる代わるに彼と話した。ベトナムで活躍しているそうで後二年は帰ってこないそうだ。その後いよいよ今夜のお別れの時が来た。九とMさんが奥さんに迎えに来てもらうことになり待っていた。奥さん方もそろい皆で写真を撮った。その後俺は歩いてホテルへ、H君も歩いて家に帰っていった。

 

11月3日(金曜日)

今朝は朝の6時半に目が覚めたので早めに下に降りて朝食を食べた。その後9時半の快足に乗って郡山に。その時に一つミスった。始発と書いてあったので余裕で座れると思い早めに駅に行ったのに電車がもう来て待ってるなんて知らないので待合室で10分前まで待っていたら、電車に着いたらすべての席が埋まっていてかなりの人が立っていた。駅に着いたときにそのまま電車に並んでいれば座れたのに。今朝は涼しかったので半袖のTの上にダウンのベストだけだったので少し寒くて外のホームを嫌がって待合室に行ったのが間違いだった。しょうがないので郡山まで立ちっぱなしだった。郡山で新幹線に乗り換えた後は指定席を取ってあるので座って寝て東京まで行けた。東京駅に着いたは良いがどうやってM05-01ラインに乗るのかわからない。乗車場所が南出口となっているので中央南出口と書いてあるほうに歩いた。途中アイスコーヒーを飲んで休憩して再度挑戦。どうやってもM05なんてラインは何処にも書いてない。しかし場所だけは地図上にあるのでそれを目指して南口の地上に出て探してみた。運よくM05-02と書いたバスが目の前を通ったので、それでM05がバスだと分かった。やっとそのバスに乗って築地で降りてスーツケースを引っ張ってホテルまで歩いた。すぐだった。ホテルに着いたらフロントに誰もいない。立札があって係員がホテル内の巡回中なので用があれば携帯に電話してほしいと番号が書いてある。今までのホテルでフロントに人が誰も居なかったのは初めてだ。無茶苦茶人が足りないのか、無茶苦茶人件費等をケチってるホテルだ。やっと電話して出てきた人は今までも他のホテルで外人さんが働いてたどたどしい日本語で応対してくれることはあったがここはインド系でアクセントがすごい。やっと部屋に入れて一服してシャワーを浴びて何か飲もうと一階で自販機を見たので買いに行ったらアルコール飲料しか売ってなかった。フロントのさっきの女に聞こうとしたら誰かと電話をしていて俺の質問も無視して電話を続けていた。こんなフロントを雇はないといけないのかと思うと人手不足の深刻さを思い知る。しょうがないので水道水を沸騰してお茶を飲むことにした。セイジとは結局5時にすし屋でしか会えないことになった。スマホ片手に銀座の高級寿司屋に向かった。行ってみるともう息子が待っていた。少し地階にある。カウンターに通され息子と2人並んで座った。出てくるものは見ただけで新鮮と分かるのものばかりで目でも、舌でも楽しんだ2時間だった。こういう所で食べると他で食べられなくなる。最後に出てきた卵焼きは1時間掛けて焼いたものだとか。

 

11月4日(土曜日)

今朝は8時ごろ起きた。9時にホテルを出てバスで東京駅に着いた。来た時と同じルートなので帰りは問題なかった。南口について新幹線乗り場へ。途中で3種類の東京バナナを買って10時の新幹線で富山に。うつらうつらしながら富山駅に着くとひさよちゃんが待っていた。まずホテルにチェックインしようと駅前のトーヨコインに行ったら予約がないという。びっくりして調べてもらったら駅前には2つのトーヨコインがあるとのことなのでもう一つのトーヨコインも調べて貰ったが見つからないのでメールを調べてみると日付を間違って予約を入れていた。そこでやむえずここで今夜泊るように手続した。その後2人でご飯を食べて歩いてアキラのセブンイレブンに行って暫く話し込んだ。その後ひさよっちゃんの車であきちゃんの家に行って挨拶して中島の国ちゃんの家に行ったが国ちゃんは人と話せる状態ではなく廊下に横になったまま半分寝ていた。次にひかたいのまつこさんの家に向かった。まつこさんは結構元気そうで子供さんや孫も帰ってきてにぎやかな感じになり株の話もして帰ってきた。ホテルの前でひさよっちゃんと別れて帰ってきた。

