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LOVE PSYCHEDELICO
ラヴ・サイケデリコ
別名 デリコ
出身地 日本・東京都

活動期間 1997年~
レーベル ビクターエンタテインメント
事務所 JVCエンタテインメント
共同作業者 堀江博久(キーボード)
高桑圭(ベース)
白根賢一(ドラムス)
権藤知彦(コンピュータオペレーション・プログラミング)
山田ノブマサ(レコーディング・エンジニア)
公式サイト LOVEPSYCHEDELICO

メンバー KUMI(ボーカル・ギター)
NAOKI(ギター・ベース)
概要 ボーカルのKUMIとギターのNAOKIの男女二人によるユニットで、1997年に青山学院大学の音楽サークルで結成[2]。もともとは大学でNaokiがKUMIに「一緒にバンドやらない?」と声を掛けてなにげなく始まったバンドで、当初はプロデビューなどという野心はまったくなかった[3]。ファーストアルバムも、そのバンドがなくなり、後任のベースとドラムとキーボードを探すまでの間にデモテープのつもりで2人だけで作っていたものがそのままCDになってしまった[注 1][3][4]。
本来のバンド名は「LOVE PSYCHEDELIC ORCHESTRA」であったが、長すぎるのでORCHESTRAの頭文字「O」を取ってPSYCHEDELICの後ろにつけ、現在の名称になった[5]。香港、上海、台湾などのアジア圏では、2000年のデビュー当時から「愛的魔幻」の呼び名で絶大な人気を誇っている[6]。
デビュー当時は、自らがDJを務めるラジオ番組を持っていたものの、メディアに対するプロモーションには消極的で、テレビやラジオには出演せず、主にCDのリリースを中心に活動していた。しかし、2ndアルバムリリース後は全国ツアーや、各地のフェスティバルに出演するなど、ライブ活動に対してより積極的になる。それと同時に、全国のラジオ番組に積極的に出演したり、映画のメインテーマ曲の提供や「めざましテレビ」への出演など、メディアに対する動きも大きくなる。
アルバム『This is LOVE PSYCHEDELICO』(2008年)で全米デビュー。これは、たまたま彼らの音楽を耳にして、気に入ってくれたL.A.を拠点とするHackTone Recordsというインディーズレーベルの数年越しのラブコールに応えることで実現したもの[7]。
1st, 2ndアルバムなどのジャケットカバーやオフィシャルグッズに使われているKUMIに似たイメージキャラクターの女性の名前は「デリコちゃん」。
メンバー KUMI(クミ、 1976年4月11日(41歳)~)ボーカル・ギター他担当
千葉県出身。帰国子女で2歳から7歳までアメリカのサンフランシスコに住んでおり、ネイティブな英語が話せる。そのせいか日本語(イントネーション)が少しおかしいと言われる事もある。音楽をちゃんと聴き始めたのは大学以降。大学に入っていろいろ聴いていくうちに、自分がビートルズ、ボブ・ディラン、ローリングストーンズ、レッドツェッペリンといった70年代の音楽が好きだということに気づいた。ギターを始めたきっかけはボブ・ディランの「ミスター・タンブリン・マン」で、ギターを弾きながら歌うスタイルに魅かれた。2010年3月9日に10歳年上の一般男性と結婚。
NAOKI(ナオキ、 1973年7月21日(44歳) - )ギター・ベース他担当
静岡県出身。本名:佐藤直樹(さとう なおき)。初期のリリース作品にはNAOKI SATOと表記されていた。敬愛するミュージシャンはヴァン・ヘイレン、ビートルズ、ジョン・レノンなど[10]。ビールが好きなようで、(ジョン・レノンの影響もあるのか)ライブ中に缶ビールを飲むパフォーマンスをよく行う。THE BAWDIESのプロデュースを行っている。
サポートメンバー 下記のバンドメンバーは、2004年秋の全国ツアー「Mind across the universe 2004」から固定化している[注 2]。ライブやレコーディングだけでなく、プロモーションビデオでも共演する事が多い。
堀江博久(NEIL & IRAIZA):鍵盤楽器、ギター担当
高桑圭(HONESTY、元GREAT3):ベース担当
白根賢一(GREAT3):ドラム担当
権藤知彦(METAFIVE、anonymass、pupa):コンピュータオペレーション・プログラミング、ユーフォニアム担当
レコーディング 山田信正(amp'box Recording studio):レコーディング・エンジニア、ドラム担当
スペシャルバンド 2015年のアジアツアーのバンドメンバー[6]。
長岡亮介(ペトロールズ、元東京事変):ギター担当
