なんで歳の差兄弟になったのか
出産、産後が思い描いていたより大変だった
1番の妊娠期は忙しいアパレル企画職の傍ら、結婚式や家の引っ越しで赤ちゃんとの産後の生活の準備が後回しになってしまってました
その結果、マリッジブルー、マタニティーブルーと心は鬱々と身体は3日半の難産の末、出血多量からの母乳も重度の貧血によりドクターストップでボロボロからの育児スタート
母乳は出産前から沢山出るのに、母乳も血液と関係があるらしく、泣く泣く断念しました。
これまた1番が全然寝ない子だったんだなー
電車の赤ちゃんとママの中吊り広告を見て、全然自分とかけはなれていると落ち込んだことも
両親達もまだまだバリバリ働いていて、まわりもまだ子持ちがいなくて、実家を初めて出た私は知らない地でワンオペ育児をスタート
痛い、辛い、キツいの苦しい記憶が数年間消えなかったのでした産んでもまた心が急にブルーがになるかもという心配もありました。
職種がママ向けじゃなかった
産休育休を取ったアパレル会社は、レディース服の部署で女性が多い職場なのに、子持ちは0
大好きなブランドが沢山ある会社だったのでずっと働き続けたかったけれど、復帰時期がリーマンショックと重なり、職種変更に
新卒入社時には全国若干名を勝ち抜き、デザイン職に就いたのに、販売からスタートで、お給料も下がるなんてと思い、思いきって転職を決意しました
保育園の関係上、離職期間を作るわけにもいかず、しやすいであろう同じ職種でチャレンジ
その結果は
ママブランドであろうと、子供服であろうと、子育てに優しい国フランスの外資系企業であろうと(本国のフランススタッフは待遇が全然違った)、そこそこの大きさのアパレル企業のデザイン職は、まだまだ制度が整っていなかったー仕事がのってくると家庭とのバランスがとれずに転職を繰り返すことになっていました。
若さゆえに「何でデザイナーでフルタイムでそのまま続けている人はいないんだ?私がなってやる!」
と体当たりで挑んでみたものの、無理なものは無理なんだと気づいたのは、1番が小学校にあがる前だったのでしたー
二人目不妊を知らなかった
そんなこんなで、保育園の縛りもなくなった頃
休日出勤、残業、国内外の出張からも解放される、全然違う職種に見事転職でき、やっと普通に家庭とのバランスが整いましたと同時に、やっと、もう1人欲しいなと思うように
子供のまわりにきょうだいがいる子が増えて欲しいと1番に言われたことが1番おっきい理由かもしれません
が、できない、、
パパとは就職してすぐから交際後、授かり婚で1番を27歳で出産だった私。
出来ないなんて想像したこともなく、そこからはトライ&エラーを繰り返し、二人目不妊は、以外と多いというワードを初めて耳にしたのでした
そして、1番の受験を逆算して約1年、自ら不妊を自覚し、治療を開始しました
不妊治療をしてもできないものはできない
一人目を自然に自然に妊娠した私は、不妊治療専門病院で有名なクリニックに行けば、直ぐに解決できると思っていました。
甘かったー⤵️
二人目不妊の原因であろう箇所を治しても、できない
結局、原因不明でした。
決めていた時期あたりの採卵した卵を使い果たした時に、私達の不妊治療は終わりました
それからは、もう現状の家族で楽しむ事を考えるように気持ちをシフト
気づけば1番の受験のスパートをかけ始める時期。
コロナ禍の受験ということもあり、家族皆で基本的な体調管理を整えました。
すると、私には違う効果もいつの間にかあったみたいで・・・
2番ができていた
と言うことで、長ーーーい年月をかけて、結果だけみれば、二人目も自然妊娠からの出産
1番出産時は、ほんとにポンコツ新米ママで、あれよあれよと年月がたった今
2番妊娠期には、年数だけで助産師さんからはベテランママと言われるように
なるべーく初めての出産ですの顔でシラーっと情報を聞き、忘れ去った育児の手解きをおさらいしようと思っています
改めてアップダウンの多い人生だわ~
これから子育てを中心に日々を綴っていく合間で、妊活、受験、仕事、趣味の事等々も、掘り下げて書いていけたらな~と思います。1番失敗からの2番の修正育児もみどころでーす
2番マタニティーの時に気に入っていたブランドです。1番の時にはほぼ買わなかったマタ服。でも、2番の時に試したところ、中期くらいまでは本当にシルエットがひびきずらく、楽なのにキチンとみえるので、エンジェリーベが好きになりました