ちょっとデリケートで難しい問題について、私の考えをまとめてみたいと思います。

 

私の正直な考えとして、基本的にはLGBTの方々は苦手です。

 

なぜならば、お付き合いするにあたって気を遣うからです。

言っちゃいけないことがあるんじゃないか?

服装や言動を簡単にツッコんだりしちゃいけないんじゃないか?

・・・と、ついそう考えてしまうからです。

 

そのように考えてしまうことは、お付き合いが始まってから間もないころには誰にでもあることと思います。

初めから寛容に受け入れることができる人はそう多くはないでしょう。

私が思うのには・・・お付き合いで気を遣ってしまうのは、人にはそれぞれに個性があるということに今ひとつ納得できないからなのでしょうね。

その人となりについて少しずつでも理解するようになってくると、自分の見方、考え方が間違っているのではないか、変わっているのは自分の方じゃないか、自分の考えが偏っているんじゃないかと、混乱してきますね。

 

でも、最後には一つの結論に帰結します。

みんな同じ人間じゃないか、と。

 

人は生まれるときは平等に裸で生まれてくるのであって、さらに死ぬときだって、誰にでも必ず平等に死は訪れるのであります。

だから、人は生まれながらにして平等。等しい存在なのですね。

全ての人は等しい存在であるという考えにブレがなければ、人は誰でも人に寄り添うことができるようになると思うのです。

 

それに・・・

どんな人にも絶対に変えることができない生き方というものがあります。

もちろん、私にもあります。

長い人生にはいろいろな問題や経験があって、それらを乗り越えて今の生き方があるであって、目の前にいる人の生き方を否定することなんてできませんわね。

 

私にもいろいろなお友達がいて、その中には初めは男性だと思っていたら、実は(戸籍上の性別が)女性だという方がいらっしゃいます。

その方は大きな夢を持っているようでして、物事に取り組む姿勢がもの凄く一生懸命なのです。

男性だとか、女性だとかいうのは問題じゃないんですね。その方自身が凄いんです。

 

「LGBT支援の度が過ぎる」だの、「LGBTが生産性が低い」だの

アホな国会議員の話が話題になっていますが、まったくナンセンスなことですね。

私に言わせれば、そういうことを言って炎上させることで自分を目立たせる、いわば炎上商法ですね。

LGBTを議論の対象にすることについてはそれなりの効果もあったといえますが、

相手の手口に乗るのは“思うツボ”ってヤツですわね。

 

LGBTが受け入れられる社会を作っていこうとするとして・・・

LGBTが受け入れられる社会って・・・

たぶんLGBTという言葉が使われない社会なのでしょうね。

 

早くLGBTという言葉を使わなくてもいい、寛容な社会の実現を目指したいものですね。

 

その意味では、LGBTに税金を投入しない社会というのも理想の社会でありますが・・・

それ以前に、現在もムダな税金投入が他にたくさんあるのですよ。

そのこと、くれぐれもお忘れなきように。。。

 

消えた年金、働けるのに働いていない生活保護受給者、その一方にある非正規雇用やワーキングプアの問題、全く進まないトリクルダウン、いわゆるモリカケ問題、結局“アベノミクス”って何だったの???などなど・・・

正しく税金が投入されているのだろうか、と疑問に思う問題が山積みですよ。

ま、私は政治についてはプロではないので、この件についてはあまり深入りしないことにいたしますけどね。。。

 

・・・ということで、デリケートで難しい問題を話すつもりでしたのに、かなり話がブレてしまいましたわ。

 

結論として・・・こういう問題を語るのは難しい、と。

考えをまとめて話すことが肝要ですわ。。。