旅4日目。最終日です。この日は福井に帰る方向にあるどこかの街に寄り道しようと考えていました。燕三条で金物屋さん巡りか長岡かで迷った末、長岡に行くことにしました。新潟県内では新潟市に次ぐ規模の街。JR長岡駅は新幹線も止まる大きな駅です。
駅前にある大きなオブジェ。長岡って花火が有名ですよね。一生に一度は観に行ってみたいです。
現在、駅のあるところは長岡城本丸跡。
長岡藩は戊辰戦争で幕府側につき、新政府軍(薩長)と激戦を繰り広げました。城郭は焼失してしまっていまは遺構は殆ど残ってません。
駅構内の案内所でもらった観光用の地図を見ながら最初の目的地、河合継之助記念館へ。駅から徒歩10~15分くらい。住宅街の中にありました。
この夏、河合継之助を主人公にした司馬さんの「峠」という小説を読みかけてました。この時は新潟県に旅行するつもりはなかったので、まだ一巻のところで中断したまま。ちゃんと読んで予習しておけばよかった!
幕末だと写真技術も導入されていたから侍姿の本人の写真も残ってますね。誰かに似てる。
この人は幕末、長岡藩の120石取りの家に生まれました。中級~下級武士くらいでしょうか。若い時から全国を旅し、遊学し、広く世間をみていました。だから世の中を長岡という狭い範囲ではなく、封建社会という凝り固まった視点からでもなく、俯瞰的に見ることができ、当時の日本はどうするべきだったかということを冷静に判断できた人だったのだと思います。彼はこれからの日本は商人の時代になるともいってたそうです。
戊辰戦争で新政府軍が長岡に迫った時にも小千谷談判の場で日本人同士が争っている場合ではないことを説きました。でも話し合いの場に現れた新政府軍の担当者(軍艦)は土佐藩出身の24歳の岩村精一郎でした。血気盛んな若造にはなかなか河合の説く和平の理念とか通じなくて結局、会談は決裂しました。旅を終えてから友達と話してたんですが、相手がこういう若造じゃなくて西郷さんみたいな人物だったら・・、江戸城が勝海舟との会談で無血開城となったように、長岡も違う運命をたどったかもしれないね、と。
館内の写真撮影は一部のみ可です。日本で初めて使われたガトリング砲。
この人物のこと、あまりよく知らなくてざっと展示をみてきただけで終わりましたが、小説のほうもちゃんと読んでみようと思います。今年公開された映画では役所広司さんが主演されているようです。映画を観てからここの資料館に来る人も結構いるみたいです。
さてこの後は山本五十六記念館へ~。続きます。