→所ジョージ(65) | オレサマのブログ
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所ジョージ(1955年1月26日~)は、日本のフォーク歌手、コメディアン、タレント、司会者、ラジオパーソナリティー、シンガーソングライター。本名・芳賀 隆之(はが たかゆき)、旧姓・角田(かくた)。既婚。

所 ジョージ
出生名
角田 隆之
別名
芳賀 隆之(本名)
所さん
生誕
1955年1月26日(63歳)
出身地
日本の旗 日本・埼玉県所沢市
学歴
拓殖大学商学部除籍
ジャンル
フォークソング
コミックソング
担当楽器
ボーカル
ギター
活動期間
1977年 -
レーベル
キャニオン・レコード
EPICソニー/BOOGIE WOOGIEレーベル
VAP
avex
Jam Cracker Record
事務所
ティヴィクラブ
共同作業者
坂崎幸之助
公式サイト
TOKORO WEB
埼玉県所沢市出身。東京都世田谷区成城在住。ティヴィクラブ所属。身長172cm、体重63kg。

概要
小平市の錦城高等学校を経て1浪後、公募推薦で拓殖大学商学部に進学するも学費納入の手続きを忘れ、学費未納として除籍される。

「シンガーソングコメディアン」を自称し、ミュージシャン・コメディアンとして芸能界デビュー。その後、日本を代表するタレントとして複数の冠番組を持つ。その他、俳優・声優・司会者・ラジオパーソナリティ・ディスクジョッキー・作家・コピーライター・ゲームクリエイター・発明家、また、少年ビッグコミックにおける漫画家としての連載など、様々な活動を行っている。

本人は2013年春頃より親しい人たちに「還暦を過ぎても俺がテレビに出続けるのはどうかなぁ」と話すようになったとされる。60歳を境に引退の可能性があると言われている[1]。しかし2014年10月30日放送の櫻井有吉アブナイ夜会[出典無効]にてそのような発言をしたことを認めつつも撤回した。

芸能活動
芸能活動
芸名の由来
芸名の「所ジョージ」の由来は、出身地の所沢市と柳ジョージをモチーフに宇崎竜童によって「所沢の柳ジョージ」という意味で命名された[2][出典無効]。東京スポーツでの宇崎竜童の連載では「外国でも通用するような名前がいいだろう。オレの本名はシュージ(修史)で外国でも通用しそうだから..そうだ、『ジョージ』でどうだろう。そう、この瞬間に『所ジョージ』が誕生したんだ」と宇崎自身が述べており、「柳ジョージ」は名前の由来には関係ないようである[3]。タモリは「所」「とっころさん」、ビートたけし、坂崎幸之助からは「所」、伊東四朗は「ジョージ」「とこちゃん」、明石家さんまは「所さん」や「所ジョージ」とフルネームで呼ぶこともある。

ミュージシャン・音楽面
拓殖大学に入学するも1度も授業に出ず[4]、2年生に進級できなかったため音楽の道を志す。程なくデモテープが「面白い」と北島肇プロデューサーに認められて音楽業界に入る。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのボーヤとして、渋谷にあったライブハウス渋谷ジァン・ジァンで前座を務めていた。もう一人の河原崎直彦プロデューサーがダウン・タウン・ブギウギ・バンドも手掛けていた関係で宇崎竜童と出会い、前座で出演するに当たって「所ジョージ」と命名された。ライブ会場では小遣い稼ぎのために勝手に宇崎のシールを作って売ったり、ステージ上では「どうせ誰も聞いていない」との理由で餅を焼いて食べるなどしていた。人前で歌ったことがない状態からボーヤを経て、1977年7月25日に『ギャンブル狂想曲/組曲 冬の情景』で、シンガーソングライターとしてデビュー。

1980年代前半は、CBSソニーの新人登竜門の新宿ルイードなどでしばしば営業活動を行っていた。楽曲などの演奏はほとんど無く、主にしゃべり+ギターの流し芸人スタイルであった。大手との契約があったこの頃より、客を軽視するバカ芸風が確立された。

1998年、フジテレビの番組『MUSIC HAMMER』の企画としてシングルCD『「ミュージック・ハンマー」オリジナルサウンドトラック“トンカチ”』をリリース。このCDでは同番組で所と共に司会を務めた坂崎幸之助、篠原ともえも参加している。

