関ヶ原探訪、笹尾山の次に向かったのはその近くにある西軍、島津義弘、小西行長の陣跡です。地図上、黒い〇で囲んだ場所です。昔からの古い住宅街の細い道を行った先にありました。
鬱蒼とした森の中という感じのところで神明神社の敷地になってました。笹尾山からは数百メートルの距離にあって西軍布陣の中では中心部分でした。薩摩の島津義弘は勇敢なだけでなく家臣を大切にする人でもありました。朝鮮出兵で討ち取った相手の供養も行うなど人情味のある人物だったようです。この人も個人的に好きな武将です。関ケ原の合戦ではこの島津部隊の敵中突破が有名ですが、ここから東軍の布陣の中を突き抜け、伊勢街道を駆け抜けていったのかと、この地にいってみて、彼らの行動の凄みをようやく実感できたような気がしました。家康もこれにはかなりビビったみたいです。今年の大河ドラマでは毎週ビビりまくりの家康ですが、ここはどんなふうに描かれるのでしょうね。
次は近くの小西行長陣跡へ。
小西行長は堺の商家出の武将。キリシタン大名でした。あまり武将のイメージないのですが、関ケ原では6千人もの兵を率いて西軍につきました。この人は加藤清正と仲が悪かった。二人とも秀吉の部下でしたが朝鮮出兵の時から対立してて、そこを家康に利用されてしまいました。西軍が総崩れした際に敗走しましたが、最終的には京都の六条河原で石田三成らと共に処刑されてしまいます。熱心なキリスト教信者だったので自殺できなかったのです。
曇り空の下ということもあって鬱蒼とした雰囲気の陣跡でした。
この後、家康が当初の陣地から前線へ移動した場所に行きました。最初に訪れた記念館の横です。その前に記念館内にあるカフェによって休憩しました。
戦国武将パフェを。昨日、ブロ友さんが観光地のソフトクリームが強気価格って書いてみえたのを読んだのですが、確かにここのパフェも殆どソフトクリームでできているのに900円台でした。これ石田三成パフェね。
店内には今年の大河ドラマに絡んでのおみやげコーナーなどもありました。
武将カレーに足軽カレー。なんとなく武将カレーは豪華で牛肉入りかなって思ってましたが、ネットで調べてみたところ、武将カレーはとろとろ煮込んだ牛肉入り、足軽カレーは鶏そぼろ。小早川の寝返り・裏切りカルボナーラ、黒田長政の博多明太子パスタとかネーミングが面白いです。
メニュー - 岐阜関ケ原古戦場記念館 別館レストラン・カフェ (gifu-sekigahara.com)
自販機も関ヶ原仕様。
家康の前線陣地跡です。合戦は当初一進一退が続き、業を煮やした家康はもっと遠方にあった桃配山から本陣をここまで移動してきました。
ここ、石田三成陣営のあった笹尾山からも肉眼で見え、かなり近いんです。石田側からしたら、えー!こんな近くまで!って感じだったかも。家康はここから前線を指揮しました。両軍の切迫した空気感が想像されます。この「近さ」をリアルに感じられたのが今回の関ヶ原探訪の一番の収穫だったかなと思います。この感覚はやはり本や映画ではなかなか感じ取れないものだったからです。
床几場跡。
この時、家康は60歳手前。関ケ原の東軍勝利で世の中が治まったわけではなく、これからまだ10年以上、のちの大坂の陣まで不安定な時代が続きます。260年にわたる平和な時代を築いた人物の人生は戦いに次ぐ戦いというものだったのですね。次は福島正則の陣跡へ行きました。続きます。