→Johnny Depp(53) | オレサマのブログ
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<2021-04-18 日 03:15:40~05:00 7☆フロム・ヘル>
●フレッド・アバーライン●ジョニー・デップ ∋平田広明



本名 ジョン・クリストファー・デップ2世
John Christopher Depp II
生年月日 1963年6月9日(53歳)
出生地 アメリカ合衆国 ケンタッキー州オーエンズボロ
身長 175cm
血液型 O型
職業 俳優・ミュージシャン・プロデューサー
ジャンル 映画
活動期間 1984年 -
配偶者 ロリ・アン・アリソン
(1983年~1985年)
著名な家族 パートナー:ヴァネッサ・パラディ(1998年~2012年)
長女:リリー=ローズ・メロディ(1999年~)
長男:ジョン・クリストファー(2002年~)
主な作品
『21ジャンプストリート』
『シザーハンズ』
『ギルバート・グレイプ』
『エド・ウッド』
『スリーピー・ホロウ』
『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ
『ネバーランド』
『チャーリーとチョコレート工場』
『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』
『アリス・イン・ワンダーランド』シリーズ
・ 受賞
MTVムービー・アワード
演技賞
2007年『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』
男性演技賞
2004年『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』
悪役賞
2008年『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』
コメディ演技賞
2008年『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』
ゴールデングローブ賞
主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)
2007年『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』
全米映画俳優組合賞
主演男優賞
2003年『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』
その他の賞

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日本ではジョニデと略されることもある[1]。
生い立ち 編集 ケンタッキー州オーエンズボロにて、土木作業員の父・ジョン・クリストファー・デップとウェイトレスの母・ベティ・スー・パーマーとの間に生まれる[2]。4人兄妹の末っ子で9歳上の兄ダン、7歳上の姉デビーと2歳上の姉クリスティーがいる。フランス人、アイルランド人、ドイツ人、チェロキー族の血を引く[3][4]。クリーク族の血を引いているとも言われている[5]。
家庭の事情で頻繁に転居を繰り返し、7歳の時にフロリダ州ミラマーに定住。1978年に両親が離婚。子供時代はストレスのために自傷行為を繰り返したという[6]。12歳で酒を飲み始め[7]、14歳の頃からドラッグに手を染めるなど、どん底とも言える青年時代を送った。しかし、親友との死別をきっかけに足を洗う事を決意。16歳の時に高校を中退しミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。幼少期からの経験により、特に初期の映画作品にはドラッグをテーマに扱ったり少し変わった性格の変人を演じることが多かった。
キャリア 編集 音楽活動 編集 「The Kids」をリードギタリストとして率い、イギー・ポップの前座も務めた。バンドは商業的に成功を収め、さらに活動を本格化させるべくロサンゼルスに活動拠点を移し「Six Gun Method」と改名し様々なバンドとコラボレーションを行った[8]。
近年では、オアシスやローリング・ストーンズのレコーディングにもギターで参加したほか、1995年にはバットホール・サーファーズのギビー・ヘインズと共に「P」というバンドを結成しCDを発売した。ストーンズのキース・リチャーズは、「ジョニーは、自分で思ってるよりギターが上手くて、俺はたぶんジョニーが思ってるよりギターが下手だと思う」と語っている[9]。ちなみに2人は、1995年にキースの息子の仲介によって出会った[10]。
2010年には、イギリスのインディーズロックバンド・ベイビーバードのアルバムにも参加し、PV撮影の監督も行い、更には自らのレコードレーベル“UNISON MUSIC”を設立し、新人発掘を行っているらしい[11]。
