ぬくもりの森をあとにして向かった先は蜆塚遺跡。ちょっと地味な印象のところだったのでこれまでは訪れることがありませんでした。公園になっていて、無料駐車場があります。博物館が隣接しています。
縄文時代の遺跡が発掘されており、当時の暮らし、埋葬の様子などがわかるものが見つかっているようです。
掘り起こした後は現在は全て埋め戻されていて、柱や炉の跡を示す標識があるだけです。ここで気付いたのが柱や炉のすぐ近くに「墓・穴」の跡があること!
炉の横、柱の横など日常の生活空間に埋葬地があるのは現代の感覚とはずいぶん違います。死を穢れとする神道以前の時代だったからなのでしょうか。死というものに対する概念が今とは少し違うのかもと感じました。それに発見された人骨の出土状況を見ても穴を掘って身体を曲げたかたちで埋葬しています。亡くなった人を丁寧に弔っているようにも思いました。
それから縄文式住居と内部の様子。
これの次に見たのが近くにある高山家住宅。屋根部分を持ち上げて壁を作っただけのようにも見えて・・。(笑)この茅葺屋根住宅はおそらく戦後くらいまでは結構至るところにあったと思うのです。それを思うと「住居」が進化したのはここ数十年のうちのことで結構長い間、縄文式をちょっと改良した程度の家に暮らしていたのだなあ、って。
そうそう、関西地方は寒波襲来中でとっても寒かったですが、浜松にきたら梅がこんなに咲いていて驚きました。
柑橘も。
やはりこの地域は温暖で食糧の調達が容易で暮らしやすいところだったのだろうと思います。福井県の若狭にも縄文遺跡があり、現地にある関連の博物館展示で知りましたが、縄文時代の人たちは木の実や果物だけでなく、鯛、ブリ、鯖、マグロなどの魚、アワビなんかも食べていたらしいです。粟や稗、麦飯と漬物くらいしか食べるものがなかった江戸時代の人が聞いたらびっくりしそうな豪華食材です。
蜆塚といわれるのは貝塚が見つかったからですね。見つかった時の貝塚の様子が見学できるようになっていました。
数十分の差で閉館してしまってて中まで入れなかったのですが、貝殻だけでなく動物の骨とかいろいろ捨てられて層になっている様子が見れるようです。なんでこんなにシジミが?って思って地図をみたら、ここ、佐鳴湖という小さい湖のすぐ近くなのでした。
旅一日目の観光はこれでおしまい。この後は浜松名産の鰻を食べにいきました。