旅4日目。そろそろ最後です。長岡を訪れる直前に長岡市内に山本五十六さんの生家があることを知りました。駅構内の案内所で尋ねたら、開館している日とそうでない日がある、とのこと。記念館から一本通りを隔てたところにあり、生家跡は現在、公園になっています。実際の生家は昭和20年に戦災で焼失しているため、現在の建物は復元とのこと。行ってみたら、よかった!開いてました。

 

 

先の河合継之助記念館も生家跡にあり、そして五十六の生家もすぐ近く。両者とも長岡藩の藩士のお家です。五十六はもともと高野家という長岡藩の儒官、槍術師範のお家の生まれです。長じてから家老を務めた山本家の養子になったので、山本姓になりました。ちなみに彼は高野家の六男であり、父親が56歳の時の子供なのでこの名前になったそうです。

 

 

ここ、常駐のスタッフの方はみえませんでした。小さくて質素な家という第一印象でした。

 

 

 

二階にあがる急傾斜の階段がありました。二階にあがるのは一度に3人まで、との注意書きがありました。

 

 

五十六さんの勉強部屋は畳二畳の狭さです。冬は極寒の新潟の地でどんな思いを抱きながら勉学に励んだのでしょう。この空間を前にいろいろ考えました。長岡中学からかなり上位の成績で海軍兵学校に入学しました。

 

 

一階に戻ります。「常在戦場」とは五十六の座右の銘。平素から常に戦場にあるような心構えであれ、という意味です。この言葉は長岡藩の藩是であり、先の河合継之助記念館でもこの展示がありました。五十六は河合継之助のことを終生、尊敬していたそうです。新潟県というとあと上杉謙信がいますね。歴史上の人物からみた新潟人の印象って情が深くて義理堅いというかそんな感じ。

 

 

結婚式の時の写真。

 

廊下。隙間が!

 

 

 

台所。

 

 

建物から外に出たタイミングで、男性3人が入ってくるのとすれ違いました。聞こえてきた会話から出張にきた機会にここを見学に来ていたようでした。狭い空間だったから一緒じゃなくて良かった💦  

 

時間は午後1時すぎくらいです。お昼ご飯を食べることにしました。次は長岡に本店があるへぎそばのお店へ~。