さよならおとん・・・ | オレたちのドキュメンタリー(仮題) 第一幕 ~僕の名前はピコです。~

さよならおとん・・・

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そう、あれは化学の授業も終わりかけた頃だった・・・


昼飯前の授業は、脳に血が回らず一人、ぼーっと窓を眺めていた。


突然、教室の入り口のドアが開き、担任の先生が入ってきた。


「M、ちょっといいか。」


突然の声に、僕はびっくりした・・と同時にふとある予感がよぎった。


『やべっ、ついにきたか』


廊下に呼び出された僕の顔を、じっと見ながら担任は重たそうに口を開く。


「お父さんが、危篤らしい。すぐに病院に向かいなさい。」


・・・!!


夏の暑い日に、療養中だった父は、40度の高熱と耳が聞こえないという症状を訴え、緊急入院していた。


病名は『脊髄がん』だった・・・


高校入試の日、父は子供達に病名を伏せ、一人肺の摘出をしていた。


僕等に心配をかけないように、彼や家族がついたウソは、『あばら骨の手術』だった。


それから、1年、肺がんで摘出したはずのがん細胞は脊髄に転移し、彼の脳を侵食していたのだった。


入院してすぐに、祖母と叔父と僕は担当医から「脊髄に転移しています、余命半年でしょう。」


と告知されていた。


祖母は泣き崩れたが、僕はただただ黙ることしかできなかった。


きっと、現実味の無いドラマのようだったと記憶している。




だから、僕は担任の先生が教室に入ってきたときに、俺だろうっと予感していた。


廊下から教室に戻り、心配そうに僕を見つめる友人達に、小声で『おつかれ』と告げると


学校から駅までの道程を早足で歩いた。


ただただ『間に合ってくれ』と心で念じながら。


駅につくと、自転車を夢中で漕いで、病院まで10分の道程を休まず走り抜けた・・・



病院では、祖父母が僕の到着を待っていた。


3階の病室まで階段を駆け上がった僕は、もう息が途切れ途切れだった。


そんな僕の心配をよそに、まったく普段通りの二人は一言僕に向かってこういった


「お昼ごはんは食べたの?」


食べるわけないでしょう!!と思ったが、『食べてないよ・・』とやっとの声を出すと


「じゃあ、パンでも買いに行こう」


と言って売店へと、誘った。


そう、危篤ではなかったのである、心配症の二人が気をきかせたのか


わざわざ学校に電話をし、孫を病院まで呼び出したのである。


『まったく、びっくりさせんなよ!』と怒り心頭だった半面、ホッと胸をなでおろした。



でもその3日後父は、意識が戻らなくなり・・・いよいよあの名台詞を聞かせられることとなる。


「今夜がヤマですね・・・」


つづく