 

11月5日(日曜日)

今朝は朝の6時半ごろ目が覚めた。顔を洗って早めに下に降りて朝食を食べることにした。今日は富山マラソンの日なのでランニング姿でご飯を食べている人もいた。ご飯を食べた後部屋で今後のホテルの予約に間違いがないか調べることにした。京都までのホテルの予約を確認したが問題はなさそうなので安心した。9時過ぎにチェックアウトして駅で妹に送る土産を買って宅急便で送っておいた。その後新幹線で金沢に向かった。金沢駅からはバスに乗って近江町にあるANAホテルに行った。ここはショッピングビルの上にあり、フロントが16階にある。時間が早いので荷物を預けて外に出て向かいの近江市場の中を見て前回とは違う回転寿司屋に入った。しかしこれが失敗!もう完全に観光客目当てのすし屋だった。ネタは薄いし、アナゴは小さいし。骨はあるし。のどぐろのあら汁も殆どのどぐろの身は入っていない。金曜日銀座で食べた後だけに違いが激しすぎる。途中で出てきてしまった。その後はめかぶ茶を探してうろつきまわり出汁や、昆布を買ってやっとお茶屋でめかぶ茶を見つけた。同じところで他のお茶も売っていたので買ってしまった。あまりに買い物が多いのでホテルに帰ってもう一度荷物を預けてから金沢城に歩いて向かった。25分くらいで城跡に着いた。中庭から入ってぐるぐる回って写真やビデオを撮って出ようとしたらお城の絵を描いている人を見つけたので昔俺が学生の頃写生をしていたのを思い出してつい声をかけてしまった。枚方に住んでる人で元は公務員だけど今は一人でリタイヤしていて自由人で色んな所で水彩画を描いているということだった。俺のことも少し話して別れたが別れ際に彼の水彩画展の案内ももらった。九谷焼のお店が閉まる前に回っておきたかったので彼と別れて石川門を出て久谷窯元の店を訪ねた。最初の店では欲しいものが見つからず次の店へ。そこで良さそうな抹茶ワンと湯呑を買った。それからホテルに帰ってチェックインしてシャワーを浴びた。その後17階の中華レストラン鳳凰で食べた。お茶を入れてゆっくりしていると隣から話し声が思ったよりよく聞こえる。TVの音か、人のしゃべっている声かは分からないが音が結構聞こえるのは確かだ。クロゼットんドアの開け閉めもよく聞こえる。トーヨコインでさえもこれだけ隣の音が聞こえてくることはなかった。アメリカのHoliday InnならまだしもANA系列のホテルでこれとは驚きだ。

 

11月6日(月曜日)

