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しまーる日記  

インドネシアがすきで、たびがすきで、ねこがすきなしまーるのjalan-jalan日記です。

でも最近jalan-jalanはなかなかできないので日々のことを綴っていきます。

あ~なつかしいあの日の夜を振り返ってみました。


しまーる実は1年前の8月1日、成田から友達彼氏、しまーるままに見送られ、ジャカルタに旅立ったのでした。共に行くのは妙にしっかりしたイッコ下の後輩。大切な留学のパートナーとなるクールなえっちゃんです。


飛行機はもちろんガルーダ。

しかし行きは別れの涙涙涙しょぼん、そして、爆睡ぐぅぐぅでなんにも覚えていません。

デンパサールでトランジットをし、やっとたどり着いたジャカルタ スカルノハッタ空港飛行機


大学の関係者の方に連れられ、ホームステイをするえっちゃんとはいきなり別れ、車に乗せられ、意味不明にいきなりウェルカムドーナツとばりにダンキンドーナツを食え食えと強要され、押しに弱いしまーるはとにかく「テ、テレマカシー、テレマカシー」と愛想を振りまきながら、お腹いっぱいのハラにドーナツを押し込んだのでした。



初めて、モトイ、約20年ぶりにジャカルタに着いたしまーるは、昔の眠っていた記憶がフラッシュバックドンッなんてことはなく、普通にジャカルタの町並みを窓から眺めていました。


第一印象は「すごっ 都会!!


しまーる、それまではバリと、東部ジャワのマランという場所しかいったことがありませんでした。

田舎しか知らなかったのです。


ジャカルタはしまーるの想像以上の都会で、ネオンが光り、車がはしり、立派でした。




空港から1時間ほどでしまーるの滞在先であるkost(コス 寮みたいなモノ)に到着。

会う人会う人に、よろしくよろしくーと挨拶を振りまきながら、お部屋に通されました。


その時点でしまーるの部屋候補は三つ3


1、三階の洗濯場の隣。クーラー、ベット、机、たんす付き。

2、1の隣。ベット、たんす、机付き。クーラーは隣の部屋と共同(クーラーの部分だけ壁が空いてる)

3、一回の元事務所みたいなガラス張りの部屋。


さぁあなたならどれにしますはてなマーク

ちなみにどれもバス、トイレ付いてません汗


しまーるが選んだのは1

クーラー共同って何っておもったし、ガラス張りもどうなのっておもったし。まともそうなのは1でしょ。


ちなみにちなみに、しまーる、ここに来る前にほんの一ヶ月までここに交換留学していた先輩から、「日本人はトイレとシャワーつきの少し広い部屋を用意してもらえるよっ」って聞いてたんです。


もーついたときから話が違うよー長音記号2


部屋に入って一息、荷物を少し出し始めるともう、9時過ぎていました。

そのときしまーるにどっと不安が押し寄せたのです。




 着いちゃったジャカルタ。しまーる不安

 けどトイレ部屋にない。

 マンディーどこですんの?

 人いなくない?

 友達できるのかしら。

 ごはんどうする?

 明日の朝ごはんは?

 言葉大丈夫かな?

     などなど


ジャージに着替えて、スーツケースの隣で体育座りして考えてました。



そんなモンモンとした夜を迎えて、しまーるのジャカルタ一日目は終えたのでした。





あ~旅ブログなのに、ウンチクインドネシアになってしまったよ~

さ~旅ブログに戻りますよー

今日は首都ジャカルタ


selamat malamやや欠け月  こんばんわ。


今日は首都ジャカルタのお話。


昨日とまったく違う話じゃんてのはスルースルー。

だて気まぐれO型だもん、しまーるはとかげ


しまーる、実はジャカルタ生まれ。

親の仕事の関係で、ジャカルタで生まれ、2-3年(アバウト 笑)育ち、日本に行きました。

まっ、いわば帰国子女なんですよっ えっへん ってなんにも話せないし、覚えてなかったし、本当は言われなきゃインドネシア生まれだなんて知らなかったし、自慢にもなりませんハートブレイク




そうそう、小さい頃しまーる、外国=アメリカ と同義語だとおもってたんです。

しまーるままやしまーるおやじ、しまーるねえさんに、

「しまーるはインドネシアでうまれたんだよ」って言われても、

「はっんはてなマークインドネシアってなんやんはてなマーク外国はてなマークじゃあアメリカやんビックリマーク」って本当に勝手な解釈をして、友達に「しまーるはアメリカでうまれたんだよーっビックリマーク」って言いまくってました。


だって外国っていったらアメリカしか知らなかったし。

外国っていったらアメリカのことだとおもってたし。



そんな話も置いといて、

そんなしまーる、インドネシアを離れてから約20年後に再び戻るのです。

生まれた地、ジャカルタへ。

そうなのです。しまーるは大学でインドネシア語というマニアーーーーっクな言語を専攻し、何を思ったか交換留学までしてしまったのです。

その1年間いろんなことがありましたがほーーーんっとに楽しかったメラメラ

自信をもってしまーるの1年誇りに思うっていえるくらい楽しかったし、学ばせてもらいました。


そんな思い入れのある地、ジャカルタ。

次回からちょくちょく紹介していきます。




しかーし、しまーるは気まぐれやりたい放題O型。

気まぐれ注意~






つづき

バリ島どんどん観光の島に


こうしてバリ島は観光がどんどんと主要な島になっていったんです。

どんどん本格的に観光島になっていくバリ。

でもこの観光開発の主導権は一貫して中央政府が握っていて、真ん中にいる、バリ人の気持ち、意思は全く反映されてなかたんですカゼ


バリ人に相談ナシで上の人で勝手にきめられちゃぁ不満もたまっていきますよねぇDASH!

観光島になるといい反面、悪影響だってある。

バリ人は観光のもたらす悪影響を防御することで精一杯。


そこでひらめき電球


バリを観光に供するという 考え方から、


観光をバリの発展のために活用しよう という考え方にシフトしたのです。


観光による文化の汚染を防ぎ、観光からの利益を文化の発展に供していこうじゃないかっと。



うーん、考えましたねぇ。

同じ「観光」開発でも、視点によって考え方気持ちの持ちよう、変わってきますよね。

文化を知ってもらう観光で得た利益をバリの文化のために使っていく。

いい循環や~。



このときに、決められたのが、

神聖な舞踊の観光用上演を禁止。

バリ州におけるガイド活動のきまり。

バリの寺院及びヒンドゥー聖地への立ち入りに関するきまり 等等。


こんなきまりを決めてもひっきりなしに旅行者はやってくる。

だってバリ島だもの。

そのなかで、いかに自分達の文化価値を維持して守っていくかがバリの州政府の課題だったのです。


はじめのバリ人たちの「観光」に対する不信感、警戒心はその後のバリの順調な発展と共に薄らいできました。

そしてそれを目の当たりにして、自分達の文化の大切さを改めて再認識し、誇りをもつと言うトコにつながりって

いまのバリの観光のあり方に繋がっていったのです。



以上


こんな風にして、観光島 バリ島は出来ていったんですよねぇ。

自分の文化に誇りを持つ  当たり前だけど難しいし、大変なことです。




今でも文化を大切にしている...といったらそうだと思います、バリ島。

けどやっぱり時代の流れには逆らえず、波にのって少し違う方向にいってしまっている面もあるんじゃないでしょうかね。


激しく入れ替わる時代と共に、文化も流されたりしないで、

これからもバリ、がんばれ!!