≠内藤“DAIGO”大胡(39) | オレサマのブログ
<日 01:15:51~01:45 馬好王国>


コイツ蓄膿症か!?
発声がオカシイ…
っつか抑揚が無いんかな~
なんかの障礙?

母ちゃんが竹下登の娘



現在出演中の番組
レギュラー
馬好王国~UmazuKingdom~(フジテレビ、2017年1月7日 - )
幸せ!ボンビーガール(日本テレビ、2011年4月20日 - )女性宅リポートが受け番組終了後もスペシャルで毎回呼ばれている。2013年4月23日番組再スタートではレギュラーに。
カンニングのDAI安吉日!(BSフジ、2006年4月3日 - )
火曜サプライズ(日本テレビ、2012年1月24日 - )スカスカと言われながらもウエンツ瑛士とのやりとりが人気、10月2日放送から新メンバーになりコーナーも持った。
ニンゲン観察バラエティ モニタリング(TBSテレビ、2015年4月16日 - )
キネマのDAIGO☆味(J.COM TV、2015年4月4日 - )MC
ライフUP(NHK総合、2016年4月29日 - )MC [78]
セノビタビ。(フジテレビ、2016年4月28日 - )
ちょっとザワつくイメージ調査 もしかしてズレてる?(関西テレビ・フジテレビ、2017年1月23日 - )MC
準レギュラー幸せ!ボンビーガール(日本テレビ、2011年4月20日 - )女性宅リポートが受け番組終了後もスペシャルで毎回呼ばれている。2013年4月23日番組再スタートではレギュラーに。
天才!志村どうぶつ園 (日本テレビ、不定期)-ペンギン飼育(2008年)盲導子猿旅(2009年12月5日-)
ひるおび! (TBS、2011年8月26日 - )月1レギュラー
くりぃむクイズ ミラクル9(テレビ朝日)
バラエティ番組
笑撃!ワンフレーズ(TBS)準レギュラー





竹下登は母方の祖父

金丸信やら小沢一郎とも親戚関係だと…



DAIGO
出生名 内藤 大湖
別名 DAIGO☆STARDUST
生誕 1978年4月8日(39歳)
出身地 日本・東京都
学歴 玉川大学文学部芸術学科中退
ジャンル J-POP
ロック
職業 シンガーソングライター
ミュージシャン
タレント
担当楽器 ボーカル
ギター
ピアノ
活動期間 2003年 -
レーベル ビクターエンタテインメント
(2003年 - 2006年)
ZAIN RECORDS
(2007年 - )
事務所 A-PLUS:タレントとして
ビーイング:BREAKERZとして
共同作業者 BREAKERZ
公式サイト DAIGOオフィシャルブログ
BREAKERZ OFFICIAL SITE
DAIGO(ダイゴ、1978年4月8日 - )は、日本のシンガーソングライター、ミュージシャン、タレント、俳優であり、ロックバンド・BREAKERZのボーカルである。本名は内藤 大湖。東京都出身。所属芸能事務所はA-PLUS、歌手活動ではBeingに所属。母方の祖父は元衆議院議員で、第74代内閣総理大臣の竹下登。姉は漫画家の影木栄貴。金丸信や小沢一郎とも親戚関係にある。妻は女優の北川景子

