江戸時代の会津の藩校であった日新館を訪れました。

 

會津藩校 日新館―会津藩・白虎隊の学び舎 (nisshinkan.jp)

 

元々はお城の横にあったようですが、戊辰戦争で焼失。総工費34億円をかけて1987年に復元されました。お城のある市内中心部から8kmほど離れたかなり郊外の高台にありました。ここから見る眺めもまた素晴らしいものでした。

 

 

 

 

 

すぐに気づいたのは建物が中国風であること。ここで教科書として使われていたものが論語、大学、四書五経など中国の古典であったことからでしょうか。

 

わざわざ郊外に復元した理由は、行ってみてなるほどでした。かなり広大な敷地で、これは街の真ん中には作れないなあと。

 

最初にこの建物内にある映写室で概要を学びました。

 

 

 

会津藩では10歳になった藩士以上の家の子弟は日新館に入学しました。生徒数は1000~1300人ほど。素読や礼法、武術、天文学、医学、弓術などを学びました。当時の勉学の様子が再現されていました。

 

 

 

 

 

 

ソニーの井深さんのご先祖もいらっしゃる。

 

お掃除。

 

建物だけが残っているよりもこうやって当時の様子が再現されていると、理解しやすいし、興味を持ちやすいです。

 

 

 

 

大成殿には孔子様が祀られていました。正面から孔子様を撮影するのは遠慮しましたが、この空間、完全に中国的世界です。

 

 

 

水練場。いまでいうプール?なんと甲冑を身に着けたまま泳ぐ練習をしていたそう。

 

 

 

 

天文。天体観測などを学んだところ。

 

什の掟は日新館に入学する前の子供たちの心得。

 

入学してからは、その心得の内容は更に細かな指示が。

日新館について | 會津藩校 日新館―会津藩・白虎隊の学び舎 (nisshinkan.jp)

 

撮影できない場所もあったので写真は一部にとどまりますが、構内を歩いて、ここで学んでいた少年たちの姿を想像しながら感じたのは、冬の日の朝のような凛と引き締まった空気感。自身の心身を鍛錬し、律する厳しさ。やせ我慢的美学というか、今の時代にはない、とても崇高で美しいもの。

 

同時にうまく表現できませんが、現代の価値観から見ると教育のリスク的なことも感じました。白虎隊の少年たちはみなここで学びました。国のために死ぬということが美化されているようにも思えました。また年長者をリスペクトすることは大切な心得であるのはもちろんですが、年長者が畏怖の対象になりすぎた場では新しいものが生まれづらく、取り入れにくかったのではないかと感じました。時代の変化に敏感なのはやはり若い世代だと思うからです。

 

いろいろな思いが浮かびましたが、会津藩は敗軍であったにもかかわらず明治になって多くの人材を世に出しました。特に教育分野でそれが目だっていたそうです。そんなところからもこの藩校の存在は重要なものだったのかと思いました。