→木村太郎(78) | オレサマのブログ
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宮根誠司
ラブラブ!グループ名しょぼん


1900年ショック!ラブラブ!日生

しょぼん出身
ビル職歴
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レギュラー
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2016-00-00→テレビ晴れ
テレビ晴れ




単発


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2016-00-00→テレビ晴れ
テレビ晴れ





木村 太郎
生誕 1938年2月12日(78歳)
アメリカ合衆国・カリフォルニア州バークレー
教育 慶應義塾大学法学部
職業 ジャーナリスト、元NHK記者
代表経歴 『FNNスーパーニュース』コメンテーター
木村 太郎(きむら たろう、1938年2月12日 - )は、日本のフリージャーナリスト、ニュースキャスター。逗子・葉山コミュニティ放送株式会社(通称名・湘南ビーチFM)代表。(有)木村太郎事務所代表。NHK記者、キャスターを経てフジテレビ系「Mr.サンデー」のコメンテーターも務める。
経歴 編集 アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレーに生まれる。慶應義塾幼稚舎から進学した慶應義塾高等学校を放校後(ビリヤードに通いつめたとの弁)、1957年に東海高校、1964年に慶應義塾大学法学部卒業(新聞研究所、現メディアコミュニケーション研究所修了)で学位は法学士。3年間、外国に遊学に行っていたため大学に7年間在籍し学部を卒業した。
NHK時代 編集 就職活動もままならず、ゼミナールの指導教員だった生田正輝の紹介で特殊法人日本放送協会 (NHK) を受験する。本人はジャーナリスト志望ではなく、当時年齢制限なく入社試験を受けることのできた唯一の組織がNHKであった。
1964年NHKに入局後、報道記者として活動。NHK徳島放送局記者、NHK神戸放送局社会部記者(~1969年)、東京本部社会部遊軍記者(1969年~1974年)、パリ支局中東・アフリカ担当(ベイルート駐在、1974 - 1976)、ジュネーヴ支局特派員 (1976 - 1978)、東京本部外信部記者 (1978-1980)、アメリカ総局(ワシントン支局)特派員 (1980-1982) と主に海外支局特派員を経験する。
1982年からは同局の総合テレビでの看板ニュース「ニュースセンター9時」のメインキャスターを務め人気を博し、1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故では日本航空広報部からの記者会見を差し置いて、乗客名簿の読み上げを優先させるようにするなど、記者時代の感覚でニュースの重要度を判断した。
フリー(フジテレビ専属)時代 編集 1988年の番組終了時に上司から管理職の打診があり、生涯現場を希望していた木村は熟慮の末、NHKを退職。木村太郎事務所を設立し、フリージャーナリストに転身並びにフジテレビと専属契約を結ぶ。その年のアメリカ大統領選挙をフジテレビの現地キャスターとして取材した。
1989年4月からはフジテレビ「FNN DATE LINE」のメインキャスターに就任。1990年4月からは「FNN NEWSCOM」のメインキャスターを務め、エンディングのダジャレが話題となった。
1994年4月からの「ニュースJAPAN」ではコメンテーターとして出演、2000年4月からは「FNNスーパーニュース」のコメンテーターとなる。2010年4月より、それまで月~金曜日の全日レギュラーであった「FNNスーパーニュース」への出演を、月~木曜日に変更。
2010年7月からは「Mr.サンデー」への不定期出演を開始。
2011年3月12日午前に東日本大震災関連の特番でコメンテーターを務めた時に青嶋達也アナと久々に共演をした(FNN NEWSCOM以来、17年ぶり)。
2013年3月28日の放送を最後に「スーパーニュース」から降板する[1]。
1993年開局の神奈川県のコミュニティFM(湘南ビーチFM)の代表を務めている。2007年10月4日にはドリーム・トレイン・インターネット社外取締役に就任。
発言 編集 沖縄米兵暴行事件 編集 2001年7月3日の「スーパーニュース」の放送中に沖縄米兵婦女暴行事件について「日本側の交渉に幸いとなる事件かも知れない」と失言し、特に沖縄県の視聴者から非難が殺到し、一時降板するが後に復帰。その後も、たびたび失言するが番組上で謝罪するに留まっている。
