絶景の秋葉神社から次は浜名湖ビューを楽しめるという舘山寺方面へ向かうことに。その途中、天竜区の二股城址に寄りました。ここを訪れるのは二度目です。ここは家康の長男、信康が城主をしていたお城で、小高い丘の上にあります。街中にある浜松城とは異なり、訪れる人も少なそうな城跡は朽ち果てた石垣が目立っていました。

 

 

曲輪や土塁の跡がよく残っています。

 

 

現存する城跡は信康よりも後の江戸時代のもののようですが、かつてはここにどんな建物があったのだろう、って想像するにはこういう何もない山城のほうが楽しい。

 

 

街並みを見下ろす。

 

なかなか立派な天守台。

 

 

何もない本丸跡。信康の悲劇の最期を思うと物悲しい気落ちになります。

 

 

坂を下りて少し走ったところにある清龍寺へ。この地域は本田宗一郎さんの生まれ育ったところであり、ゆかりのものづくり伝承館があります。残念ながら前回も今回も閉館日にあたってしまいました。

 

 

 

 

このお寺には若くして亡くなった徳川信康の廟があります。信康は家康の嫡子でした。切れ者で優秀な息子だったのを信長が警戒し、いろいろ因縁をつけて切腹させました。

 

随分前にこの経緯を山岡荘八さんの長編小説で読みましたが、切腹を命じられた信康は悔しくて悔しくて、その時に自分の腸を抉り出して床の間に投げつけて果てたた、みたいな衝撃的な記述があったのを覚えています。

 

家康も信長の命には逆らえなくて本当に悔しくてつらかったと思います。家康の小さい頃からの苦労を思うと、「人生は重い荷物を背負って坂をいくがごとし」という家康の遺した言葉がとっても沁みてきます。

 

 

 

梅の花が咲き始めていました。今頃は満開でしょうね。

 

 

 

最後にお寺の鐘。これは面白エピソードが。

 

これも昔、その逸話を本田宗一郎さんの自伝で読みました。彼が通っていた小学校ではお寺の鐘がなるとお昼休みをとっていました。

 

 

お腹がすいた宗一郎さんは教室を抜け出して、予定よりも早い時間に鐘を鳴らして先生をだましていたとかなんとか。いたずらっこで機転の利く人だったみたいですね。こんな田舎から世界のHondaの創業者が出たということもなんだかとても感慨深いです。