1999年には明石家さんまの人生を描いた曲『明石家さんまさんに聞いてみないとネ』をリリース。この企画はさんまが司会を務める『さんまのまんま』に所が出演したことをきっかけに生まれた。この曲にはさんま本人とゲストとしてたまたま通りがかった工藤静香も参加している。プロモーション・ビデオは多忙なさんまと所の2人のスケジュールが取れないため、レコーディング風景の映像をそのまま使っている。記者会見では「ライバルはGLAY」「目標は売り上げ5000万枚」「NHK紅白歌合戦出場を狙う」などと言っていた。なおアルバム『洗濯脱水』には『明石家さんまさんに聞いてみてもネ』という曲も入っている。

2002年7月には、女性フォークデュオ「素一(すっぴん)」のシングル「白い月」で初めて他のアーティストのプロデュースを行った。シングル「白い月」は2002年7月24日に発売され、収録されている「白い月」「治療」「ガンバレ」 の3曲の作詞・作曲も所が担当している。

2004年9月、男性フォークデュオ「コブクロ」とともに「トコブクロ」を結成。所がイメージキャラクターとして出演した缶コーヒー「ワンダ モーニングショット」(アサヒ飲料)のテレビCMのイメージソングを制作した。2004年9月29日には、マキシシングルCD『毎朝、ボクの横にいて。』として発売。

その他にも、NHK『みんなのうた』では、1989年には「背中でツイスト」、1999年には「歩いてみっか!」を歌っている(前者は所の歌では未発売。ただし中尾隆聖、柳田ヒロ、赤坂東児らがカバーしたものがCD発売されている。後者は所の歌でCD発売)。なおこれらの曲について、前者ではアニメキャラクター、後者はCGキャラクターとして、映像に登場している。

2006年には、エイベックスより、アルバムを1枚リリース。また山本譲二とのユニット「譲二さんと所さん」名義でコラボレーションシングルをリリース。山本との競演に関しては「この異色ユニットでNHK紅白歌合戦に出たい。」と望んでいたが叶わなかった。

2010年3月、アルバム『コケコッコゥ!!~七色の声色~』をリリース。八代亜紀、奥田民生、トータス松本、GO!GO!7188、ビートたけしとおぼしき声が聴こえるが、所は「最新技術を駆使して私の声を七色に変えている」と言い張っていた。その後のインタビューで所は、最新技術云々はレコード会社の契約上の問題で直接に歌手名を出せないがために考案した架空の設定であると語っている[5]。

2012年10月8日に、”世田谷一郎”の名でYouTubeにチャンネル登録がされており、所ならではの遊び心に富んだ自主企画と合わせ、”最近の歌”と称して、生歌(販売前のものも含む)を投稿している。なお、所の意向により、収益化はしていないことも明らかにしている。

2014年9月13日に自主レーベル「Jam Cracker Record」を設立し『JAM CRACKER 1』と『JAM CRACKER 2』の二作を同時発売した。CDの価格は破格の1枚756円、収録曲は2枚で合計29曲である。

楽曲の特徴
曲作りに関しては、いろんなものが混在して明確ではないが、ベースには吉田拓郎やレッド・ツェッペリンがあると思うと話している[6]。楽曲には遠慮のない表現やパロディが盛り込まれていることが多い。そのためレコード・CDが販売されても早々に廃盤になったり、ライブで演奏はできても発売されない楽曲も多くある。シングル『まったくやる気がございません』のイントロでも「滅多に売れたことのないと言う(以降省略)」と言っており、20周年記念アルバム『カニバーサミー』を出演番組で宣伝した際も「(自分の歌は)どうかしてる。売れないわけだ」とコメントした。しかし、デビューアルバム『現金に手を出せ!!』はオリコン最高位33位を記録し、シングル『寿司屋』はザ・ベストテンで、20位より下のかなり低い順位ではあるがランクインしたこともある。

実体験をモチーフにした曲が多く、権威的なオーディオ関係誌のレビューコーナーで「ドキュメンタリーソングの第一人者」と評されたことがある。また、コミックソングも多いが、業界の中では宇崎竜童や奥田民生などから高い評価を受けており、レコーディングに大物ミュージシャンや森高千里などの意外なゲストが参加することもある。友人であるアルフィーの高見沢俊彦は、『新堂本兄弟//