今朝は10時くらいまでベッドから起き上がらなかった。昨夜変な時間にうたた寝して暫くTVを見ていたので寝たのがかなり遅かった。先ずは香林坊のDaiwaで資生堂の何時も使っているモイスチャーを買った。Daiwaは金沢のフラグシップデパートで高級な店がずらっと揃っている。その後兼六園や東山茶屋街にも運動がてらに行きたかったので和菓子屋を冷やかしながらお城の石壁や石垣を見ながら兼六園に向かった。65歳以上はタダとは知らずに320円払ってしまった。中のお茶屋、時雨亭でお茶を飲みたかったのだが今日は午後の1時まで予約で一般客は入れなかったので兼六園内を散策することにした。しかし前回10年以上前に来た時と比べて外国人の多さにびっくり。夕顔亭の前を通るとあまり人が中にいなかったので入って抹茶と上生菓子を頂いた。その後兼六園を出て直ぐのところで団子やを発見したので草餅とほうじ茶餡の団子2本ときな粉ラテをお城を見ながら食べた。コーヒーマグが九谷焼だった。その後東茶屋街に向かった。ひがし茶屋街は兼六園と違って狭いので人でいっぱいだった。重要文化財の志摩という昔のお茶屋内にある抹茶を飲める所で生菓子と一緒に抹茶を一服。ついでに家の中も一通り見てきた。帰ろうとしたら金つばの店に出会ってしまった。しょうがないので晴美とお母さん用に3個入りと持って帰るのに6個用を買った。汗もかいて早くシャワーを浴びたかったのでそのままホテルに帰った。それにしても金沢で土産をたくさん買ってしまった。何とかバックパックにお茶碗関連は押し込め、衣類は全てスーツケースに入れこんだ。7時の20分前になったので予約の入っている香林坊のお料理や五十嵐に出かけた。略予約通りの7時についてカウンター席に通された。カウンターの板さんの真ん前なのでラッキーと思ったのだが。板さんはたったの一人で5席のカウンター席と4人掛けのテーブル2つのお客に対応している。これって無理でしょ!そのせいで板さんは忙しすぎて略皆の料理を作るだけで忙しくお客さんと優雅に会話をしている暇がない。しかしその暇がなさそうな中隣のきれいな若い一人の客や、馴染みさんのような人とはそれなりに声をかけている。しかし俺には一切何処から来たのかとか何しに来たのかというような常套句のような質問さえ来なかった。俺はただただ出された料理を黙々と食べるだけの2時間だった。こんなことってある?小野寺では板さんは一見の客にもちゃんと皆に声をかけてちゃんと会話に加わっていた。板さんと会話しながら料理を頂くのがカウンターに座る楽しみだ。すべてが終わってホテルに帰ってきた。パックしなおして何とかバックパックにお茶碗は全て入れ込めた。

 

11月7日(火曜日)

今朝は朝6時過ぎに音で起こされたが何とか2度寝して9時まで寝た。10時にチェックアウトして駅に向かい11時のはくたかで東京に向かった。隣に座ったカップルはフランス人だった。上野駅で降りて行った。今回の東京でのホテルも前回と同様の銀座のホテルだったので東京駅の南口の同じバスに乗って4丁目で降りた。ここは少なくともLivemaxと違ってちゃんとフロントには2.3名がいた。部屋の大きさはほかの安いホテルと変わらない。チェックインしてシャワーを浴びてちょっと休憩。6時に新橋駅烏森口出口で矢野みはるさんと旦那さんと落ち合って和風イタリアンへ。日本に来てまでイタリアンは食べたくないがしょうがない。2時間程話して写真を一緒に撮ることも忘れて、奢ってもらってホテルに帰ってきた。今までのアッチコッチに行ったつけか左足の薬指の皮が剝けた。指の爪も伸びてきた。明日はドンキに行って買ってこよう。今宵は少しゆっくりしよう。

 

11月8日(水曜日)

今朝は9時半には目が覚めたが何かもう家に帰りたくなった。もう一つだけ東京でやる事がある。10時半まで部屋でグズグズしていたがドンキに行って爪切りと絆創膏を買った。その後ヨネックスのショールームに行ってアストレル120と靴とトレーニングウエアーを買って実家に送った。その後鰻屋で期待して鰻重の特上を注文したが、これがイマイチ美味しくない。残念な御昼だった。その後部屋に一旦帰ってちょい寝して3時半に駅に明日の切符と京都駅から実家迄の切符を買った。その後夏野で夫婦箸を買った。その後銀ブラ兼コーヒータイムでブルーボトルコーヒーで一服。

 

11月9日(木曜日)

