毎日、自転車で通勤している。
多摩川の橋を渡り、しばし川に沿って走る。
空がとても広く気持ちよい時間。
晴れて空気が澄んでいる日などは富士山を望めるのです。
もう一昨日になるのか。
曇りだった。
川沿いを走り、空を見ていて思った。(よく考えると危ない~よそ見運転だ
)
雲が多い空、雲の合間から日が差していた。
キレイな光の線が地上に差し込んでいた。
いろいろ変わるのは雲から下なんだ。
雲ができて、陰ができたり、雨や雪、はたまた雹が降ったり。
だけれども、その上にはいつも変わらずに太陽の光だったり月の光があるんだ。
人間もそれと同じなんだなぁと思った。
雲や様々なお天気はその時の感情、ACIMでいうエゴ。自分の経験や価値観というフィルターを通して見ている世界。
地上にいるワタシはお天気しか見えていないから、それに振り回されてしまう。
でも、その上に変わらないものが、う~ん、なんて言ったらいいのか…
それらどんなお天気をも全てを包みこんでいるものがある、どんなお天気でも光で包みこんでいる。
その包みこんでいる光が本質。
…なのかな。
なんて思った。
自分の中にすでにその光、変わらないものが「在る」と知ること。
それは雲を超えた光の場所から自分を見る。
という、視点が変わることにもなるんだな。
だって、知らなければ地上から、自分の背の高さ(目線ね)の範囲でしか見ることができない。
視点を変えられると知っても、「知っている」だけでは意味がないんだよな。
「知って」「活用」、ようは「視点を変えてみることをやってみる」
という行動をはじめなければ、知っていてもしょうがないんだ。
そうか。。。
(これは今日…もう昨日だけど、、、多摩川から見た空)
それと、そこには「良い」「悪い」の判断がない。比較がない。ジャッジがない。
「良い天気」「嫌な天気」
そう判断しているのは地上にいるワタシ。
雨がなければ生命は育たない。
水分なかったら作物はもちろんだけど、ワタシ達のお肌も乾燥しまくって干からびてしまう
風がなければこれまた種も飛ばず、受粉もできずだよな…
雹は………
なんかある…のか?
ま、まあ…
そこにあるお天気(感情)をそのまま「お天気(感情)」として見ることができた時、ワタシの中でまた未知なる生命が生まれてくるんだろう。
自分の中に光の線をどんどん、どんどん増やしていこうと思った。
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