私はしばらくの間喫煙者でありました。

途中で禁煙していた期間もありますが、延べにしておよそ25年は喫煙をし続けてきたと思います。
 
それが、今年の8月15日からピッタリと喫煙を止めました。
以来まだ1ヶ月を経過した程度ではありますが、全く喫煙をしておりません。
そもそも禁煙などするつもりもございませんでした。健康よりも刹那の快楽の方が楽しいじゃないか、どうせ一度の人生だ、楽しいほうがいいじゃんというのが私の生き方、ポリシーと決め込んでおりましたから、無理して禁煙する必要もないと思っておりました。それがまあ、よくもこんなに長きにわたって禁煙できているものだと、我ながら感心すらいたします。
 
禁煙のきっかけは、腰の痛みでありました。
たぶんギックリ腰というものだったのだろうと思います。急に、立ち上がれないくらいの激痛に襲われたのでございます。突然の激痛に、もう二度と立ち上がれなくなってしまうのではないか、もしかするとこのまま車椅子での生活になってしまうのではないか、あるいはもうこのまま死んでしまうのではないか、とさえ思ったのでありました。
痛みは5日ほど続いておりました。そもそもギックリ腰というのは初めての経験でありました。初体験と不安とはセットみたいなものでございますね。どれくらい痛いものなのかとか、痛みはどれくらい続くものなのか、などなど手探りの不安が続いておりましたから、ここは思い切って病院に行こうと思い、いつも行っている地域の総合病院の整形外科にて診察を受けることになりました。
私はいつも思うのですが、病院に行く最大の目的というのは、当然ながら病気を治療してもらうということがございますが、もう一つ、これこそが最大の目的なんじゃないかと思うのですけれど、症状に病名を付けてもらうということなのです。自分の症状が未知の病気ではなく、既に他の方が罹患していて、「あなただけじゃないんですよ」と慰めてくれること、そして、過去に治癒、完治している人がいるんだから、「あなたも治りますよ」と、やっぱり慰めてくれること、その上で、治療のプログラムをプレゼンしてもらえれば、あとは医者に我が身を委ねるだけ、ということになります。ということで、今回もこの腰の痛みに病名を付けてもらえればそれだけでもう満足するはずでした。たぶんギックリ腰だろうし、骨には異常は無いはずです。
ところが・・・私が医師に腰痛の症状を告白し、レントゲンを撮影し、と、そこまでは予想通りの展開だったのですけれど、さらに精密検査をいたしましょう、ということにMRIの検査台にも乗ってさまざまな検査を受けまして、その結果、出た答えが「椎間板ヘルニア」というものでした。
この「椎間板ヘルニア」、聞いたことがあるような、でもどんな病気、というのか症状というか事例というのか、よく分からないので詳しく教えていただいたのですが、早い話が背骨の腰の辺りの軟骨が出っ張っちゃって、背骨の外側を縦に走っている神経に触っちゃってるということなのだそうですね。
「こりゃ、痛いわけだ・・・」
ただし、医師曰く、痛みの症状はギックリ腰によるもののようですが、この椎間板ヘルニアを治療しないと根本的な解決にはならないとのこと。
さて、この椎間板ヘルニアの治療方法について、今回は注射や手術をしないで、薬で治しましょう、ということのようです。でも、どうも薬というのが痛み止め程度のもののようで、「これでホントに治るのかいな?」というのが私の正直な感想だったのですが、その際に医師に言われたことが今回の禁煙に繋がる衝撃的な事実・・・。
「ところで、タバコは吸ってないですよね。」と医師。
「あ、タバコは大好きでして、これがまた止められなくって・・・。まあ、止める気もまったくありませんけどね。」
私はニコニコしながらキッパリと言ってやりました。ちなみに私の横には、この日同行してくれた妻が、神妙な顔をして控えておりました。
すると医師、急にクソ真面目な表情になって一言。
「タバコは今すぐ止めてください。タバコを吸うような人は治療するに値しないので。」
どうも、タバコを吸うと血行が悪くなる、と。血行が悪くなると、身体に大切な栄養を届けることができなくなる、と。したがって、治療そのものが無駄になる、ということらしいのですわ。まあ、もっともな話ではあります。
しかし、そうは言われても、これまでの習慣、特に喫煙の習慣を変えるのは並大抵のことではございませんよ。私は、自分の身体から急に血の気が引くような気分になりました。
一方で、傍らに控えていた私の妻、私の健康を気遣ってくれてか、あるいは、これで夫がタバコを止めてくれるかもしれない、そうなればタバコ代が浮くわぁ~と思ってか、ニッコリしておりました。
 
かくして、この日から我が家におきましてタバコ購入禁止令が発令されました。以降、タバコの購入は御法度となり、私は家に残してありましたタバコを吸いきったところで禁煙生活に入ることになったのでございます。
 
それから約1か月が過ぎました。
当初はニコチンガムを噛み、その後は少しずつニコチンガムから普通のガムに変えていきました。
前述したように全くタバコは吸っておりません。
私もこんなに根気があるのですね。続いていますわ。
 
さて、ここからが本題。
私がこうしてタバコを吸わない生活をしているのは、私の腰を治そうという気持ちはあまり強くありません。
そもそも健康的な生活には興味はございません。
前述しておりますが、私は「健康よりも刹那の快楽」、「どうせ一度の人生だ」という意識を強くもっているからです。
私がタバコを吸わないモチベーションは、刹那の快楽よりも、「妻が喜んでくれるから」という気持ちの方がちょっとだけ強い、ただそれだけのことです。
自分のために何かをするというのは心が折れやすく、なかなか続くことではありません。今までの人生でも自分のために何かをするというのは強い意識を持たなければなりませんでした。
それよりも人のために何かをするという方が心が折れず、持続力を持って取り組むことができるのです。
たとえば大学受験についても、浪人させてくれた親のためにも絶対に負けられないという意識が強かったように記憶しております。
 
まあ、私など人に説教ができるほどの立派な者でもありませんけれど、何かを続けようとする時には、これをすることで誰かに良い影響が波及することを考えて取り組むのが良いのだなぁ、と、今回のタバコを吸わない生活に入るにあたって改めて意識したのでした。
 
なお、余談ではありますが、私の中では禁煙という意識はございません。
禁煙というのは、喫煙するのが普通の行為であって、その行為を「禁止します」ということであるように思います。
そこで、脱・喫煙→脱煙というのが正しい言い方であるように思っております。
禁煙ではなく、脱煙。
どうです?良い言葉でしょう。