昨日、友人とlineでやり取りをしていたのです。
お互い、なんだか自分の中身を見つめる時のようで、お互いに気が付いたこと、感じたことをシェアしているのです。
そこで、気持ちがなんだか「ザラサラ」することあるよね、という話になりました。
「嫌!!」
っていうのとなんか違う「ザラッ」とした感覚。
「嫌!!」ていうものよりも強烈ではないのだけど、何か違和感がふっと通り過ぎるような??
「嫌!!」ってものみたいな「実体」がない感じ。
以前の「蕁麻疹」の時にもこの「ザラッ」とした感覚の話をだしていたけど、
なんだか…通り過ぎてしまう感じのような気がする。
だから、一瞬「??」って思うのだけど、忘れてしまうというか…
意識に残りにくいと言いますか。
普段の生活の「常識的に考えるとおかしくないわ…」というものに置き換わりやすいものというか。。
常識的に考えて「あ、自分がおかしいかも…」なんて置き換わってしまう。。
でもその「ざらざら」した、「常識」という概念に消されてしまったものが見えないところで積み重なっていくと
「ザラザラ」(なんかちょっと強くなった感じ?)になって、身体に何だかわからない不調となって表れるのかな…と思うのです。
!!
そう考えると「常識」ってなんだ?
誰が考える常識??
(う~ん…という思いが出てきたけど、今回は「ざらざら」のことを書きたいので…)
この「ざらっ」とする感じは身体のどこで感じていただろう?
と思いおこして感じてみる。
う~ん。
なんか胸のあたりにもやもやする感じ?
「胸」って言うよりも「ハート」って言ったほうがしっくりくるな。
ハートからもやもや~ってもやもやが出てくるような。
心が重い時って身体も重いよな。
その「ざらっ」とした感じってどんな感じかな~
っと今度はその感触を思い起こしてみた。
猫の舌で舐められた感じかも。
猫だって分かっていれば、可愛くて嬉しくてとろけてしまうけど、
猫だって分からなかったり、不意打ちだとなんともビックリ気持ち悪い!!
…とここまで友人に感覚について書いた時
と思ったのです。
そうか、わからないから「不快な感覚」なんだ。
このことを友人がとてもしっくりくる言葉で表してくれた。
友人の返信より
「じゃそれって、可愛くてとろけてしまう、愛で溢れる可能性があるってことってこと?すごい!!」
と返信がきたのです
(この人は言葉をとてもジューシーに使う。いつも自分の気づきをシェアして、返事を読むとより心に沁みこむんだよな。。この人はそうやって物事に飛び込んで生きてきたんだろうな。それがこのジューシーさになっているんだろうな。でも、本人は文のことは言われているからそうかな?とは思っているんだろうけど心ではそのことを受け入れているかな…。自分で本当に実感した時、、、いやいや、また話がそれた)
ピタッっと心と合致した言葉
そう、ざらついた心のさきには愛溢れる可能性があるんだ。
なんでざらついたのか、自分が理解(っていうと思考の感じがするけど…)、原因?その時の自分をわかってあげた時、猫ちゃんを見つけるのではなかろうか。
そして昨日読んだ本にこんなことも書いてあった。
「自分に起こる出来事は自分の愛をどう広げるか、広げるために起こること。」
そんなようなことが書いてあった。
(いま、ちゃんと書こうと思って本を見返したけど、見つからなかった)
こんなやり取りがあったりとか、本の言葉を見ていたら、
そうか、「ああ!!」って出来事があったら、
「さあ、そこにどんな愛が待っているの??」
「どんな愛を見つけてほしいの??」
「どんな可愛い猫ちゃんがそこにいるの?」
なんて心で出来事を見てみるぞと思った。
すぐにエゴに振り回されてしまうちっちゃいワタシ。
こんなこと書いていてもいつも忘れてしまうのです。
でもあきらめませんよ。
こうして書くことで、読み返すことで思い出したり、潜在意識には残って何かの時に切り替えのスイッチになってくれる。
日々、気が付いて修正して。
この繰り返し。
練習。
そして少しづつ平和な自分でいる時間が長くなっていく。
そのプロセスを実感すること。
これもいまのワタシに必要な、とっても必要なことです。
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