千葉広樹(Kinetic、rabbitoo、サンガツ):ベース担当
坂東慧(T-SQUARE):ドラム担当
ゴンドウトモヒコ(METAFIVE、anonymass、pupa):ホーン、コンピュータオペレーティング担当
ゲストメンバー レニー・カストロ (Lenny Castro):パーカッション担当
高橋幸宏:ドラム担当
過去のサポートメンバー わた流D:ベース担当
略歴 1997年1月、青山学院大学の音楽サークルACM(Aoyama Creative Music)にて結成。元は数名からなるバンドだったが、音楽性の違いから、最終的にKUMIとNAOKIのデュオとなる。
1999年11月、FM局に楽曲を応募。放送後にリスナーから問い合わせが殺到する。複数の音楽関係者の目に止まり、多くの事務所・レコード会社から声がかかる。
2000年1月、タワーレコードを中心にインディーズで100円で限定カセットを販売。同年4月21日、シングル『LADY MADONNA~憂鬱なるスパイダー~』でビクターエンタテインメントよりデビュー。1stアルバム『THE GREATEST HITS』は、160万枚を超える売り上げを記録した。
2001年3月、アメリカの音楽フェスティバル「SXSW」に出演し、全米のライブハウスを回る[注 4]。
2002年1月9日、2ndアルバム『LOVE PSYCHEDELIC ORCHESTRA』をリリース。ちなみにアルバムタイトルは現在のネーミングになる以前に名乗られていたバンド名。つまりこのアルバムは、セルフ・タイトルド・アルバムである[5]。
2003年、8thシングル『My last fight』をリリース。フジテレビ系テレビドラマ『ハコイリムスメ!』のエンディングテーマに採用される。
2004年、3rdアルバム『LOVE PSYCHEDELICO III』をリリース。このアルバムからセルフプロデュースになった[11]。オープニングナンバーの『Everybody needs somebody』が映画『ホテルビーナス』のテーマソングに起用される。10月、2年ぶりの全国ツアー「Mind across the universe 2004」、11月には初のアジア・ワンマン・ツアー(韓国・香港)を行う。
2005年、初のベストアルバム『Early Times』が、オリコン2週連続1位を記録。5月27日、初の日本武道館公演を成功させた[注 5]。6月、台湾公演を行う。9月7日、彼らのプライベートスタジオ「ゴールデン・グレープフルーツ・レコーディング・スタジオ」が完成し、以後レコーディングはここで行うこととなる。
2006年4月7日より、NHK総合のテレビ番組『英語でしゃべらナイト』新オープニングテーマ曲として、デリコがアレンジしたビートルズのカバー曲「HELP!」が流れる。また同日、本人達が出演しているシーンも放送された。
2007年、フジテレビ『僕らの音楽-OUR MUSIC-』に出演、番組内で初のテレビライブとオノ・ヨーコとの対談の模様が放送された。10月から全国ツアー「LOVE PSYCHEDELICO 2007 GOLDEN GRAPEFRUIT TOUR」を開催。
2008年5月20日、アルバム『This Is Love Psychedelico』をアメリカで発売し、全米デビューを果たす。また、その日本盤も6月18日に、ライブ映像やPVを収めたDVD『GOLDEN GRAPEFRUIT BOX』と同時発売された。
2009年12月2日、『FNS歌謡祭』に初出演し、ジョン・レノン&オノ・ヨーコの「ハッピー・クリスマス (戦争は終った)」を披露した。生放送のテレビ番組への出演もこれが初めてであった。
2010年1月、5thアルバム『ABBOT KINNEY』[注 6]をリリース。6月から『LOVE PSYCHEDELICO 2010 “ABBOT KINNEY” CONCERT TOUR』を開催、全国5ヵ所にて公演を行なう。7月、香港・台湾でワンマン公演。8月、SMAPにシングル「This is love」の楽曲提供。
2013年4月17日、6thアルバム『IN THIS BEAUTIFUL WORLD』をリリース。5月より約3年ぶりとなる全国ツアー「LOVE PSYCHEDELICO TOUR 2013 "IN THIS BEAUTIFUL WORLD"」を開催。サポートには普段のバンドメンバーに加え、TOTOの初期から後期までアルバムやライブのサポートを務めたことでも知られる世界トップクラスのパーカッショニスト、レニー・カストロも参加[11][12]。
2014年、最もミニマムな2人だけで出来る楽器を会場に持ち込み、アコースティックライブを始める[注 7][13]。