東海道47番目の宿場町、関宿の街並みを歩きました。お伊勢参りで賑わったこの街道。昔の人は平均して一日30~40kmくらい歩いたそうです。江戸から来た人も出発後、何日目かにはここに宿をとっていたのでしょう。
約2kmにわたる街並みに江戸から明治期にかけての町屋が200軒ほど建ち並んでいます。15年くらい前はもっと生気のない古ぼけた街並みだったような記憶がありました。ここ数年で古い建物の外観はそのまま残し、新しいお店がオープンしたりして、昔と今が共存するとても素敵な街並みになっているように感じました。かといっても行き過ぎた観光地みたいな感じでもなくこの地域に住む人の生活もそのまま残っているのもいいところだと思いました。
會津屋さん。江戸後期に建てられた建物はその昔は旅籠だったそう。当初、ここで山菜おこわを食べようと思ってましたがあいにく定休日。カメラを構えていたら通りがかりの人が、袖壁を指して「京都の方角に向かっては平仮名、反対側には漢字で名前が書いてあるんですよ。」と教えてくれました。
その方はそれだけ教えてくれて、歩いてかれました。後ろ姿をこっそり撮らせていただきました。
會津屋さんの横に並ぶ、和風テラスハウスみたいな建物。
暫く前に49番目の宿場町である滋賀県の土山宿を歩きました。土山宿は一部の建物を残し、大半が取り壊されて一軒家が建ち並ぶ現代の通りになっていました。現地の方に聞いたところでは、滋賀県では昭和時代にたくさんの大手企業が進出してきて、多くのお宅では家業を守るよりも勤めに行くほうを選んだ流れがあったそうです。関には隣県のような大きな変化がなかったことが古い町並みを温存できるきっかけになったのでしょうか(近くにアクオスで有名になった亀山工場がありますが)。廃仏毀釈をやってた明治維新の時と同様、昭和の経済成長の時代には「古いもの」にはあまり価値を見出すことがなかったのかもしれませんね。
関郵便局。
漆喰風の白壁と瓦屋根の建物は周囲の景観にも溶け込んでる感じです。オリジナルは明治に取り壊されたのですが平成になって復元されたとのこと。ここは江戸時代には高札場があったところです。高札とは幕府の法令や宿場のルールなどを知らしめる板札を掲げた場所です。街の中心にあって多くの人の目につく場所にありました。
赤ポストでなくて黒ポスト。明治時代に使われていたポストはこんなのだったそう。
何度も歩いている街並みだったけれど、久しぶりに歩いてみると新鮮な感じ。続きます。