山形旅行、米沢にいます。次は上杉神社に行きました。ここまでのところ、全て徒歩移動です。お城跡の周囲に主な見どころが集まっていて観光しやすかったのが米沢観光の印象です。上杉神社は上杉謙信がご祭神です。明治9年の建立です。

 

 

ここ、米沢は上杉謙信のほかにも伊達政宗、上杉景勝、直江兼続、上杉鷹山など歴史上の錚々たる人物にゆかりのある地です。それもあっていつか訪れたいと思っていました。境内の各所にそれぞれの人物が偲ばれるものがあり、ダイジェスト的にみて周れる感じでした。

 

 

上杉鷹山は江戸時代、財政難に陥った米沢藩で大改革を行った中興の祖です。J.F.ケネディが「最も尊敬する日本人」として名をあげていた人物です。「為せば成る」という言葉を残したひと、っていえば思い出すかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

もう新緑というよりは深緑に移りつつある木々の色。

 

 

宝物殿を見学しました。

 

上杉謙信、上杉景勝、直江兼続、上杉鷹山らの遺品などが展示されています。直江兼続の有名な「愛」の文字をかかげた兜もあるのですが、現在修復中とのことでみれませんでした。残念。

 

 

あとで見学した博物館の展示ですがこんな感じの。兜に「愛」の前立て。これを初めて知った時とっても違和感を覚えました。日本の、それも戦国時代に「愛」なんて概念あったのか?と思ったので。友愛とか異性への愛とか慈愛的なやわやわとした概念の「愛」は時代がもっと下った明治くらいに西洋から入ってきたものではなかったかと思います。いろいろ調べてみたら、当時は愛は「仁」や仏教的な「慈悲」と同義の意で使って使っていたようです。

 

 

再び境内。米沢は伊達政宗出生の地でした。出羽国・米沢城で生まれてます。

 

 

 

米沢藩・初代藩主上杉景勝と執政の直江兼続の像。

 

 

軍神・上杉謙信。

 

49歳の時、春日山城(新潟県上越)で亡くなった謙信の遺骸はここに長く安置されていたとのこと。

 

神社近くにある博物館にも行きました。長谷堂合戦の企画展をやっていました。

 

長谷堂合戦は東軍(徳川方)の最上軍と西軍(上杉方)の戦です。北の関ヶ原戦といわれてます。関ケ原で西軍の敗色が濃くなってきた時に直江兼続は最上軍と奮戦している味方の軍を見捨てていたということを知ったのがちょっとショックでした。兼続はその後の徳川に恩を売るということも考えていたようです。義も愛も、そんなきれいごとはないのが戦国時代なのだなあと思いました。上杉家は江戸時代、改易は免れましたが、120万石→30万石へ減封されました。

 

30万石に減らされてしまった米沢藩は江戸時代になってから苦境に陥ります。でもそれを救ったのが上杉鷹山の改革です。この改革の流れは現代の組織の改革にも示唆を与える内容であるように思いました。

 

 

この方、上杉謙信からの血縁はあるようです。でも生まれは日向国(宮崎)なんですね。大きな改革を起こすには内側の人間であるよりもしがらみの少ない外部の人間の力によるところが大きいのではとも感じました。

 

 

 

 

この後は山形最後の夜ということで米沢牛ステーキを夕食に食べにいきました~。続きます。