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「チームB」は、AKB48を構成する5つのチームのうちの1つ。AKB48は過去4度にわたり、チームの再編成を行っているため、以下のように5つの「チームB」が存在する。
初代チームB (2007年4月8日 - 2010年4月16日)
柏木チームB (2010年5月21日 - 2012年10月22日)
梅田チームB (2012年11月1日 - 2014年4月23日)
倉持チームB (2014年4月28日 - 2015年8月27日)
木・チームB (2015年9月1日 - )
ここでは、それぞれについて解説する。
初代チームB 2007年4月8日結成、2010年4月16日公演終了。なお、公式チーム呼称が発表されていないため、便宜上「初代」とする。
特徴 AKB48第3のチーム。3つの中では(2009年当時)新しいチームであり、メンバーの平均年齢も(当時)一番低い。チームの特徴は「愛され系・末っ子チーム」[1]と呼ばれることも。
チームカラーはブルー。
チームAとチームKが比較的デビュー時期が近かったのに対し、チームBは(先の2つのチームとはデビュー壹岐が)1年近く離れている。チームAとチームKのライバル意識が強かったのに比べ、チームBのメンバーは「AKB48」に憧れて入ってくる様な子も多かった為、あまり先輩チームにライバル意識は持っていないとされる[2][3]。
チームAやチームKの最初の頃の公演とは違い、チームBから劇場公演は常に満員状態であった[4]。
AKB48初期のコンセプトの一つに、ファンがメンバーを育てるという育成ゲーム的要素もあり、実際、チームAとチームKというチームはそうやって作られていったが、チームBからは運営は徹底したファンとの断絶政策を行う様になり、メンバーとの交流をかなり制限。プレゼントはおろか、ファンレターすら本人の手には渡っていなかったという噂もある[3]。
メンバーの性格はおっとり系・のんびり系が多く、また「ヲタ4」と呼ばれる4人(渡辺麻友・多田愛佳・仲谷明香・田名部生来)をはじめとする、アニメやゲーム好きのオタク濃度高め系と、柏木・渡辺を代表するアイドル濃度が高め系などで構成される。
メンバー同士の仲は良く、渡辺麻友は「チームBと言えば、仲良しこよしのチーム」と説明[5]。また、仲谷明香もチームB内でケンカはまったく無かったと言っている[6]。
しかし、サポートメンバーとしてチームAから異動してきた1期生の浦野一美は、最初は3期生の年下のメンバーと対立があった事を、後に語っている[7]。
浦野を含むサポートメンバーの加入や、チームBの結成までの経緯は複雑な事情が絡んでいる。
2006年11月、第3期生オーディションに20名が合格。12月9日の「AKB48 1st Aniversary LIVE! 勢揃いだぜ『A』『K』『B』!」でチームB候補生として18名がお披露目された[8]が、その後のレッスンで5名が離脱。人数が13名となりチームの結成すら出来なくなってしまう。
そこで同年12月、チームAから数名をサポートメンバーとしてチームBへ異動させる案が浮上し、最終的に、浦野一美、平嶋夏海、増山加弥乃、渡邊志穂の4名をチームBへ異動させることに決まった。
ある日のチームA公演終了後、楽屋でスタッフがチームAのメンバーに事情を説明。チームAから新設されるチームBへ、サポートメンバーとして何名かを異動させると発表した。
高橋みなみ「そこにいた全員が一瞬のうちに血の気が引いていくのが分かるんです。そうしたらスタッフさんに『高橋はどう思う?』っていきなり聞かれたんです。で、『異動するのは自分だ』って思いました。その時は何とか声を出して『…何も言えないです』って答えるだけで。もう今地獄に居るって思いました」「その話になった時に、『あっ呼ばれる、ヤバイヤバイ!』って思いました。呼ばれたメンバーは『楽屋から出て』って言われて。あの時、加弥乃は号泣していて、なっちゃんも泣いていて、志穂ちゃんはふてくされ気味。私はどうしたらいいのか分からなくて黙っていました。言葉は悪いけれど、"左遷"ってイメージがあったから」[9]
