富山県高岡市末広町で酒場をやっている正太郎です。もうかれこれ40年以上
酒場を営んでいますが、20数年前から音楽もやるようにな毎月三回は
ライブやってますね。バーをやって、それでもって好きな音楽もやっている
人生上出来、ですが、毎日質素な生活をしています。とにかく、店を続けることが
私の使命だと感じております(^^♪
さて、酒の話6回目です。
21世紀の今バーでは「シングルモルト」が流行っているんですが、竹鶴政孝が
スコットランドで学んでいるときは、「シングルモルト」は万人向きの酒とは
言えなかったようです。ましてや、そのモルトの酒はイギリスでもほとんど
飲まれていなかったようです。
ところが、1826年になってイーニアス・マクドナルドがついに連続式蒸留器を発明
そして、1830年産業革命が頂点に達した年には、イーニアス・カフェがより高性能の
カフェ式連続蒸留器を作り、ウイスキーの運命を完全に変えたのです。
この発明によって「味はともかく」今まで二回蒸留で少量しかできなかったモルトに代わり
一回連続的に大量にできる「グレーン・ウイスキー」の工場が、1830年代から
1860年までにスコットランドのローランド地方乱立したちまち生産過剰を招いた。
1860年ごろ、この「グレーン・ウイスキー」とハイランドモルトをブレンドしてみたのが
アッシャー商会で、今までにない飲み心地のいいウイスキー、すなわち「ブレンディッド・ウイスキー」
が初めて世に出たのである。
カフェグレーンがモルトの長所をのばし、欠点であった重さや粗さを和らげる役割を果たした。
これがブレンディッド・ウイスキーといわれる今のスコッチ製法になった。
竹鶴さんも鳥井さんも、まさか21世紀に「シングルモルト」が流行るとは思ってなかった
でしょうね。竹鶴さんも鳥井さんもあくまで「ブレンディッド・ウイスキー」万人に受ける
ウイスキー造りを目指していたと思います。
このブレンドができて、ウイスキーは飲みやすくなって全イギリスや世界の人々の間に
愛好されるようになった。だからまだ100数十年の歴史しかないのです。
さて、竹鶴政孝が余市でウイスキー造りを始めたころはまだ、日本のウイスキーは原酒と
「中性スピリッツ(醸造用アルコール)」とのブレンドでウイスキーを造っていたのだ。
この中性スピリッツをグレーンスピリッツに代えれば、スコッチのように今までにない
日本のウイスキーを造れるはずである。
そのためにはカフェ式連続蒸留器を導入しなければならない。しかし、竹鶴には
多額の資金がなかった。
だがこの夢は実現した。アサヒビール社長山本為三郎がスコッチに負けないような
ウイスキーをぜひと積極的に援助したのだ。
西宮にグレーンスピリッツの工場が完成したのは昭和37年であった。
ちなみに、ニッカは昭和28年にその経営を拡大、強化するためにアサヒビールと
提携したのだ。竹鶴政孝とアサヒの社長山本為三郎とは、竹鶴がスコットランドに
留学するころから懇意であった。
西宮にて、ハイニッカと千円のブラックニッカがカフェグレーンの熟成を待って
発売されたのである。
ちなみに、サントリーのグレーンウイスキー工場「知多」ができたのは
ニッカの西宮より10年遅れて1972年(昭和47年)に完成した。
おそらく、それまでサントリーはスコットランドよりグレーンスピリッツを
輸入していたと思われます。酒の話7話に続く。