内田樹さんの主宰する凱風館では、合気道の門弟を中心として200人以上の人が出入りしているそうです。
今はもっと増えていることでしょうが、これくらいの人数がいることによって、切磋琢磨する仲間や友人・知人が増えるだけでなく、仕事仲間を見つけたり、場合によっては人生の伴侶=配偶者と出会ったりしているそうです。
数の多寡ばかりが重要ではないけれど、緩やかで親密な交流が増えて活発になるほどに、あらゆる局面において必要な関係を結べるようになっていくのは良いことだなと思います。
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何か良いなと思うことがあった場合、先駆けて実践している人をお手本とするように、イメージが湧いてこないことには実際にかなっていないということが多くあるものです。
どの程度のものかの彩りはあるでしょうが、何かの本だかコメントだかで「30人のガールフレンドがいないのは、その様子を考えていないからだ」というのがありました。
普段会話を交わす人から、人生を密接に寄り添うような人まで、いろいろな段階での関わり方があるものですが、気の合う人が少ないよりかはそれなりに多くいる方が、日々を楽しく過ごすことができそうです。
上記の200人をひとつの基準とするように、ガールフレンドにしても30人を念頭に置いておくと、何も考えていないよりかはは、良い結果がもたらされるように思います。
それだけ、異性に応援されるようでは、ファイトが湧いてくるものです。
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バカリズムこと升野英知さんが、2017年年度の第36回向田邦子賞(優れたテレビドラマの脚本作家に送られる)を受賞したと、先ごろニュースがありました。
「架空升野日記」という名前で2006年よりブログで展開、2013年には「架空OL日記」として文庫化(小学館文庫より刊行)、昨年2017年の春に同名でテレビドラマ化されています(読売テレビ)。
私自身はまったくのノーチェックで、今回の受賞でようやく知ったわけですが、このアイディアがとても面白いなと思いました。
この場合では、男性→女性と性別も仕事も異なる人に"なりきる"ことで、自分ではない発想やアイディアが当然出てくるだろうし、しかも、設定が自分自身ではないために、だいぶ内面の思考や感情を赤裸々に書き綴ったところであまり支障がないように思います。
あくまで架空というところで、アイディアはいろいろ試せるでしょうし、現実的にどうであるという跳ね返りがほとんどないようにも思います。
また、他の人の立場になることで、自分では普段考えない、考えても言えないようなことが迂回して出てくるようであれば、知らないところでも書き手にとっては心身ストレスの解消ということもあるかもしれません。
精神分析における「抑圧」や「トラウマ」のところからのアプローチもできそうですし、普段の生活においても「誰々がそう言っていたよ」として自分の意見を(それとなく)伝えることで、身近な関係にある当人同士の軋轢を回避することができます。
本当と虚構の合間をすり抜けるような感じで、読んだり見たりする側にとっても、隔たりを感じる必要もないし、無用な気負いもまた不要であるということになりそうです。
良い意味で「真に受けない」気楽さもあるでしょうし、それでいて実際は結構多様で奥深い解釈もできるという点で、注目しておくべき作品のひとつだなと思います。
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文体という切り口からでもありますが、たとえば自分の書いているものが男性か女性か即座にわかってしまうものなのかなという思いがあります。
そういうことにこだわらずに、別に今のままで構わないわけですが、価値中立的に主語は「私」を用いるとか、語尾も「です・ます」調でそろえたところで、にじみ出る差異はあるのかという問いかけになります。
たとえば、Twitterのアカウントや名前、アイコンの画像などを工夫して、男女のどちらでもないようにするとか、バカリズムの例のように男女を入れ替えてみるとかして、少し実際の自分と切り離してみるわけです。
最初の意図として、男女に広く見てもらいたいような思いがあったとして、こういう考えで進めるのも良いでしょうし、二転三転して結局は自分のあるがままでやる方が伝わるということがあると思います。
それでも、一旦はひっくり返してみて、少しばかり考えたり試したりすることで、感覚として納得するということはあるでしょう。
それが、直接でないにしても、今後大きな枠組みで何か「物語」のようなものを手がける時に、役に立たないということはないはずです。
成功とか失敗とか、必要とか無駄とかの尺度では測りきれないものもあるでしょうし、何かをやれば何かを得るわけですから、思ったらやる、つまりはそういう姿勢が大切ということになりそうです。
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端的に言えば、"夢は深刻さを嫌う"という言説があって、自分が楽しくやっているとか、楽しく想像を張り巡らされているような事柄は、より充実の度合いが加速されるようです。
義務的にやっているとか、単に作業としてやっているだけでは、あまり他の良いことがもたらされないのは、たとえ実感がなくてもわかるような気がします。
米米CLUBの"ソーリー・ミュージック"もそうですし、ロバート秋山のクリエイターズ・ファイルも、そういう好個の例のように思います。
自分もやって楽しい、見ている人や関わる人も楽しいとあっては、さらなるアイディアが出てくることでしょう。
それがこれから大きくするとか、本格的に取り組んでいくような事柄であっても、こういう気持ちを持って取り組むことを忘れないでいたいものです。
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夢をでっかく持つようにして、あれもやりたい、これもやりたいと規模を拡大して考えていくことも、最初の段階では良いと思います。
想像力を駆使すること自体は、自分の頭の中でできることですから、無用な制限や制約は取っ払って、自由気ままに思いを巡らすのが良いでしょう。
それがまた、行動においての追い風とか後押しになるようにして、いろいろ果敢に挑戦していくことが何より大切なことですね☆