→いとうあさこ(49) | オレサマのブログ
<土 12:00:13~13:30 メレンゲの気持ち>

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横浜だよな?

高橋まあさと一周り以上違うが同窓生かー


フェリスか?



いとう あさこ
本名 伊藤 麻子
生年月日 1970年6月10日(46歳)
出身地 東京都渋谷区
血液型 AB型
身長 162cm
方言 共通語
最終学歴 雙葉高等学校卒業
出身 舞台芸術学院ミュージカル別科
コンビ名 ネギねこ調査隊(1997年 - 2003年)
相方 佐藤千亜紀(コンビ時代)
芸風 漫談
コント
ものまね など
事務所 マセキ芸能社
活動時期 1997年 -
同期 インスタントジョンソン
ニブンノゴ!
あべこうじ など
現在の代表番組 『ヒルナンデス!』
『メレンゲの気持ち』 など
過去の代表番組 『エンタの神様』
『Goro's Bar』
『はなまるマーケット』など
他の活動 女優
リポーター
配偶者  未婚
公式サイト マセキ芸能社によるプロフィール
受賞歴
R-1ぐらんぷり2010 5位(2010年)

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いとう あさこ(1970年6月10日 - )は、日本のピン芸人、お笑いタレント。本名、伊藤 麻子(読み同じ)。
あだち充の野球漫画『タッチ』のヒロインのコスプレをすることが多い。
東京都渋谷区出身、中野区在住。
マセキ芸能社所属。
東郷幼稚園、
雙葉小学校、
雙葉中学校・高等学校、
舞台芸術学院ミュージカル別科卒。

身長162cm、体重62kg、血液型AB型。

来歴・人物
実家が桁外れの大金持ちで[3]、小・中・高と女子御三家の一つ雙葉に通った筋金入りのお嬢様。
ナイツの塙宣之に「お屋敷みたいな家が実家」と暴露されている。
1997年、佐藤千亜紀とお笑いコンビ「ネギねこ調査隊」として活動を開始。
ネギねこ調査隊時代『進ぬ!電波少年』の電波少年的15少女漂流記(最後は8少女漂流記)という企画に参加した。
仲間内では「おかん」と呼ばれ、信頼が厚かった。
その後、最後までリタイヤしなかった8人で「8/15」というグループを組み、久保田利伸プロデュースでCDを発売している。

しかしその後2001年にいとうが単独で『電波少年』の企画に参加し、長期間コンビ活動ができなくなったことが決定打となり、2003年5月に解散。
ピン芸人として活動を始めた。ピン芸人当初は「伊藤麻子」と漢字表記だったが、「暗く固いイメージがある」という理由から、『エンタの神様』に出演する際にひらがな名義にした。この頃から徐々にネタ番組などに出演し始める。

2003年9月11日から2010年8月11日まで7年間に渡り、「さるさる日記」にてブログを綴っていた(2011年6月30日をもって公開終了)。

雑誌『TOKYO (KANSAI) 一週間』の企画で『M-1グランプリ2007』に大輪教授と「いとう★教授」として出場し、3回戦まで進んだ。

2009年6月4日放送の『ザ・イロモネア』の「ゴールドラッシュ」で1回の放送で3週勝ち抜き本選出場権を獲得。
さらに、翌6月11日の放送では初出場で100万円を獲得する。司会のウッチャンナンチャンと同じマセキ芸能社所属の芸人としては初の100万円獲得者となる。

