鶴ヶ城まで来ました。廊下橋から入ります。蒲生氏郷の時代まではここが大手口だったとのこと。ここのお城の高石垣には思わず感嘆の声が出ました。この高さからくる威圧感と勾配の美しさ。これまで見てきた石垣の中でも有数の美しさ、そして凄み!

 

 

 

廊下橋をわたります。かつては屋根のついた橋が架けられていたのではと考えられているそうです。この辺の石垣は石と石との間が隙間なく重なり部分も直線的。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この辺に来ると石垣の雰囲気が変わってきました。

 

 

会津若松の基礎を作った蒲生氏郷は近江日野出身の武将です。この地を「若松」という名にしたのもこの人。小さい頃からキレ者で、頭がよい子が好きだった信長に見いだされました。茶道など芸術にも通じていて勇敢で、文武両道の戦国武将でしたが40歳の若さで亡くなっています。毒をもられたという説もあります。

 

会津に転封になる前は私の故郷である三重県の松阪(当時は松坂)のお殿様でした。「松坂」という地名をつけたのも氏郷です。氏郷が松坂城主だった期間は確か2年くらいと、ごく短い間だったのですがこの間に松坂の城下町の整備を行いました。いまでも松阪では11月3日文化の日に氏郷まつりという氏郷公をしのぶお祭りがあり、後世の住民にもとっても慕われている戦国武将です。松坂の次に東北の伊達の押さえという名目で転封になった会津若松の地、以前からいつか訪れてみたいと思っていました。

 

お城の前まできたら「グランドオープン」の看板が。改装していたみたいです。

 

初めて目にする鶴ヶ城。中世の葦名氏の築いた東黒川館があったところに、蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てました。加藤清正と並んで築城の名手といわれた蒲生氏郷がつくった鶴ヶ城は戊辰戦争の舞台になった場所でもありますね。新政府軍の猛攻に耐え難攻不落の名城と知られるようになりました。現在の天守閣は昭和40年の再建で、平成になって屋根瓦が幕末当時の赤瓦に葺き替えられたそうです。た。この日は朝から曇り空でしたがお城のところにきた時に雲が消え、青空が。青空に映える白壁が美しいですね。

 

 

 

 

まずは内部の見学に行きました。ここでは写真をたくさん撮ったので鶴ヶ城については何回かに分けて投稿したいと思います。城内の新緑がとても美しくて威風堂々とした天守の姿と共に印象に残りました。