今朝はホテルからタクシーで東京駅の八重洲口まで乗っていった。¥1200もした。わざと遠回りをされた気もしたがグーグルマップを見忘れたので真偽の程は分からない。その後妹から頼まれたお土産を探したが見つからないので京都で何か代わりの物を買う事にした。京都について地下鉄に乗ってホテルに向かった。地下鉄からホテルまでは地下道が続いている。雨にも濡れないし、人混みも避けられるいわば地元の人の通り道だ。観光客は地上の町並みが見れる通りを好むだろう。ホテルでは十分ほど待たされてチェックイン出来た。このホテルのロビーは地下一階ある。3時過ぎにはホテルの部屋におちついた。その後近場にあるお茶屋の福寿園のビルに行き抹茶の飲み比べと色んなお茶を買った。お茶の飲み比べは今日は予約で一杯なので明日の午後3時に予約を入れて一旦ホテルに荷物置きに帰った。荷物をおいて錦市場を

 

11月10日(金曜日)

今朝は朝の8時半からセイジとGoodman coffee,ARCHI coffee, Actual kyotoと珈琲店のはしご。流石にコーヒーが胃に聞いてきて気持ちが少し悪くなって来た。昼になってセイジは予約の店ばかりに行くので俺はついていけないと言われたので午後は一人で。先ず昼ご飯は昔から好きだったうどん屋おめんの先斗町店まで歩いた。着いてみるとヤッパリ待っている客が居たが俺は一人なのでそれほど待たないでカウンター席に通されて何時もの鯖寿司付きうどんを。色んなネギや胡麻やきんぴらごぼうを出し汁に入れて温かい湯に浸かった饂飩を浸けて、つけ麺方式で食べる。出汁は相変わらず美味しい。ツイツイ出汁を最後まで飲んでしまった。店を出ると待っている人の数が増えていて店の外まで人が並んでいる。雨が降ってきたので直に近くの地下街への入り口に入った。

 

11月11日(土曜日)

今朝は9時にチェックアウトして先ず地下街への通路に降りてそのまま雨を避けて地下鉄烏丸駅まで出て、その横にある志津屋で晴美に頼まれたパンを買って地下鉄に乗った。京都駅のデパ地下で色々晴美に頼まれた物を買って特急丹後の海で実家に帰った。駅前のユタカでvicsのベポラップと正露丸2個ずつを買って、eyelinerのダークブラウンも買った。これで家内に頼まれた者は全て買った。反対側のエールでもう一つのスーツケースも買った。

 

11月12日(日曜日)

今朝は昨夜は遅くまで寝られず明方に寝たので晴美に昼前に起こされる迄寝ていた。昼前に晴美が行きたがっていた海岸前のトト源と言う海鮮レストランに行った。いつの間にか岸壁にこんなレストランが出来ていた。中は入って左がカウンター席とテーブル席、右がお座敷席で海が見える。二人以下は左の海が見えない席に通される。妹が強く海の見える席が良いと言わなかったせいもあるかもしれないが我々はカウンター席に通された。海鮮丼の特上を頼んだので少しは期待していたのだが田舎は裏切らない。確かに乗っている刺し身の量は多いけど、一つ一つが薄く小さい。ただ前もって切ってあった普通海鮮丼用の薄い刺し身を2枚ずつ(倍の量)並べただけの、それもご飯が酢飯では無いシロモノだ。その後妹に付き合って買い物をして一旦家に帰って母の様子をチェックしてから近くの親戚に寄って挨拶だけはしておいた。その後夕食のおかずや、ご飯を買って家に帰った。夜は母が夕食を食べてるあいだ横に居て相手になったり、持って帰る抹茶茶碗を選んでいた。結局萩と色絵の2つを持って帰る事にした。その後妹と一緒にご飯を食べた後、バックパックの中身を詰め替えて高い抹茶茶碗はバックパックに、安い湯呑は手提げ紙バッグで持って帰ることにした。もう一つのスーツケースを買って正解だった。

