6月半ばの週末、美浜町にある若狭国吉城跡へ行ってきました。というより、実際に行ったのは麓にあるお城の資料館です。山城跡にのぼるには晴天すぎて暑かったので資料館と周囲の景色を眺めて雰囲気だけ楽しんできました。💦

 

 

資料館は国登録の有形文化財。江戸時代後期の大庄屋屋敷であり、平成21年に移築されたもの。

 

 

座敷の向こうに見える緑がとても明るくて畳にも映えていました。

 

 

 

 

 

ベンガラ仕上げの赤壁が美しい。書院造りになってます。

 

 

 

 

 

滴るような外の木々の色と座敷のべんがらの壁の赤色の対比がとても美しかったです。週末でしたが、ここでもやっぱりほぼ貸し切りで、お座敷に座って少しの間でしたが山の静けさに感じ入りました。

 

 

 

 

 

資料の閲覧エリアへ。歴史番組のビデオが流れていて磯田先生の解説、面白そうだったのですが、最後まで見ていたら閉館時間になってしまう。さわりだけみてから他のエリアに移動しました。

 

 

 

この日に学んだこと。織田信長の越前朝倉攻めの時、信長と秀吉は国吉城に、家康は近くに3日間滞在していたと。

 

 

金ケ崎城が降伏開城し(秀吉の活躍でほぼ無血開城。秀吉はこういうの得意。)、軍勢は木ノ芽峠を越えて一乗谷に向かいつつありました。その時、北近江の浅井が裏切り、北の朝倉と織田勢を挟み撃ちにしようとしました。信長は逃げる。残された軍勢で殿(しんがり)をつとめ見事に退却させたのが秀吉といわれています。実際には家康、それから明智光秀も奮戦し、軍を護衛することで信長の退却をならしめたのだそうです。

 

戦国時代って自身が生き残ることに必死で、いつ誰が裏切るかわからなくて、この時代の日本人は常にぴりぴり、感覚を張り巡らして生きてないといけない、ぼーっとなんてしてられない、とにかく気が休まらない時代だったのだろうなと思います。有名な金ケ崎の戦いの時にここのお城も登場し、役割を果たしてたのですね。

 

 

 

 

 

 

別のエリアにあった越後軍記。本物でした。ネットオークションでもこういうのが出ているのを見たことがありますが写本が多く製作されたのでしょうか。

 

 

 

高校漢文くらいの知識で読める感じですが全部の内容までわかりませんでした。

 

国吉城のジオラマ。

 

出土品いろいろ。

 

外に出てみる。幟が多く立てられていて関ヶ原の戦場跡みたい。

 

 

 

 

何もいわないけど木のパワーみたいなのがすごい。

 

 

 

近くにある徳賞寺。国吉城主 粟屋越中守勝久の墓があるようです。金ケ崎攻めの時に信長勢を迎えた人。

 

国吉城跡のところまでのぼらず、帰ってしまったので全体の何分の一も見てないですが、荒々しい山城の雰囲気を感じられてそれなりに楽しめた日でした。