→夏井いつき(60) | オレサマのブログ
<木 19:00:35~19:56 プレバト>

夏井 いつき
(なつい いつき)
誕生 1957年5月13日(60歳)
日本 愛媛県南宇和郡内海村
職業 俳人
エッセイスト
言語 日本語
国籍 日本
教育 学士(文学)
最終学歴 京都女子大学文学部国文科卒業
活動期間 1988年 -
ジャンル 俳句
主な受賞歴 第8回俳壇賞(1994年)
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愛媛県南宇和郡内海村(現在の愛南町)の出身[2]で、同県松山市に在住[3]。現在の夫は、CM・映像プロデューサーの加根光夫である[4](詳細後述)。
経歴 編集 愛媛県立宇和島東高等学校普通科[2]を経て、京都女子大学文学部国文科を卒業[2]後の1980年 (昭和55年)に、国語科教諭として松山市立余土中学校へ赴任[2]。1982年に愛南町立御荘中学校へ転任した[2]。
教師時代から、仕事と家庭を両立させながら、唯一の趣味として独学で俳句を嗜んでいた[5]。1988年 (昭和63年)には、教職を辞したうえで、 俳人に転身[6]。黒田杏子に師事しながら[7]、自宅のある松山を拠点に、俳句を本格的に手掛け始めた。
1997年(平成9年)には、俳句集団「いつき組」を組織するとともに、「組長」へ就任。全国の小中学高校生を対象としたカリキュラムの一環として、「句会ライブ」という俳句教室を開催している。
2013年(平成25年)からは、『プレバト!!』(毎日放送制作・TBS系列全国ネットのバラエティ番組)内の企画「才能査定ランキング」で、俳句部門の査定を担当。事前に提示した1枚の写真を基に、著名人のゲストが作成した俳句を、容赦のない毒舌で評価・添削する姿が人気を博している。
2015年(平成27年)には、「俳都松山宣言」を全国に発信する俳都松山大使に就任[8]。正岡子規後100年の俳句の現在から、さらに俳句の未来に向かった活動を展開すべく、「100年俳句計画」を提唱している。
俳人としての作風・活動 編集 中学校の国語教諭時代に懇親会の幹事を任された際に、自作の句を書いた紙を会場のテーブルへ置くことによって、出席者の座席を決めていた。そのことがきっかけで購入した歳時記に掲載の季語に感銘を受けたことから、作句へ真剣に取り組むようになったという[9]。
俳人としての活動に専念してからは、「感じたままを表現する」という自由な句作をモットーに掲げる一方で、季語と五七五の定型を守る「有季定型」に則った句作も重視している。前述した「句会ライブ」の開催や、東京メディアシティで収録する『プレバト!!』への出演以外にも、「俳句の種まき活動」と称して精力的に活動[10]。吟行会、故郷・内海(愛媛県愛南町)でのイベント「トレッキング・ザ・空海」、松山市で毎年開催される俳句甲子園へ参画しているほか、地元紙の愛媛新聞で「集まれ俳句キッズ」というコーナーを担当している。
さらに、月刊俳句マガジン「いつき組」を発行。携帯電話のiモードサイトで毎日更新される「俳句の缶づめ」に携わるなど、活躍の場を広げている。2015年(平成27年)に歌手のマユミーヌが発表したCDブック「俳句ソングス 横尾嘉信 編」には、夏井が詠んだ句にクリエイティブディレクターの横尾がメロディーを付けた楽曲「密会」を収録。夏井自身も、作詞者として名を連ねている[11]。また、同年11月19日に開館したNIFREL(大阪府吹田市の水族館)では、「生き物たちの一番面白い特徴や特性を知るための謎かけ」として「生きもの五七五」(水槽などで飼育する生物の特徴や性格を俳句で表現した種名版)の監修を担当[12]。同館がオープン1周年を迎えた2016年(平成28年)には、予約抽選制の「句会ライブ」を館内で開いたり[13]、俳句の選者として月に1回出演している『NHK俳句』(NHK Eテレ)に初代館長・小畑洋をゲストに招いたり[14]している。
自宅のある松山市を中心に活動している関係で、東京での仕事(『プレバト!!』の収録など)がある場合には、松山との間を飛行機で往復。夏井自身は、同番組への出演を「『俳句の種まき運動』の一環」とみなしながら[15]も、「(俳句への)注目度が急に高まったのは、『プレバト!!』以外の何ものでもない。(俳句に対する)敷居やハードルを、ブルドーザーでガーッと(一気に崩された感じがする)」と語っている[10]。