その後、翌2007年1月にはチームAの折井あゆみの卒業で今度はチームAのメンバーが足りなくなったため、Bへ異動予定だった増山加弥乃がチームAに残留。最終的に浦野、平嶋、渡邊がチームAの千秋楽をもって、チームBへサポートメンバーとして異動。ようやく、チーム結成と公演デビューに漕ぎつくことができた。
2007年4月8日、AKB48の「第3のチーム」として公演デビュー。チームAやチームKに比べると、お披露目からデビューまでの間が少し空いている。またチームAとチームKがわずか1ヶ月ほどのレッスンでデビューしているのに対し、チームBはデビューまで5ヶ月もかかっている。
セットリストはチームB 1st Stage「青春ガールズ」で、客席は超満員。この頃のAKB48の人気は徐々に高くなり、チームBのデビュー前から雑誌にはメンバーの情報が公開されていた。行われたセットリストはKのリバイバル公演のため、ファンも非常に盛り上がりやすい。チームBのメンバーは「こんなに盛り上がるんだ!」と歓喜していたという[9]。
ところがチームKのファンの中には、拒絶反応を示す者もいた。「青春ガールズ」は、チームK初のオリジナル公演で、代表曲とも言える『転がる石になれ』を含んでいる。それ故、別のチームに歌われるのに納得がいかないファンもいたという。また、当時チームKは「脳内パラダイス」を上演していたが、チームKの1周年記念公演では「青春ガールズ」のリバイバル公演を行っている。これはチームKメンバーからの要望だったらしく、「チームKからチームBへの無言のアピール」だったとも言われているが[3]、真相は定かではない。
しかしチームBは、デビューから2日目にして、すぐに暗雲が垂れこめる。渡辺麻友が足の怪我のため、早々に離脱。さらに怪我人や体調不良が続出し、多くの休演者を出す。
柏木由紀「当時はアンダーがいなかったから、休んだメンバーの立ち位置には誰もいないんです。9人で公演したこともあって。最終的にはチームKさんたちに出て貰ったりとか。不注意で怪我したりインフルエンザにかかったり…。先輩たちはそんな事なかったのにBだけが多くて、CinDyやなっちゃんにも怒られました。『Aでは体調不良になったとしても、這ってでも舞台に立ったよ。第一、お客さんに申し訳ないと思わないの?』って」。自分たちのせいで先輩に迷惑をかけ、何よりも公演を見に来てくれたファンをがっかりさせる。悔しくて情けなくて、初日に喜んでいた自分たちがバカみたいに思えたという[9]。
さらにこの頃は、映画「伝染歌」に主要メンバーが出演することから、撮影による休演者が増えていた[9]。そのような状況で、劇場公演はチームBが支えることとなる。甘えん坊の末っ子チームと呼ばれたメンバーは必死に劇場公演を盛り上げ、チームB独自の新規ファンを獲得。チームAやチームKの時に出遅れたファンなどが、必死にメンバーに覚えて貰おうとアピール。その行為は「Bダッシュ」と呼ばれた[9]。
このような努力も実り、これまで先輩チームのセットリストを借りて演じていたが、2008年3月にはチームB初のオリジナル公演チームB 3rd Stage「パジャマドライブ」が与えられる。デビュー時から「チームAやKに比べたら、Bは全然苦労していない」「万年“劇場のお留守番係”」とまで呼ばれていたチームBが、やっと一人前のチームとして認められた証だった[9]。
その後、チームとしては順風満帆であったが、チームBの有力メンバーであった菊地彩香のプリクラ流出騒動からのAKB48解雇(48グループ初の解雇者)や、早乙女美樹の研究生降格(AKB48として初の研究生降格)という、チーム内を揺るがす出来事も起きている。
柏木は菊地の解雇に際し、「菊地の存在は、チームBにとってすごく大きかった。それまで菊地がいた場所が空いてしまうことは恐怖でした。相当引きずりましたね、みんな。まさか辞めるなんて思ってもいませんでした。もちろん悲しいとか寂しいという気持ちはあったんですけど、いつかきっと戻ってくると思っていたんです。菊地自身がポジティブだし、AKB48の事が大好きでしたから」「菊地って明るくて、能天気で、天然じゃないですか。でも、その頭で一生懸命考えたんだろうなっていう文章で…。すごい泣けたんですよね。みんなに送られてきたんですけど、号泣でした」[10]と述懐している。
「末っ子」と呼ばれていたチームBにも