韓国国家ブランド委員会 編集 2011年2月6日のMr.サンデー特集「K-POPにハマる女たち 韓流男子にひかれるワケ」において、司会の宮根誠司から「徹底したレッスン、プロ意識を植え付けて(韓流タレントが日本へ)やってくることについてどうですか?」と問われた際に、「レッスンだけではないんですよ。韓国政府のブランド委員会というものがあって、K-POPをブランド化しようとしてすごく力を入れている。それは何をしているかというと、広告会社に行ってYouTubeなどにこういうの(K-POPの映像)が載るでしょ。それをいっぱい再生しろと。回数を増やせと。そういうことを国を挙げてやっている」と発言。
この発言は、中央日報の報道[2]により韓国内で知られるところとなり、「特定の映像に対して再生誘導を依頼したことはない」との指摘を韓国国家ブランド委員会から受けたフジテレビは、2011年3月6日の放送で「木村の発言は『韓国ではK-POPを自国の文化的財産として大切にしていて、多くの人々に見てもらうため、政府としてもその普及に取り組んでいる』というもので、『特定の映像を再生誘導している』という意味ではない」とする謝罪放送を行った。
エピソード 編集 趣味は昼寝(暑い所でも良く寝られるという)、モットーは原稿より健康。
1980年よりパソコン通信、インターネットを利用。出会いはアメリカでの記者生活の時、新聞の早刷りをインターネットを通じて知り得た事と言う。「ニュースJAPAN」の頃は自分で回線を繋ぎ、パソコンに内蔵の百科事典と共に愛用していた。湘南ビーチFMとしてポッドキャスティングに参加、国際放送機器展に出席している。
石原慎太郎とはヨット仲間。ジョン・レノン夫人オノ・ヨーコは幼馴染である。
「FNNスーパーニュース」での木村によるコメントは、下側の字幕表示から「木村太論」と呼ばれていた。パートナーを組む安藤優子にコメントを求められるとき、安藤の見方とは違う視点からコメントするよう努めている[1]。コメンテーターとしての地位が確立されているが、折に触れ国政選挙や台風中継を現場でリポートしたり、電気自動車などエコカーの運転体験もしている。また、阪神・淡路大震災ではNHK時代の初任地、徳島から取材を開始した。
NHK特派員時代にワシントンD.C.に在住歴があり親米派で、ジョン・F・ケネディを尊敬している。
パリに住んでいたことからフランスに対する愛着が強い。
英語版Wikipediaの水準の高さを評価しているが、日本語版Wikipediaは2ちゃんねる化していると評している。
2015年12月時点で、ドナルド・トランプが2016年アメリカ合衆国大統領共和党予備選挙で指名候補となること、かつ、ヒラリー・クリントンが2016年アメリカ合衆国大統領選挙で共和党候補に勝つ可能性も低いと、直感によって推測していた[3][4][5]。
出演番組 編集 テレビ 編集 ニュースセンター9時(NHK、1982年4月 - 1988年3月)メインキャスター
JAL123便墜落緊急報道特番(NHK、1985年8月12日)メインキャスター
FNN DATE LINE(フジテレビ、1989年4月 - 1990年3月)メインキャスター
FNN NEWSCOM(フジテレビ、1990年4月 - 1994年3月)メインキャスター
ニュースJAPAN(フジテレビ、1994年4月 - 2000年3月)コメンテーター(1999年の安藤優子休暇時にメインキャスター兼務)
FNNスーパーニュース(フジテレビ、2000年4月 - 2013年3月)コメンテーター
※2000年春改編より平日に出演。2010年3月29日より出演曜日を月 - 木曜に縮小。2013年春改編で降板。
FNN報道特別番組(フジテレビ)コメンテーター(以前はリポーター、メインキャスター)
Mr.サンデー(フジテレビ・関西テレビ、2010年7月 - )不定期コメンテーター
世界HOTジャーナル(フジテレビ、2013年10月 - )コメンテーター
ゆうがたLIVE ワンダー(関西テレビ、2015年4月 - ) - 不定期コメンテーター
ほか多数
ラジオ 編集 クマヒラ・木村太郎のワンダーランド(TBSラジオ・JRN、1989年10月 - 1990年3月・1990年10月 - 1991年3月)パーソナリティー
初回ゲストは『NEWS23』メインキャスター(当時)の筑紫哲也。
吉田照美のやる気MANMAN!(文化放送、1991年)ゲスト出演予定もキャンセル。詳しくは番組の項目を参照。
伊集院光の週末TSUTAYAに行ってこれ借りよう!(TBSラジオ、2016年7月1日・15日)『巴里のアメリカ人』を紹介。