2003年、DAIGO☆STARDUST(ダイゴ☆スターダスト)の芸名でメジャーデビュー。2007年、BREAKERZ結成を機にDAIGOに改名した。
略歴、音楽性 編集 1978年 - 2001年 (誕生からインディーズバンド時代) 編集 1978年4月8日午後1時2分[2]、東京都中野区にて誕生。3歳から小学3年生の夏までを千葉県市川市で過ごし、祖父が総理大臣に就任することに伴い再び東京都へ移住[3]。玉川学園中学部・高等部を経て玉川大学文学部芸術学科(音楽専攻)中退。
中学3年の時、兄の持っていたBO・WYのCDをきっかけに音楽に目覚める[4]。当初は何故かクラシック・ギターを習いに行ったが、なにか違うと思いすぐに辞め、独学でエレキギターを練習した[5]。友達と行ったカラオケで一番上手かったためヴォーカルを目指すことになった。[6]また、現在の所属レーベル・ビーイングの先輩であるB'zの大ファンであり、彼らの影響も受けたと自身のブログで語っている[7]。高1でコピーバンドを結成。[8]高3でボイストレーニングを始める。[9]高2でモテることに目覚め、校内自分プロモーションの結果、憧れの先輩ランキング3位になったことも重なり[10]、卒業前の学園祭で組んだバンド(JZEIL)が大好評。卒業後も続けることになる。ライブは後輩や友達が来て満員となり、[11]すぐに事務所がついたほどだった。[12]SIAM SHADEの後輩バンド・JZEIL(ジェイル)のボーカルとして活動。当時は様々なヴィジュアル系バンドが活動する中で、金髪と派手なメイクとセクシーな衣装がトレードマークだった。各音楽誌からは「何と言ってもカリスマボーカリストであるDAIGOが聴き手を吸い込んでしまうほどの独自の世界観を演出」「ロックシーンを塗り替える」[13]という期待を受けプロへの誘いもあったが、結果が出ず2001年9月25日バンドは解散。[14]「(2ndミニアルバムは)カッコ良い曲はカッコ良いんですけど、俺のキャパを超えている曲もあったりして、すごいシャウトする曲とか。(「自分の声質に合わない」[15])それでちょっとずつ、よりヘビーな方に行きたいっていうメンバーとキャッチーなメロディがあるものを歌いたいっていう俺が分かれて来て、“ちょっとここらで1回離れた方がいいんじゃない?”って切りだしたんですよね」[3]。デモテープ2本、インディーズCD1枚、ミニアルバム2枚をリリースした。当初のヴィジュアル系ルックスから、1stミニアルバムでグラムに(楽曲は普通のロック)、1stフルアルバムで楽曲は洋楽テイストに変化。パンチの強いヴォーカルや高い張り上げヴォイスは現在の面影がない程であった。年間100本のライブを行い、[16]韓国へも行った[17]。
2001年 - 2007年 (DAIGO☆STARDUST) 編集 バンド解散後、「DAIGO with The space toys」という名前でソロ歌手としての活動を始める。河村隆一のライブのオープニング・アクトが初ステージだった[3][18]。地道にライブハウス等での活動を続けていた2003年、彼を撮影していた写真家の加藤正憲によって氷室京介を紹介され、1対1で会うこととなる。その際に才能を見出され、「何かしら力になってあげたいよね」とのことで氷室自らデビュー曲のプロデュースを申し出る。以前からBO・WYより多大な影響を受けていた彼にとっては願ってもない出来事であった。[19]そして2003年7月21日、25歳でDAIGO☆STARDUST(ダイゴ スターダスト)(略称は“D☆S”。ファンの総称は“STARDUST軍団”。)として、氷室自身が再始動する際に作曲した「Claudia」の曲に違う詞をのせた形の「MARIA」でメジャーデビューを果たす(オリコンチャート64位)。ただ、当時は「竹下登の孫」である事実を自らは公表していなかった(後述)[20]。リスペクトしてやまない人物の一人デヴィッド・ボウイの“火星から舞い降りたロックスター”「ジギースターダスト」から名前をとった。「カメレオンのように変化していく人に惹かれます。デヴィッド・ボウイを見習ってばりばりのグラムでやることにした。」[21]
デビュー当時、ドラマやCM出演など期待されていたが売れず、「一つの新しい発明」くらいに真剣にやっていたものが、[22]「そもそもスペイシーってどうなの?」「自分でも一回フラットに考えたいな」と思い、事務所に話しフリーに戻る[3]。2006年10月、レコード会社との契約が切れたが活動は続けた。セックス・ピストルズをカバーしたり自身の曲をパンクにしたDAIGO☆PUNKS[23]の活動も行った。[24](2011年12月2日、イベント[25]のオープニングアクトで1日限りの復活をした。)「後期からだんだん書く曲もバンド感が濃くなって」「そろそろ新しいことをしたい。暴れたい感じ。シャウトしたい。」「メロディが奇麗な曲が大好きで、そういう歌を中心に歌ってきたんですけど、そこからはみ出したい。」[26]といった理由から2007年6月4日、DAIGO☆STARDUSTを封印した。[27]2010年2月、1曲だけ披露した。[28][29]
2007年 - 2013年 (BREAKERZ) 編集 2007年に音楽活動の拠点をビーイングに移し、3人組ロックバンド・BREAKERZとして活動を開始。同時にDAIGOに改名し現在に至る。「BREAKERZは終電」「生涯最後のバンド」とし[30]、バンド名には「自分の限界やジャンルの壁をブッ壊して新しいモノを作っていく」という思いが込められている。[31]2007年7月25日、1stアルバム「BREAKERZ」でデビュー。(オリコンチャート300位以下) 当初はクールなロックバンドを目指しMCでは笑わないというルール[32]で、楽曲もJZEILに比べメロディ主体で、また現在と比べると洋楽風であったりダークな世界観のあるものだった。 2007年10月、姉の影木栄貴に「世界バリバリ☆バリュー」“私の家族は有名人”特集の出演依頼が来た際、姉はバンドを結成したばかりのDAIGOをメインに使うことで出演許可を出した。家族全員と自宅を公開しなければいけなかったため「おばあちゃん(竹下直子)が駄目と言ったら断念だね」という話をしていたが[33]、祖母は快諾、家族で出演し話題となった。後日VTRを見た番組スタッフがDAIGOを気に入り、スタジオゲストとして何回か出演。タレント事務所(A-PLUS)に勤めていた元クラスメイトにマネージメントについて相談し、事務所社長と会うことに。社長はDAIGOのキャラを大絶賛、タレントとしてのDAIGOが誕生した[4]。
改名後のDAIGOは「竹下登の孫」であることを公表、同時にBREAKERZの知名度も上昇した。祖父ネタは「開き直り」「出し惜しみなく、フルに活用していくように」なった。[34]また、元首相の孫とは思えぬ若者言葉で話すギャップや、親指を立てたコルナで手の甲を表に向け、腕をクロスさせるポーズと共に発する「うぃっしゅ!」という決め台詞が流行するなど、テレビタレントとしても人気を博している。
1stシングル「SUMMER PARTY」(2008年7月、オリコンチャート10位。以降トップ10内連続チャートイン)は「せっかくだしちょっとロックと自分の個性(「自分ではフツーだと思ってたこの“しゃべり”」[35])、メディアリンクも含めてそういう曲を!」[36]と作り、タレント活動について他のメンバーも「バンドの彩りを豊かにしていく」と前向きに捉えている。[37]ライヴは「基本ロックだけれど初めて見る人でも楽しめるようエンターテイメントに」[38]また、BREAKERZが男性ファン2%ということに対し「男性ファンが増えてくれるのはもちろん喜ばしいですけど、俺は女性ファンのほうがうれしいで