3本目。

 

 

監督:石川慶

キャスト:広瀬すず、吉田羊、二階堂ふみ、カミラ・アイコ、柴田理恵、三浦友和、渡辺大知、松下洸平

 

1980年代、イギリス。日本人の母とイギリス人の父の間に生まれロンドンで暮らすニキは、大学を中退し作家を目指している。ある日、彼女は執筆のため、異父姉が亡くなって以来疎遠になっていた実家を訪れる。そこでは夫と長女を亡くした母・悦子が、思い出の詰まった家にひとり暮らしていた。かつて長崎で原爆を経験した悦子は戦後イギリスに渡ったが、ニキは母の過去について聞いたことがない。悦子はニキと数日間を一緒に過ごすなかで、近頃よく見るという夢の内容を語りはじめる。それは悦子が1950年代の長崎で知り合った佐知子という女性と、その幼い娘の夢だった。~映画.com~

 

 

 

 

2025年日本、イギリス、ポーランド合作。原作を読み終え、早速映画館に行ってきました。原作を読んだときに疑問に感じていたこと、それから「もしかして・・?」と思っていたことが映画の中では明確に映像化されていました。だからわかりやすかった。いろんな辻褄が合って、意味が分かった瞬間、涙腺がぶちっと切れて、涙、涙・・でした。ネット上のレビューは賛否両論で「意味がわからない」とする人も結構おられたようですが・・・、私自身は「国宝」を観たときよりも心が揺さぶられました。

 

この映画は「ヒューマン・ミステリー」とカテゴライズされています。その意味も原作を読んでいるときはわからなかったけれど、確かにミステリー色があります。なので今後ご覧になる人がいたら種明かしはしないほうが良いと思い詳細は控えます。

 

長崎の場面で悦子と佐知子、佐知子の娘まりこの三人が展望台に上る場面があります。80年代英国の場面で悦子はその時の回想を自身の娘ニキに話します。その時に悦子は佐知子の娘「まりこ」のことを自殺した自身の娘の名前である「けいこ」と呼ぶのですね。私は原作を読んでいた時にここにひっかかっていました。ミスタイプのはずはないし・・、悦子の言い間違い?それにしても・・と思っていたらそれが「カギ」でした。

 

もう一か所、小説の中で印象深かった「記憶というものはあてにならない。思い出すときの状況によってその彩りが大きく変わる」という一文の意味を再確認しました。長崎の場面は「事実」ではなく、悦子の中の回想であり、悦子の「真実」であったということ。事実と真実は違うということかと。文芸作品ってこういうところが難しいといわれるのかも。

 

スクリーン上では広瀬すずさんと二階堂ふみさんが並ぶ姿が本当に美しくて二人ともなんてすばらしい女優さんたちなんだろうと思いました。二階堂ふみさんが演じる「佐知子」。原作ではどこか足元がおぼつかない、不安定な人に思えて仕方なかったけれど映像では強い意志を持ち、自分で人生を切り開いていく自立した女性として描かれていました。最初は全く対照的な境遇、性格に思えた悦子と佐知子の二人の女性がだんだん近づいていくのがわかっていったときのゾゾっとする感じ。

 

また三浦友和が演じる「緒方さん」が体現する古い時代と渡辺大知演じる「松田しげお」が体現する新しい時代の価値観の相克。これもあの戦後の時代の空気であったのでしょう。

 

映像ならではの感想として・・この作品を撮ったカメラマンの方はポーランド人だそうです。緯度の高いポーランドという国。行ったことはないけれど太陽の光が日本よりずっと繊細で弱いのでしょう。東欧映画の映像は全体にどこか暗めなのが多いのですが、この作品も明るさは低めです。しかし、その光と影が映し出す明暗が非常に美しいのです。

 

また長崎で若い日の悦子と夫が暮らすアパートの襖や戸棚の模様に「ウィリアム・モリス」の柄が使われているんです。現実に1950年代の文化住宅的な部屋にウィリアム・モリスなんてなかったと思うのですが、悦子の回想の世界ということでこんな演出も素敵だなあと思いました。これらは映像化ならではの楽しみでした。もし今後マンションの和室の襖をリフォームするならウィリアム・モリスにしたいなあ、とも思ってしまいました。笑