高野山マップ右端の〇で囲んだエリアが奥之院です。高い杉木立の中に20万基超の墓石、祈念碑、慰霊碑が建ち並ぶ高野山観光のハイライトです。

 

下の写真はその入り口。木立に囲まれて昼間でも鬱蒼とした雰囲気です。よく言えば神秘的。この周囲、駐車場が殆どありません。入り口近くに数台のみ停められる有料駐車場があいていたのでそこに車を停めました。

 

 

司馬遼太郎のエッセイから高野山の描写。

 

 

奥之院に至る参道には企業や名だたる戦国武将の墓石・供養塔があります。墓石を観光スポットとみていいのかどうかわからないですが、この道、中世以降の日本史に登場する人たちのお墓が次々と現れ、壮観でした。片道2kmもあるのですが、そんな距離のことはすっかり忘れて、いろいろみている間に奥之院についてしまいました、という感じでした。

 

 

 

写真を撮った順番に載せていきます。

 

紀州徳川家初代藩主。

 

武田信玄と息子の勝頼。

 

これも紀州徳川家。

 

弘法大師さまが腰をかけたという石。

 

 

周防岩国の吉川家。

 

榊原康政。徳川家の有力家臣です。

 

島津家。

 

石田三成。

 

明智光秀。

 

ここの地蔵堂、ちょっと怖い話が。

 

横にある井戸をのぞいて顔が映らなかったら三年以内に死ぬとか。そのままスルー💦

 

 

企業の物故者供養塔。

 

他にもいっぱいありましたが省略。

 

安芸の浅野家。

 

戦没者供養塔。ビルマといえばインパール作戦の犠牲者でしょうか。

 

家康の次男、結城秀康。早くに亡くなりましたが、福井のお殿様でした。

 

 

他の武将のお墓が寄り合いみたいな感じになっているのに対して高野山の庇護者であった秀吉の供養塔は一段高く広いところに。

 

秀吉の主君だった信長。

 

メインの通りから入った場所で他の一般人のお墓と一緒に。日本史的にはかなり偉業を成した人だったけれど、他の武将たちのお墓に競べてもひっそり感が強い印象でした。多分当時はあまり評価されてなかったのかと。お隣に筒井順慶。

 

 

一番立派だったのは徳川家康と秀忠の霊台でこことは別のところにありました。

 

鍋島家。

 

これも全体の一部です。この先に弘法大師御入定の御廟があります。中世からの日本人にとって高野山がどれだけ特別な場所だったのか、ここを歩いてすごくそれを感じました。