2012年10月には、大手出版社ハーパーコリンズと共に出版レーベル「インフィニタム・ニヒル」(デップの映画製作会社と同名)を設立し、最初に出版物としてボブ・ディランの評論「The Unraveled Tales of Bob Dylan」(ダグラス・ブリンクリー著)をリリース。
一方で、俳優が知名度を利用して音楽活動をする行為は嫌悪しており、本格的な音楽活動をすることはないと語っている[12]。
2015年、アリス・クーパー、ジョー・ペリーと共にロックグループ "ハリウッド・ヴァンパイアーズ" を結成。9月11日、同名のスタジオアルバムをリリースした。
初期の俳優活動 編集 20歳の時に25歳のメイクアップ・アーティストのロリ・アン・アリソンと結婚。
その時に、彼女の元恋人であったニコラス・ケイジと知り合い、ケイジから俳優への転身を勧められた。その後ニコラス・ケイジのすすめで、付き添いとして足を運んだオーディションの会場で出演の打診を受け、1984年にホラー映画『エルム街の悪夢』で初出演。その後ニコラス・ケイジの紹介で『プラトーン』の端役などで経験を積んだ。当初は俳優の仕事に対して消極的であったデップだが、尊敬する俳優のフレデリック・フォレストとの共演が転機となり、本格的に俳優への道を歩み出す。
製作側の説得によりフォックス放送のテレビシリーズ『21ジャンプストリート』に主演し、一躍ジュニアアイドルとして脚光を浴びる。それでも自分が商品として扱われることやテレビドラマでの役のイメージに縛られることを恐れたため、活動の場を映画のみとすることに決めた。
映画俳優として 編集 1990年公開の『クライ・ベイビー』で映画初主演を果たし、同年公開の『シザーハンズ』は大ヒットするが、その後の出演作品の興行収入と知名度は付随しなかった。しかし、『ギルバート・グレイプ』などのヒューマンドラマや『エド・ウッド』といった伝記映画に立て続けに出演し俳優としての実力を身につけた。
俳優業の傍ら、親族の出自(彼の母方の曾祖母は純血のチェロキー族であり、父も同じくチェロキー族の血を引く)からインディアンの問題に関心を持っていたデップは1997年に、マーロン・ブランドを招聘し映画『ブレイブ』を監督した。
1999年にこれまでの功績が認められハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれる。
映画『ナインスゲート』で知り合ったヴァネッサ・パラディと交際。ヴァネッサ・パラディとの間に女児をもうけた。2003年にディズニー/ブエナビスタ共同制作の娯楽超大作『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』で興行面での大成功を収め、世界的な規模で爆発的な名声を獲得した[13]。同年の『ピープル』誌にて「最もセクシーな男性」に選出され、全米映画俳優組合賞主演男優賞を受賞、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。
2004年公開の『ネバーランド』でイギリスの作家ジェームス・マシュー・バリーを演じ、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。その後も基本的には性格俳優であり、パイレーツ・シリーズでファンとなった観客を驚かせるような企画、役柄にも取り組み続けている。
2007年公開の『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』で、初のミュージカル映画に出演。この作品でゴールデングローブ賞 主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞し、アカデミー主演男優賞にもノミネートされた。
2009年の『ピープル』誌にて「最もセクシーな男性」に再び選出された。
2011年、妹のクリスティ・デンブロウスキーと共同で映画製作会社「インフィニタム・ニヒル (en:Infinitum Nihil)」を設立。『ラム・ダイアリー』が同社製作のデビュー作となった。
2010年代になると主演作の興行成績が低迷し、アメリカでの人気凋落が囁かれている[14]。2014年には、失言も原因で「最も影響力のない人物30人」に選ばれた事がある[15]。2015年には、「チャーリー・モルデカイ 華麗なる名画の秘密」がアメリカで大コケし、失踪騒動を起こした事がある[16]。また、同年には相次ぐ映画の大コケで「コスパの悪い俳優部門」で一位に選ばれたことがある[17]。2016年には『アリス・イン・ワンダーランド』の続編が日米共に動員、興収が前作より大幅にダウン[18]し、この映画の大コケが原因で二年連続で「コスパの悪い俳優部門」で第一位に選ばれた[19]。
しかし、Forbesによる2016年の「最も稼ぐ男優」では48億円を稼ぎ、5位にランクインしている(『パイレーツ・オブ・カリビアン5』と『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』の前払い報酬によるもの)。
私生活 編集 関係・家族 編集 1983年に音楽活動の