 

11月13日(月曜日)

今朝はアラームで9時起き。寝間着をスーツケースに入れて全ての準備が完了。10時には駅についた。先週までの暖かさが嘘のようなヒョウ混じりの雨が降ってきて温度も50度台と持ってきたジャケットを着ないと流石に寒くて駅のホームに居られない。妹に別れを告げてホームに上がると既に特急は待っていた。ラッキーな事に乗った車両には誰でも使えるラウンジエリアがあって大きなスーツケースを2個もどうしようかと考えていた俺には大正解とばかりにラウンジの長椅子に大きいスーツケースと陣取った。結局そのまま京都駅まで居眠りしながら行ってしまった。京都駅で漬け物とおにぎりを買って、小川コーヒーではるかの出発時刻前までお昼を食べながら時間を潰した。2時のはるかに乗って関西空港駅まで。その後が悪夢だった。Unitedでのチェックインはプレミアムクラスでスムーズに行けたが、日本の空港にはTSAPreが無いらしい。延々と列に並ぶだけだ。並んでいる途中に空港の評価を押せるボタンがあったので20回ほど"最低"レベルのボタンを押し続けておいた。二時間後にやっと最後のx線検査。漬物が引っかかった。水が入っていると駄目らしいが何とか持ち込みオッケーとなってラッキーだった。その後最後の買い物を。海鮮おかきと抹茶スイーツを買ってゲートに行くと丁度登場時間のすぐ前だった。それにしても#1と#2グループの人の多さにビックリした。満員なんだろうな。着席してみても周りには空き席がない。ラッキーにも自分の席の上の荷物入れは空いていてバックパックとテニスラケットに買ったお土産の袋までも入れれた。プレミアー・エコノミーの席は一杯だった。席にはちょっと安物のアメニティー入れと温かそうなブランケットにヘッドホンが置いてあった。出てきた夕食と朝食は単なるエコノミーより量も作り方もちょっとましなものが出てきた。目の前の映画用の液晶パネルも明らかに大きかった。前の席との間隔も広くて真ん中の席にアイル側の人がいちいち立たなくても出入りできるレベルだった。ひどい揺れもなく出発時間は25分遅れだったがサンフランに時間通りに着陸出来て乗り換えに1時間しか無かったけど大丈夫だった。入国も手荷物検査でも大したことなく通過出来て次のポートランド行きの飛行機の搭乗時間にも間に合った。最後の飛行機に乗ったときにはあと一つで家に帰れると言い聞かせて乗ってきた。やっとポートランド空港に着いて手荷物を受け取りさて家内の会議が終わるまでゆっくりとコーヒーでも飲んでいようと周りを探したがチケットカウンター以外は後ろ側が全て改装中でクロ-ズドオフになっていてコーヒーを飲める店が見つからない。端から端まで探して要約2階のアラスカのチケットカウンターの端にFlyingElephantの店を見つけた。しょうがないのであまりゆっくり出来そうな椅子ではなかったがモカを注文して家内の会議が終わるまで待っていた。向かいの空港が用意した椅子が置いてあるところではメキシコ人たちが大声で愉快そうに笑っていい時間を過ごしていた。やっと家内の会議が終わりこっちに向かっていると知らせが入ったのでゆっくりとモカを飲み干してUnitedのArrivalの外で待っていた。かなり時間がたって家内の車が来てやっと荷物を載せて家に向かった。家について2つの大きなスーツケースとパックパックとお土産の紙バッグを下してほっと出来た。その後は2つのスーツケースを開けて持ってきたものすべてを出してお土産と自分用のものとに分けて机に並べた。持って帰ってきた抹茶お茶碗3個と、萩湯飲み、萩コーヒー茶碗に久谷のハイティー用のカップとソーサーのセットだ。早速萩湯飲み、萩コーヒー茶碗は洗って直ぐに使える用にしておいた。