鶴ヶ城。お城の中に入ります。現在の天守閣は再建されたもので内部は資料館になっています。天守台部分は当時のもので内部は塩蔵として使われていました。海のない会津地方では塩が貴重品だったのですね。戦国時代の野趣あふれる感じの石積みは氏郷時代の数少ない遺構。
戊辰戦争でぼろぼろになった天守閣の写真。でもあれだけ攻撃されて崩れてないのはすごい。
この日はゴールデンウイーク真っ最中でありながら途中の道路は渋滞はなく、お城の駐車場もそれほど混んでいませんでしたが、さすがにここまできたら結構混んでました。上層にあがるにつれそれぞれの展示の前には行列ができていて、なかなか進みません。なので展示は全てみることができずところどころ飛ばしながら上層に進みました。
二層部分は歴代の城主やそれらにまつわる資料などの展示。
会津の地にあっては、中世の葦名氏が200年近くここを治め、その後、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、保科・松平氏と錚々たる名前が続きます。それだけここ、みんなが欲しがる要所だったのでしょうか。この辺、ガイドさんがいたらいろいろ聞けたのになと残念です。戦国時代の武将の兜ってそれぞれに個性的で、趣向が凝らされていますね。
ならぬことはならぬのです、という会津藩、什の掟。この後で訪れた江戸時代の藩校・日進館でもみました。
ストイックな思想で人間を鍛える立派な指針です。一方で、年長者に絡むルールなど、これらが通用するのは「平和で安定した時代」という前提があってではないか?とも思いました。七番などは今の時代にはまったくあわなくなってきてますね。
緑が多いです。
展望室からの眺めです。遠くに山の稜線が見え、市街地の向こうに磐梯山の眺め。広大な会津盆地の形状が感じられました。
芝生公園になっているところはかつての本丸跡。かつて殿様たちが暮らしていた建物がありました。
さあっと風が吹き抜けるかのような感覚です。ここ、お天気がいまひとつのため写真がうまく撮れませんでしたがここからの眺めは今回の旅行でもっとも印象に残った場所のひとつになりました。
下の長い廊下があるのは南走長屋という建物。本丸へ敵が侵入するのを防ぐために建てられたとのこと。西洋の城郭は権威を示すためというのが第一にあるように感じますが、日本の城郭って「戦い」という視点から全てが造られているように思います。
武者走り。石垣に作られたV字型の石段。
上からみるとわかりやすいです。刀や槍がぶつからないように、左から上り、右から下りる決まりだったため大勢のひとがぶつからずに効率よく上り下りできたのだそう。石垣の上の緑の上に置いてあるのは何なのでしょう。
鶴ヶ城編はもう少し続きます。