1977.07.09-10
苗場山(新潟県)
竹さん、大さん、米さん、角さん、柴さん、そしてなぜか岸さん、引率おら君
07/09
8日夜、上野発最終の鈍行列車(22時13分)に乗り、9日3時過ぎには湯沢についてしまった。
朝は未だ明けずわずか東方に薄明を感ずるのみ。
バスを待つ間、暫し仮眠を取るべく横になれども、
床の冷たさが背にしみるがごとく這入り眠るを得ず。
5時25分発のバスは明け放たれた朝の青空のもと、周りの空気を揺るがせながら一路秡川に向かう。 去年は昼近くのバスであったがと思い出しながら、ぼんやりと揺られて行く。
およそ30分で秡川に到着してしまう。 下車後直ちに顔を洗い朝食を摂る、冷たい水に手が凍えた。 昨年歩いた路を蕨を取りながら進む。 和田小屋までの尾根路は工事のため別の路を行く。 和田小屋で休止、遠くの山々が素晴らしい。 奥利根の山が指呼の間に未だ残雪を残して見える。 和田小屋を後に山路を行く、樹林の中のせいか暑さはさほどでもない。 途中10時過ぎにおにぎりを頬張り昼食とする。 下の芝に至ればやっと去年の記憶から、いよいよ湿原に入ったなという思いがする。 中の芝は去年同様、樹林の中の湿原と言う素晴らしい景色で迎えてくれた。 皆さんんは荷物を捨て思い、思いに休む。 雷清水では水の出が悪く1時間の水待をやる。 当初の目的より大幅に遅れているが、もう頂上までは一投足である。 やがて最後の登りも終え頂上に見事に立つ。 山頂小屋で雪に冷えたビールを飲む。 実に爽やかうまい!! これだけでも充分 😅
キャメラを下げて高山植物を追いかけ回す。 チングルマ、ヒメシャクナゲ、イワウチワ、ショウジョウバカマ、なんと美しい事か。 可憐な事か。 夜はもうそこまで、星が美しいだろう今夜は
07/10
朝のんびりと起き朝食を終えたのが9時、それから湿原を歩き回り12時に下山開始とする。 中の芝でツマトリソウの写真を撮る。 昨日草葉の陰にこの素晴らしい花を見つけたときは実に嬉しかった。 うまく撮れていれば良いのだが。 遠く、小松原湿原への路を見て何時の日にか行こうと思う。 その後は一気に和田小屋まで下り、更にバス停まで下り続けた。 16時25分のバスで湯沢へ、トキ号ではビールを飲んでワイワイ騒ぎながら上野まで!!
お花達
天候がいま一つ冴えず、写真には良くなかった。
チングルマの花は今すでに盛りを過ぎた感あり
ヒメシャクナゲは全盛である、実に素晴らしい
イワウチワは終りになっている
キンコウカ、つぼみ
日光キスゲ、今だ咲かず
立山リンドウ、満開、素晴らしい
イワハゼ、盛り
ツマトリソウ、盛り
ショウジョウバカマ、終りに近し
コバイケイソウ、芽吹いたところ
モウセンゴケ、成長期
とんぼ、羽化期
空、梅雨空
ワタスゲ、今一歩
人、多少増えた
オヤマノエンドウまだ咲かず
初めての尾瀨を歩く方々は喜んでいた。 許されるなら秋の尾瀨もと思うが、冬と背中合わせなので初心者なんかは装備が問題だなや。 まっ、秋は水量が少なくビチョビチョになる事は無いだろうが、濡れたときの寒さは尋常では無い。
初心者を連れてくるのは考えもんだなや! それと寒いときは体力の消耗が早い。 長い付き合いの山仲間なら心配はしないが・・・
前に両親を連れて行った事を書きましたが、上の様な経験を重ねて、年寄でもジックリ時間を取って歩けば大丈夫だと、経験値を重ねて連れて行ったんです。 70代の初心者、両親が疲れも見せず歩き通して、景色に酔いしれてました。 おらがした唯一の親孝行でした。 おらが二十歳前に山岳会に入ったとき勘当するとまで言った親父が 『 お前の気持ちが良く判った 』 と言ってくれた(前に書きました)のが、一生の宝物になりました。 その見返り 『 絶対遭難事故 』 は起こさない・・・でした。 今のところ全うしてます。 😁 これからも努力します。 もっとも今は両親ともあの世から見てると思いますが、まさか 『 早く来い 』 とは言ってないだろうな 😅
最後におらの山登りのモットーは 『 危険以上の安全を探せ!』 です。 何を馬鹿な事をとお思いでしょうが、登る事にあせって 『 安全を見過ごしがち 』 が長年の山登りの結果得た答えです。 こんなおらでも命の危機を感じた事は何回もありますよ。 そんな時はゆっくり一服をしてコースを良く眺め一番安全なコースを見つけ出す事です。 と言っても危険がゼロに成る訳じゃなくて、自分の技量で超えられるレベルのコースを探すと言う事です。 良く探せばホールド、スタンスは何とか繋がる筈です。 悩むところにはチョッと離れた所にエスケープ・ルートがある場合が多いですね。 それでも無ければ下山ですね。