『プレバト!!』で査定を担当する「俳句の才能査定ランキング」では、おおむね厳しい口調で俳句の添削・評価ポイントを発表するため、番組内のナレーションや番組表の紹介文では夏井を「毒舌先生」と称することが多い。夏井によれば、「下手な俳句が目の前に出てくると、(推理小説における)シャーロック・ホームズのように、『作者は何を言いたくてこの句を詠んだのか』と推理しなくてはならない。逆に、良い俳句に出会うと、(自分の)血がきれいになったような気になる」という[9]。なお、2014年(平成26年)には、同企画から派生した書籍として『超辛口先生の赤ペン俳句教室』を朝日出版社から刊行。翌2015年(平成27年)11月末までの1年間で累計発売部数が5万部を突破するなど、俳句関連の書籍では異例のベストセラーになった[15]。
人物・家族 編集 生家では、明治時代から特定郵便局を開設。夏井の幼少期まで局長を務めていた祖父は、近隣の家庭で子どもが生まれるたびに、子どもへの命名を託されるほどの名士であった。夏井自身も、俳号の「いつき」の由来である本名の「伊月」を、祖父から付けられた。ちなみに、宇和島東高校へは、生家からバスで片道2時間ほどかけて通っていたという[16]。
中学校の国語教師だった25歳の時に、教師仲間の男性と結婚。教師の仕事に愛着を持ちながら、結婚後に2人の子どもを授かった。しかし、30歳の頃に舅が他界。その影響で体調を崩した姑を、松山市内にある夫の実家で介護する必要に迫られたことから、やむなく教職を辞した[5]。退職の際には、当時の教え子に対して、「これから俳人になる」と約束したという。
さらに、俳人としての活動を始めてから10年後(40歳の時)に、実母が脳腫瘍を発症。俳人としての活動だけで生計を立てることがままならない状況で、姑と実母の介護に疲弊したことから、「2人の実子を引き取る」という条件で離婚を余儀なくされた[5]。ちなみに、俳号の苗字に用いている「夏井」とは、離婚した夫の姓でもある[17]。
離婚後は、「(俳句と関連のない案件や、俳句の広報につながらない案件を除いて)依頼された仕事はすべて引き受ける」というスタンスで、俳人としての活動に没頭。「俳人になる」という前述の約束を守るべく、あえて教職へ復帰せず、「次の仕事につなげたい」との一心で話術を磨いた。句会などの活動を通じて知り合った縁から、家庭にトラブルを抱える複数の児童を、保護者の了承を得たうえで自宅に無償で住まわせたこともある[4][5]。
現在の夫である加根は、夏井より8歳年上で、かつて博報堂の関西支社に勤務[18]。CMプロデューサーとして、「マロニーちゃん」(中村玉緒が出演するマロニーのテレビCMシリーズ)などを手掛けていた[19]。夏井が46歳だった2003年(平成15年)に、インターネット上で配信する番組への出演を夏井へ依頼。出演自体は諸般の事情で実現しなかったが、かねてから趣味で俳句を詠んできた[18]こともあって、夏井との交際を始めた。その後は、関西支社のある大阪から松山を訪れるたびに、夏井の自宅で実子などの面倒を見ていたという。夏井自身は生活苦などを理由に再婚を渋っていたが、49歳だった2006年(平成18年)に、「(自分は50代の後半で)歳を取っているけど、結婚しましょう」という加根からのプロポーズをきっかけに再婚。加根は、後に博報堂を定年で退職すると、松山市内で夏井との同居を始めた。現在は、フリーランスの立場で、映像プロデューサーとしての活動を継続[20]。その一方で、夏井の仕事先にマネジャーとして同行するなど、公私にわたって夏井を支えている[5]。
2017年度(平成29年度)から、帝塚山学院大学リベラル・アーツ学部の客員教授として教職に復帰。就任後は、俳人として活動するかたわら、俳句の集中講義を担当している[1]。
和服を着るのは『プレバト!!』の収録や関連イベントへ出演する場合のみで、他の番組(『NHK俳句』など)には洋装で出演している。夏井によれば、「『プレバト』の和装はコスプレのようなもので、普段は洋服しか着ない」という[21]。
受賞