ふと、「おみくじって当たるんだろうか?」と思ったのが2年くらい前。
それまでは初詣の時と旅行先で有名な神社仏閣にお詣りした時に引く程度だったけれど、そのまま結んで帰ってきて、内容も忘れてました。ちょっと検証してみようかな?と、いつもの好奇心から以降、最低でも月に一度、観光などで神社仏閣を複数訪れた時は一日に何回もおみくじを引いてみるようになりました。
偏見いっぱいの個人的感想ですが、おみくじは「今の自分」の状況を客観的に教えてくれるもの、という感じがしています。そしてやっぱり、運には「バイオリズム」みたいな見えないものがあり、絶えず変化していて、波を描くように上がり下がりしているんではないかと思います。
昨年6月高野山に旅行した時、高野山と翌日の九度山で5回おみくじを引きましたが、全て「大吉」でした。この前後、絶好調とは思わぬでも、売りに出していた不動産が次々と売れたり、身内のことでも良い知らせを聞いたりと、ああよかったね、と思うことが割とありました。
しかし、数か月後の秋頃に私たちはトンデモなトラブルに襲われました。(ごめんなさい、病気ではないのですが詳細は控えます。)いまは落ち着きつつありますが、心配で眠れぬ夜も多々。去年の秋からのおみくじは、一度も大吉が出ず、凶じゃないのはありがたかったけれど、今に至るまで小吉か末吉をひくことが殆どです。それも「いまは我慢の時」とか「嵐が過ぎるのを待ちなさい」みたいな言葉ばかりです。
高野山の時も秋のトラブルの時もおみくじの言葉は現状を言い当てるという意味ではその通りです。が。秋のトラブルはその始まりは実は好調だった6月頃に発生していました。その頃に気づいて摘み取っていたら、難なく避けられたかもしれないことでしたが、多分、表面上の調子が良かったので物事の些細な変化に気づかなかったし、重大視してなかったのだと思うのです。
10年くらい前に書いた記事ですけど、SONYの元常務取締役である天外さんの本の内容。運は波のように上下し、好運の中に不幸が隠されているんだった。これを思い出しました。
再びの引用になりますが年末に読んでいた林真理子さんのエッセイにも、林さんは仕事で好調なことが続いた時は必ず人間ドックを受けるようにしている、と書いておられました。好運の中には不運のタネが、不運の中には好運のタネが隠されているということを気づいておられるからの言葉なのかと思います。なかなか人生を学べない私ですが💦好調な時こそしっかり足元をみてないといけないなって思いました。
おみくじが「今の状況」を当てる、ということについて最近も印象深い出来事がありました。先月、実家に戻った時に実は父の介護のことで父の妹である叔母と些細なことから口論になってしまいました。😢 こういうの、どこでも誰でもありそうなことなんですが。私自身はそのことをずっと気にしてました。年末に引いたおみくじにはやっぱりこんなことが書いてありました。ええ、わかってるんですけど。
主人は昨年、転職のことを言ってて、え?なんて思っていました。いや、しかし。同日に引いた主人のおみくじにはこんなことが。本人は苦笑い。
つまりは、おみくじは今のことは当ててくれるけれど、先のことまでは当ててくれません。調子がいい時は調子に乗ってはいけない、どん底の時は希望を持って、そのマインドで未来を作っていくのは自分の日々の行いであるってことなのかな、と。現在、北陸の冬の天候と同じような分厚い雲が頭上から消えていくのを待っている我が家です。こんなふうにして、結局人生のトータルって足して引いてゼロになるんではないかとも思っています。