11月30日。石山寺の翌日は日吉大社の紅葉を観に行ってきました。上の写真は山王鳥居をくぐってから西本宮に続く参道です。日吉大社にはこれまで何度も訪れているものの紅葉見頃の時期の参拝は初めてでした。頭上の空間をぎっしり埋めるように枝を広げた木々の葉が錦のように染まり、陽光に照らされて輝く様子は思わず感嘆の声が漏れてしまうほどでした。こんなにきれいなところだったの!感激して何枚も撮りました。笑
宇佐宮。
西本宮。
日吉大社の境内は国宝、重文級の建造物がぎっしりとあってまるで巨大な美術館を歩いているかのようです。
東本宮へ。どうも紅葉する木は西本宮のほうに集中していて東本宮は静かな感じでした。
西本宮と東本宮をつなぐ道沿いにある神輿収蔵庫。普段は閉まっている扉が開放されていて、ガラス越しで内部の神輿を見ることができました。
神輿のルーツはここだったのですね。昔、、平安時代の大規模寺院は一大軍事勢力でした。比叡山延暦寺のほかには三井寺や奈良の興福寺とか。僧兵という名の軍隊を抱え、何かあると都に強訴しにやってくる。平家物語でも強訴に悩む後白河法皇のことが書かれてます。後白河法皇くらいの人でも思い通りにならないのが双六の賽の目、加茂川の水(氾濫)、山法師だと。目の上のたんこぶみたいな感じ?寺院の背後には「神仏」という貴族でも逆らえない絶対的な存在があったので時の朝廷や為政者にとってはあからさまに逆らえない、非常に厄介な存在だったのですね。こういう流れが戦国末期の信長の比叡山焼き討ちにつながっていきます。
今年の大河ドラマでもちょっとだけ僧兵による強訴の場面があったけれど、ここの山から京都市内まで一基2トンもある神輿をかついで入洛していたのかと感慨深く見入ってしまいました。弁慶みたいないかつい大男たちが神輿で威嚇しながらやってきて政治的要求をつきつけるという・・想像するとなかなかオドロオドロしい場面です。そんな理解で境内の石垣を見ると寺院は戦国時代の城と同様、要塞みたいな感じに思えてきます。
日吉大社の駐車場に車を停めてこのあとは近くの街並みを散策しました。次回はそのことを。