今週読んだ本です。今回は毎日少しづつ、じっくり読み進めました。前回の量子科学の本の内容を更に深く掘り下げた感じで、とても興味深い内容。小さい頃からずっと考えていた「占いはなぜ当たるのか」、「神仏は本当にいるのか」、「なぜ前世の記憶を持った人がいるのか」、「なぜ虫の知らせがあるのか」、「死後の世界ってあるの?」、「あったとしたら死んだらどこにいくの?」という疑問の数々。著者の説くゼロポイントフィールド仮説に立ってみると、これらがまるで靄が晴れるようにさあっ・・と視界が開けて見えてきた感じで。

 

 

ゼロポイントフィールドというのは宇宙の歴史始まって以来の全ての出来事が記録され、人類の歴史始まって以来の全ての叡智が記録されているという場所。それはかつてユングが提唱していた「集合意識」のことであり、仏教のいう阿頼耶識のことでもあり。地球上の全ての生物の意識を含む宇宙意識のこと。死とは何か。我々が「死」を真に理解したければ死を迎える「私」とは何かを深く問わなければならないという。古来から多くの哲学者が問うてきた「存在とは何か」、「この世界とは何か」。

 

それは「私とは何か」という問いに他ならないということ。それに対する答えが自身の肉体自我意識であるとするなら、それらは死と共に消えてしまう。しかし「私とはこの壮大で深遠な宇宙の背後にある宇宙意識である」ことに気づいたら死は存在しない。現実世界を生き肉体と自我意識に拘束された個的意識としての私は宇宙が138億年の悠久の旅路でみている一瞬の夢にほかならない、という。

 

この後半部分、何を言ってんだ?みたいな感じですが、自分にはここ、すとんと腑に落ちました。

 

神仏の存在について:

現代は「科学」が宗教になってしまっていてそれが説く「唯物論」の世界が正しいと一般に信じられています。だから不思議な体験は全て錯覚であり、勘違いであると。私が通っていた大学では必須科目に宗教学の授業がありました。そこで歴史に名を残している、あるいは世界に名だたる科学者はみな神の存在を信じている、ということを聞きました。それを「そうとでもしないと、科学にはわからないことが多すぎるからだだろう。」とあくまでも神仏の存在を否定するドライな考えの学生も多くいましたが、科学を突き詰めていくとそこにある神の存在を認めざるを得ないということだという考え方は、後年、ずっと私の頭の中にありました。(この本の著者も原子力工学の専門家です。) 神様仏様のことを考える時、神仏はいるとは思うけれど、どうもそれらは多くの宗教が説く父親的な人格を持った存在とは違うのではとも感じてました。悪いことをしたら罰を与える神様は為政者に都合よく作られたものではないかと。

 

ここでは神もまたゼロポイントフィールドのこと、ひとつの大きな宇宙意識、集合意識のこと、というくだりはその意味でも自分自身のこれまでの疑問に答えを与えてくれるような仮説でありました。肉体の死後に人間の意識がいきつくところもそこという仮説も多くの宗教との整合性があるように感じました。