何年か前に仕事で日本と海外の化学専門家同士のやりとりに立ち会う機会がありました。どの人もその分野で博士号(PhD)まで取得されている専門家の方々。彼らのコミュニケーションを見ていて印象に強く残る場面がありました。一人が化学式をノートに書きだすと、それをみたもう一人が「!」みたいな感じで、それに呼応するかのようにその続きに延々と長い化学式を書く。次はまた相手が「そうそう!」とまたそれに続く長い化学式書いて・・と、化学式で対話をしているのです。この間、互いの言語は殆ど介在してません。大人の男性たちがまるで子供のように夢中になってやりとりをしています。互いにわかりあえる同胞と話ができてとっても嬉しそうで。
昨夜、NHKでこの番組を観ていたらその時のことを思い出しました。オウム科学班の土屋正実はもともと大学院で化学を研究していた優秀な研究者。逮捕されてからも長く黙秘を貫いていたそうです。そこへ科捜研側から捜査支援というかたちで毒物の専門家の方が入りました。その専門家の方の化学の知識が土屋の黙秘を崩すきっかけになりました。話が分かる相手に出会って土屋はいろいろなことを話し出し、捜査が大きく進むきっかけになったと。
土屋自身、この分野の研究が好きで没頭していった結果、行く方向を間違い、犯罪に至ってしまいました。この人には当初は犯罪に加担しようとか権力を握りたいとかそんな思いはなかったのかもしれません。もし、行く道を間違えてなければ、数年前に私が立ち会ったような場で、世の中のためになることにその頭脳を貢献できていたかもしれません。なぜ途中で気づけなかったのか、それが残念でたまらないと感じました。
毒物の専門家の方も話しておられましたが化学の知識を持つこと自体は悪いことではないが、それを利用する心の持ち方が誤っていたのだと。よく「お金は人生を狂わせる」とも言われます。これも同じことではないかと思いました。お金自体は善も悪もないけれど、それを持つ人、使う人のマインドが正しくないと、その人自身を破滅させる方向にもいきかねない。そう思うとお金の知識、化学の知識以前にそれを扱うその人間自身の「心」の教育が何より大切で根本的なものかと思いました。