松尾芭蕉ゆかりの山寺、宝珠山・立石寺。真ん中あたりにある仁王門からの続きです。
仁王門から見える岩窟。この穴の中には人骨が納められているそうです。高い位のお坊さんのものだとか。この辺は修業の場でもあったようですが、いまは立ち入り禁止になっています。
開山堂と岩の上に建つ納経堂が見えてきました。山寺といえば・・このイメージですね。
ようやく奥の院へ。1015段の石段をのぼったことになります。
奥の院から絶景ビューがみえる開山堂のほうへ歩きます。
赤い建物が納経堂。山寺で一番古い建物です。その向こうに連なる初夏の山々の姿。濃淡のある山の重なりは日本の原風景という感じでただただ美しいです。
納経堂の下の岩に縦に亀裂が入っていることに気づきました。その場にいらしたガイドさんに伺ったところ、東日本大震災の時の揺れでは特に被害もなく済んだのだけれど、もし次に震度6くらいの揺れがきたら、ここも崩れてしまうかもとのこと。その時、その場に居合わせるのも、それも運ですね、と。 あまり考えたくないことですがやはり不変ってないですものね。
更にここからもう少し入ったところにある五大堂が山寺随一の絶景ポイント。先客が一名いらっしゃいました。
ここからのパノラマビューを目にしたらそれまでの登山の疲れも吹き飛ぶ思いでした。それ以上に山の向かいからこちらに吹いてくる風の清々しく気持ちいいこと!ここまで来て良かった。ここのお寺はパワースポットともいわれていますが、気の流れがとても良いところだと感じました。
パノラマを堪能したあとは下山します。来た道を再び。
往路は結構人が多くて、常に人の声や雑音が聞こえたのですが、帰路は閑散として山の静けさがずんと迫ってくる感じがしました。芭蕉さんが感じた山の雰囲気もこんなのだったのかしらと思いました。しかし芭蕉さんは現在の三重県の人なのによくこんなところまで徒歩で来たものです。それにこの時代は各地に関所があるし、一般人が俳句を詠むためだけに自由な旅をするのは難しかったのではないか。もしかしたら芭蕉さん、特命を受けたスパイだったのかな?とかそんなことを話しながら下山しました。検索してみると確かにそんな説が出てきて伊達藩の情報収集のために奥州まで行ったとかなんとか書いてあります。忍者の里がある伊賀の人ですから余計にそんな憶測も出てくるのかもしれませんね。
山を下りたところにあるお茶屋さんでソフトクリームを買って食べていたらお店の方が、山形名物の串に刺した玉蒟蒻をサービスしてくださいました。ホテルの朝食にもあったのですが、この辺は海からも遠いし、山芋や蒟蒻などを多く食してきたのかもしれません。
さてこの後はいったんホテルに戻り、夕食に出かけました。