2009年、テレビの露出が増え始め[4]、『FNNスーパーニュース』に「密着アラフォー芸人」というタイトルの密着取材を受けた。
2010年4月17日公開の映画『クレヨンしんちゃん 超時空!嵐を呼ぶオラの花嫁』で声優に初挑戦した。
芸風・持ちネタ 編集 漫談が基本スタイル。異性関係の希薄さや金銭面の困窮など、自虐的なネタを好んで用いる。ネタの内容とは裏腹に、一貫して満面の笑みと快活な口調で進行するのが特徴。ライブではコスプレ1人コントや、物真似トークなども行う。例として「倖田來未の物真似でオヤジギャグを連発する」という持ちネタがあり、時折テレビ番組でも披露することがある。その際のキャッチフレーズは「ブスカワイイ」。
『エンタの神様』ではウクレレをつま弾きながら漫談を行う、独特のキャラクターで好評を得た。冒頭の自己紹介で「三十路と言う恐ろしい壁を越え早4年~[5]」と甚句調に述べた後、「同級生の子供がもう17歳[6]」「同世代の親類で未婚者は自分だけ」「同い年は曙[7]」と決め台詞を言うのが通例。
『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」では、1980年代のアイドルなど(ラ・ムー時代の菊池桃子、荻野目洋子、BaBeの二階堂ゆかり、柏原よしえ)や、アイドルのバックダンサー(スクールメイツ、キャプテン、ジャPAニーズ、Dee-Dee)またはバックバンド(シブがき隊のバックバンドシブ楽器隊)、「ヤヌスの鏡」のオープニングなどの物真似をしている。
現在はレオタード姿で漫談を行うネタを愛用している。新体操のリボン演技をしながら登場、「浅倉南、○○歳(現在の年齢)です」と述べた後、「筋肉痛の回復が遅くなった」「眼科医から老眼を疑われた」など自分の年齢をネタにした決め台詞を言う。現在のところ、タッチの作者であるあだち充に許可は取っていない。着用しているレオタードは、森三中の黒沢かずこから譲り受けたもの[8]である。なお、2年間も着続けたことにより汗が全体に染み込み、何度洗っても臭いが取れなくなってしまったと述べている。
エピソード 編集 趣味・嗜好 編集 小学生の頃はピンク・レディーに熱中。また近藤真彦の大ファンで、部屋にポスターを貼りまくっていたという。初恋の人が、『3年B組金八先生』に出演していた近藤真彦演じる「星野清」であったと述べている[9]。
無類の酒好きを自認しており、特に日本酒を好む。「私はバカみたいにお酒を飲むから、そんなに長生きできないんじゃないか」と考えており、60歳の誕生日に2冊目の自叙伝『あさこ60歳。~私、まだ生きてる!~』を出版し、その翌日(2030年6月11日)に飲み屋で死ぬのが理想と語った[10]。
『しくじり先生 俺みたいになるな!!』に先生役として登場した際、最近になって始めた趣味として「自分の遺影の撮影」を挙げている。いとう本人の弁によれば、40代になっても未婚であることから孤独死に対する恐怖感を抱いたことがきっかけだという。しかしある時期を境に「自分の人生は幸福だったと死後に理解してもらえば良い」と割り切るようになり、定期的に遺影を撮るようになった。「自分が大切にしているものと一緒に写ること」を重要視しており、実際に遺影として撮影した例として日本酒の一升瓶を持った姿の写真を公開、共演者を爆笑させた。
家庭環境 編集 雙葉学園には王貞治の長女、次女(王理恵)、三女がそれぞれいとうあさこの2学年上、1学年上、1学年下に在籍していたため、小学校まで運動会には王貞治が参加していて競技にも出場していたという[11]。
父は都市銀行の重役である。門から玄関までかなりの距離がある大豪邸に住んでいたが、尾崎豊に憧れて家を出た。
妹がおり、電話で泣きながら「お姉ちゃん、ごめんなさい。私結婚したい。もう(お姉ちゃんが結婚するまで)待てないの。」と言われた事がある。
交友関係 編集 モエヤンの2人からは「あさこ姉さん」と呼ばれ慕われている。他の芸人にも呼ばれたり、ブログに書かれることが多く、姉御肌な性格が窺い知れる。また、モエヤンのオフィシャルブログで「レオタードの下は、実は井上和香さんばりの巨乳が隠されている」と隠れ巨乳であることが暴露されている[12]。後述の『はねるのトびら』に出演した際は「ここ(胸囲)1メートル(100cm)ある!」とも発言。 『ウチくる!?』では「FとGの間を行ったり来たりして、調子がいいとGになる」と明かしている。さらに、無人島生活中に「キレイなおっぱいコンテスト」というのを開催し、見事優勝したという。
恋愛 編集 初めてできた彼氏は熱燗を飲んだ勢いで初体験をした人で、20歳の時だった。2人目の彼氏も赤ワインの勢いで付き合い、3人目はイモ焼酎だった[13]。
ダメ男とばかり付き合ってしまい、バブル期なのに仕事やアルバイトを掛け持ちし、朝から晩まで馬車馬の如く働き、全くバブルを感じなかったという。貢いだお金は数千万円に及ぶ。
芸人としての評価 編集 R-1ぐらんぷりでは、2003年に初の準決勝進出。以後5回連続で準決勝まで進出していたが、2009年の回では2回戦(シード権を得ていたため、この回の初戦)出場時に、自己紹介をした後ネタを忘れ、もう一度舞台の出入口から出直してネタを一つやったところで制限時間の2分が終わり、結局この回はこの2回戦で敗退した[14]。そして翌2010年は初の決勝進出を果たし、その明るく自虐ネタをぶちまける芸風を伊東四朗から「いい!! 明るい!!」と高評価された。伊東から