前回映画館に行ったとき、予告で英国のノーベル賞作家、カズオ・イシグロ作品が映画化されると知りました。「国宝」でも原作を読んでいたらもっと理解が深まっていたかもしれないと思っていたところだったので、今回は先に読んでおこう、と原作を取り寄せました。小説だったので原書(英語)で挑戦しました。

 

この作品はカズオ・イシグロが25歳の時に書いた小説デビュー作です。再婚して英国に移り住んだ日本人女性(えつこ)の現在(といっても1980年代)と過去が交錯するように描かれる構成です。過去の場面は原爆投下、終戦から間もない長崎が舞台です。まだ若く、最初の結婚で初めての子を身ごもっていた主人公えつこが出会う少し年上と思われる女性(さちこ)と彼女の10歳くらいの娘(まりこ)、また最初の夫(二郎)とその父(緒方さん)らとの交流が描かれ、あの時代の日本人の「心の状況」のようなものが浮かび上がってくるような描写が続きます。それは終戦と共に世の中の伝統的価値観が突然否定され、変容し、それを前向きに受け入れているように見えながら、現実にはその急速な変化についていけない、ただただ足元が不安定な日本人の姿です。

 

印象的だったのはさちこの描写。過去の古臭い日本の伝統を捨てて、自立して新しい世界を生きようとしているのだけれども、その足元の覚束なさ。殆どどんな相手かわからないアメリカ兵の男性を頼って次の人生に向かおうとする。それに母親なのに全然自分の子供のことまで考えてないさちこ。とても孤独な状態に置かれている娘、まりこ。読み進めるたびささくれ立った、心の中が寒々とする心象風景が広がってくる感じで。

 

この時のえつこは一見、恵まれた家庭で専業主婦で、尋ねてくる義理のお父さんとも仲良くて、やがて生まれてくる子供を身ごもり、幸せそのものの状況に置かれていて、さちこ母子と対照的に描かれています。しかし、時代が下って現代の場面の英国に暮らすえつこ・・長女が自殺し(多分その時に身ごもっていた子供)、二度目に結婚したイギリス人の夫とも死別し、二人目の娘ともちょっとぎくしゃくして距離があるような感じ。英国のどんよりとした空の下を吹きすさぶ風にあたるような寒々としたものがあるんです。あの時の「さちこ」と「まりこ」は、数十年後の「えつこ」と「けいこ」(自殺した娘)に重なるような気がして仕方がありませんでした。

 

この小説は最後に疑問が一気に解決するような、すべてを回収する場面はないままに終わります。最終的な解釈は読み手に、ということなのでしょうか。タイトルのpale view of hills。pale viewというのはぼんやりとした眺めという意味。ここから私が思い描いたのは、低い山が薄紙を重ねたように連なり、霞みながらぼんやりと見える日本らしい山の風景。えつこの記憶の中にある過去はその山のようにくっきりとした輪郭を欠きながら、いろんな思い出が薄紙のように重なり遠くに連なってみえるものだったのでしょうか。

 

もしかしたらこれがキーとなるテーマかもしれませんが、「記憶というものはあてにならない。思い出すときの状況によってその彩りが大きく変わる」というようなことが書かれています。過去の記憶というのは実はとても「曖昧」で「不確か」なもので、思い出す側の状況というフィルターを通すことでいかようにも違ってみえてくることなのかなと思いました。

 

この映画、昨日あたりから上映が始まっていますが、若い頃のえつこを広瀬すずさん、その数十年後の英国でのえつこを吉田羊さんが演じています。予告でそれを知っていたので小説を読みながらの場面もつい二人の女優さんを頭に浮かべてしまいました。さて、この小説での数々の場面がどのように解釈され、映像化されているのでしょうか。来週は時間を作ってぜひ映画館に行ってこようと思います。